論点

□木田元との対話
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 ハイデガーを私が読み始めたのは1993年頃だったと思う。読み始めた経緯については同じ論点の「どのようにしてハイデガーに入ったか」に書いたのでここでは省く。最初はたしか平凡社ライブラリーの『形而上学入門』『ニーチェT・U』に始まり、次に古書店で入手した、河出書房の『世界の大思想28 有と時』を読み始めた。『有と時』というのは一般に『存在と時間』と呼ばれていて、そちらの方がどちらかといえば通りはいい。『有と時』は『Zein und Zeit』の辻村公一による訳で、数あるあの本の翻訳のなかで辻村だけが「Zein」を「有」と訳している。これは、一部のインターネットで「分かりにくい」と批判されているし、研究者のなかにも批判的な人はいる。しかし私は元々「存在」と「存在者」の区別が判然とせず、納得できなかった人間なので、「有(有るものを指し向け、有らしめる歴史)」「有るもの」という翻訳は日常語からかけ離れている分、逆に分かりやすかった。そのようにしてハイデガーを読んでいきながら、所謂解説書の類いも読むことがあった。ハイデガーの場合は私は比較的注釈書は必要とせずに読めたほうだが、どうしてもクリアに理解できない概念もあって、そのようなときは解説書を参照するしかなかった。今考えると、その解説そのものが相当分かりにくかったとも思うのだが、それでもハイデガー用語である世界、存在了解といったキーワードを掴めなかった私は解説書を読まざるを得なかった。木田元が1983年に岩波書店から出した思想家叢書の『ハイデガー』、岩波新書の『ハイデガーの思想』はとりわけ集中して読んだ。今思うと木田の解説もそうわかりいいものではなかったと思うが、それでも私は懸命に読んでいた。何より、著者木田元のハイデガーに寄せる思い入れが伝わってくる本だった。いくつかある注釈書のなかで、木田だけが当初自分の内面の動機からハイデガーを読み始めたことを本のなかで告白していた。著書によれば、木田は戦後の闇屋(非合法でモノを仕入れ、売る商売)をやりながら非常勤教師もやるというすさんだ生活のなかで、ドストエフスキーに魅了され、ドストエフスキーのなかの絶望の注釈としてキルケゴールに入り、『存在と時間』もそのラインで読んだが、内容の難解さと翻訳のまずさでとてもすべて理解したとは言えず、『存在と時間』を理解するために、東北大学の哲学科に入った。これまで、『存在と時間』を読み返した回数も相当な回数にのぼるとある。ハイデガーへの視線にしても独特で、ハイデガーのなかの人間的弱さにまで言及し、《性格は悪いが、哲学史家としては超一流》と、矛盾する相貌を併せ持つことを指摘する。とにかく木田の書いた解説は刺激的だった。少なからず影響は蒙ったと言える。
 その後、私も独力で読み進み、自分でハイデガーを論じたい気も起こってきて、とうとうHPまでつくって書くようなことにまでなった。今は解説書の類いはほとんど読まず、いきなり翻訳にあたることが多い。それでも、木田の本はときどき読んでいる。最近、2000年頃に木田が書いた『ハイデガー「存在と時間」の構築』という本を読んだが、いまだに教えられることもあると分かった。
 その木田元が、この9月6日(日)に池袋の大型書店ジュンク堂にやって来て、元『ユリイカ』『現代思想』の編集長で、今は自身の批評活動のかたわら雑誌『大航海』の編集もしている三浦雅士と公開対談を行う、とある日ジュンク堂店内の告知で知った。早速予約をし、その日がくるのを待った。折角木田元と間近に会える、下手すれば対話もできる、と思い、どうしようかと思ったが、考えたのは、自分がここ数年、ハイデガーについて考えたことをぶつけてみよう、ということ。あと、当日、さほど時間もなかろうと思えたので、最悪、話す時間も取れなそうだったら事前に自分の立場を紙に纏めておいて、それを二人に渡せたら、と思っていた。ICレコーダーも用意して、二人の対話、そして私と木田との対話も残せるようにした。
 丁度対談の日にちを待っている頃、左の耳朶(みみたぶ)の根元が腫れてきた気がしていた。昨年夏の舌ガンの治療以来、定期的に検診を受けてきたが、何となく、今度は首のリンパに出たのでは?という予感がしだした。そのことが、自分のなかで、時間がない、という観念を生んだ。それが、今、木田先生に自分の思索を伝えなくては、もう二度とこんな機会はないという気持ちを強くさせた。
(余談になるが、後日、全身画像検査をし、その結果、私が気にしていた耳朶の根元は異常なしで、ただ、大腸の内部に非常に小さな何か、今回の撮影では分からないものがあるため、さらに後日、別の検査をすることになった。)

 当日、早めに池袋に着いた私は時間をつぶしながら今か今かとその時を待った。15時開演ということで、14:45頃、会場となっているジュンク堂4階の喫茶室に向かった。すでに半分くらい客席の埋まった会場へ、入り口で1000円払い、飲み物を注文して席に座った。二人が会場に入ってきたのは、15時を数分過ぎた頃だった。木田のほうから三浦雅士への簡単な紹介があり、対話が何気なく始まった。最初、とても寛いだ雰囲気で進んで、途中から木田の研究しているハイデガーなどの話になるのだろうと思ったが、いっこうにそっちへ話が行く気配はない。どうも、対談のタイトルである「哲学と文学のあいだ」を律儀に守ろうとしているらしく、木田がジュンク堂7階に設置している「木田元書店」のなかの木田元セレクトによる書籍のなかの文学関連の書籍だとか、そっちの話に終始している。どういうわけか、三浦雅士も、緊張感のみなぎりそうな話題は出さない。この二人が揃っててそうならない方が不自然な気もするが、何を気遣ってか、三浦は緊迫しそうな話題は振らないでいた。事前に、二人は対談のタイトルなどお構いなしに、現在の世界にある困難な課題を拾い上げ、討議するとばかり予測していた私にとって、この展開は些か拍子抜けするものだった。別に小説の話が悪いわけがないのだが、両先生には失礼ながら、折角の公開対談の場で、趣味的な話題に終始するのはどうか、と思える。あとから録音を聴き返すと結構興味深くはあるのだが、ただ、お二人には現在の最も力を入れている仕事について、テーマについて話してほしかった、というのが私の偽らざる本音である。(もしかすると、木田先生の二年前の大病罹患からくる体力低下を気遣って、三浦氏は重たい話題を避けたのかもしれない。)しかしこちらの期待とはうらはらに、木田の愛好する小説の話など、話は平穏に過ぎ、残り30分というときに、三浦雅士が質疑応答の希望者を募り出した。
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