論点

□どこからハイデガーへ入ったか
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 長い間、私は自分の生きている生そのものを受け入れることが出来なかった。どこかで、自分は間違って生きている、という観念から逃れられずにいた。私は自分の血が嫌いだった。親から授かった自分の血を憎んでいた。
 私は10代の後半から、対人的不安定に苦しんでいた。他人と向かい合うと、言い様のない息苦しさやパニック状態にいつも見舞われた。今もそれはたいして変わらない。私は苦痛だった。何がといって、私は私自身が苦痛だった。私は私自身という苦痛と付き合わなければならず、生きることはすなわち私自身が私に味あわせる苦痛と付き合うことに等しかった。
 当然私はこのようなことに何故なるのか、考えないわけにはゆかなかった。30代に入る頃、吉本隆明のインタヴューから、私は人間が、その胎児・乳児期にどのような環境にあったかによって一生を決定されるという分析を知った。そこには運命のようなものがあるのだ、とぼんやりとだが私は思い知った。私のなかに、毎夜訳の分からぬ怒号を家で撒き散らしていた父親への憎悪が改めてわきあがってきた。だが、もはや父親の責任を追求したところで私の日常の苦痛が変わることも考えられなかった。父親への憎悪を繰り返すことは無意味だったし、憎悪を捨て去ることは出来なかったが、憎悪によってあわよくば彼を殺すことが出来たとしても、もはや私にはたいして意味はなかった。
 私は私のような生をどのように考えればよいのか、どのように受け取ればよいのか、という主題が残された、と思った。

 既に私は19才の頃、一編の忘れられない少女漫画に出会っていた。樹村みのりという、当時からさほど知られてはいなかった漫画家の描いた『海辺のカイン』という作品は、重たい息苦しさや苦痛を伴っていた。それは同時に、私が私に対して抱いている息苦しさに通じていた。私はこの作品の主人公に、主人公が抱え込まされた運命に、我が身と瓜二つな何かを見いだしていた。

 物語はとある海辺の町に、放浪する少女、森展子が立ち寄り、そこで一人暮らしをする服飾デザイナーの独身女性、佐野さんに出会い、仲良しになるところから始まる。
 二人は互いに引かれ合い、友人関係が始まる。展子は佐野さんのデザインした服のファッションショーに招かれたり、一緒に映画に行ったり、佐野さんの買い過ぎたケーキを一緒に食べたり、ことあるごとに一緒に行動するようになり、この女性に好意をもつ。
 やがて二人は互いの家族のことを話し始める。佐野さんは自分が死んだ母親によって、今も見守られているような気がする、と言う。それを聴いた展子は、私は母親に愛されなかった、と言う。自分よりも母親は、出来の良い姉の方を可愛がり、自分のことはよく分からない、うっとおしい子供だと思っていた。自分がお使いの小麦粉の袋を誤って破いて持ちかえると、わざと破いたと母親は私を責めた。私が思春期に体が女性らしくなってくると、母親は私の体型の変化、胸などを嘲笑っていた。おかげで今でも私は自分が女性であることを恥ずかしいと思わなければならない。またある時、母親は私の顔を、醜い動物のようだと言った…
 しかし佐野さんと家族について話すうちに、やっと展子は家族とのあいだで歪になっていた自分を客観的に見つめ直すことが出来るようになる。展子は母親と自分との過去を忘れることが出来るようになる。この当たりから物語は急展開する。

 佐野さんに打ち明け、家族をめぐって何度がぶつかり合ううちに、展子は佐野さんに受け入れられる自分を感じた。同時に、展子の中に、佐野さんに対する恋愛感情が芽生えた。ある晩一度は展子の感情を受け入れた佐野さんは、展子が本気だと知ると、展子を拒否する。女が女を好きになるなど、異常だ、私は貴女と違い、ノーマルなのだ、と。
 展子は初め、自分を拒否した佐野さんを憎んでいた。だが、自分が佐野さんに対して母親の代理を理想していた心性に気付いてゆき、佐野さんへの憎悪を解いてゆく。
 展子は海辺の町を去ろうと決算する。最後の日、展子は佐野さんが好きだったお茶を持って訪れる。佐野さんは、「あの事、貴女も遊びだったわよね」と展子に語り掛ける。しかし、展子は泣き崩れたまま沈黙する。それ以後、森展子は海辺の町を去り、二度と戻らなかった…。

 初めて読んだとき、私はこの作品から、訳の分からぬ衝撃を受けた。また、その衝撃がいったい何なのか、自分でも掴めないでいた。
 その後、何十年かして、私はこの作品の衝撃が何だったのか、少しずつ分かってきた。
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