論点

□フランス文学学会への参加記録
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 ジョルジュ・バタイユは1930年代、殺戮、供儀、狂気の追究、実践を軸とする、地下秘密組織アセファル(無頭人)を組織。当時の迫りくる戦争から生命の蕩尽の夢を受け取りながら、集会や会誌の発行を繰り返していた。解散後もこのときの活動内容については口外しないという約束がされており、これまで細部が分かっていなかった。
 最近、このアセファル関連の原稿や手紙を集めた書籍がバタイユの母国フランスでまず刊行され、この春、翻訳がちくま文庫から刊行された。タイトルは『聖なる陰謀―アセファル資料集』。この翻訳者が三田の慶応大学でその研究発表を行う、という情報をキャッチ。本日出かけてきた。

 当日、5人の発表者のうち、吉田裕のバタイユ研究書は読んだことがある。会場である教室につくと、講談社から『バタイユ』という労作を出している湯浅博雄も聴講者として来ており、湯浅の本は割合に愛読していたので緊張した。
 発表は各自20分前後で、神田浩一という人の「アセファルと死:悲劇と死を前にした歓喜」という発表で始まった。論旨としては、なにものにも回収不可能な領域としてバタイユの死を捉えようとする中々の力作発表であった。
 続いて吉田裕の「戦争の影」ではバタイユ思想における戦争の捉え方、やはり要するに人間にとっての非合理性、蕩尽としての戦争待望論に照明をあて、しかし近代戦争に入り、戦争のもつ外部性は失われ、戦争さえも計量可能となり、人間に対する有機的組成の役割を果たしえなくなった、そこでのバタイユの戦争観の変遷を丁寧に辿る、これまた力作であった。他に3つの発表があったが、結局最初の2つが私の思考には深く引っ掛かるものであった。
 神田には彼の発表直後、質疑応答の時間に質問し、酒鬼薔薇聖斗の事件はバタイユ的見地から供儀(神への生け贄)といえるのではないか、と質問した。質問に対して神田は「少し時間をくれませんか?後で答えます」と言っていた。ところが他の発表と質疑応答が押してしまい、会の最後に「神田先生からの回答を聴いてません」と尋ねると、神田から、「後ほど個人的にお答えします」との話がされた。
 全発表・質疑応答の後で神田が近くにやってきて、サシで話すことができた。
 神田によれば、酒鬼薔薇の事件は彼がフランスに留学している間に起きた事件で、あまり詳しくは知らない、ということだった。しかし、乏しい知識の中でも色々と彼は感想を言ってくれて、「殺人と供儀は一緒だと思いますか?」とまず彼は尋ねてきた。私は「一緒ではないけれども行為は近い。供儀は“捧げる”という性格がある。そうして、酒鬼薔薇は自分でバモイドオキ神という神と対話していた。一連の殺戮もそれへの供儀という性質を持たされている。その面からもあれは供儀だといえると思う」と私は答えた。「供儀の場合、殺す側も変化を受ける。コミュニカシオンとバタイユが呼んでいるような、主客の止揚が生まれる」これも殺戮行為における遺体との対話体験といい、酒鬼薔薇には当て嵌まるのでは?と後から思った。どうも神田が犯罪とバタイユを一切関連づけたくないようにみえた私は、「神田先生はバタイユを善人だと思い過ぎてませんか?バタイユの本にははっきり“殺戮”と書いてありますよ」と伝えると、彼は笑いながら離れていった。
 私の他の質疑応答者はみな東大やらの学生だか大学院生ばかりで、さすがに質問するにも弁舌がなめらかで感心した。細かい部分を気にし過ぎにも見えたが。
 あと、'30年代生物学のバタイユへの影響についての質疑応答で、吉本隆明の『母型論』などで知られる三木成夫の論、胎児が胎内で魚のようなエラ呼吸したり、鳥のような顔になる、という指摘をしている件について引用したところ、発表者の細貝から、だからといって人間が魚や鳥から系統発生したと考えるのは間違いだと猛然と非難を受けた。かなり感情的になっていたのでもしや吉本嫌いの研究者の一人だったのかもしれない。
 だいたい私は胎児期に魚類の顔になるとか、或いは人体とは植物的性格も含まれれば動物的性格もある、という吉本の論を引用しはしたが、それを以て人類が魚から系統発生しただのとは一言も言っていない。それを細貝は私がそう言ったかのように反論してきた。とんでもない早合点教師だと言わざるを得ない。
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