自由人夢

□夜の華に惑う
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「ママさんおかわり!」
「…そろそろやめた方がいい。」
「いいからおかわり下さい!!涙の数だけ!!」
「それって…涙一粒一杯勘定なのか泣いた回数なのか…気になって石を積みながら考えていたら、いつの間にか朝になっちゃうのよね…。」
「なんで石を積むんですか!?その作業は必要ないですよね!?」
「フフフ…一度やってみるといいよ…。邪魔する鬼もいないからいくらでも積み上げられるからね…。今度見せてあげる…アタシの最高記録の4m越え…。」
「現実逃避なのかバランスゲームなのか、もはや芸術なのか…。」

クククと不気味に、だけどそれはそれは楽しそうに笑う姿を見ていたらなんだかツッコミを入れるのも無駄で馬鹿らしく思えてきて代わりに溜息を吐き出した。
こじんまりとした店内には他のお客もいないので自然とママさんの笑いだけが響く。
…一度、BGMに何か音楽を流したらどうかと言ったら次の来店時にお経が流れていた時は心底反省し、謝罪して速やかに止めてもらった…なんて事もあったっけ。
此処『スナック忍』のママさんは本当に変わった人だ。…正直そんな生易しい言い方で済むレベルではないけど。
今私が飲んでる黄泉と言う酒も自傷系アルコールが並ぶ中まともかと思えば、「三途の川の水で作った酒」とママさんの不気味なジョーク付き。
それを本当にジョークであって欲しいと心から願わせジョークなんだと思い込む、そんなお店だ。

「明日も仕事でしょ?ほら、お冷飲んだら帰ろう…駅まで送るから…ね。」

不気味で怪しいけれど…でも、ママさんは本当に優しくて良い人。
私が酒を煽って愚痴るのをいつも聞いて慰め、こうして心配してくれる。

「今日こそいいですって!毎回毎回悪いですから!」
「そう言われてもね…また何処かで倒れるんじゃないかと思ったら…し…アタシ心配で手首切っちゃうわ…。」
「うっ…。ですから毎回その脅し文句止めて下さいって…。剃刀もしまって下さい怖いです!」

ギラリと光る右手に握られて剃刀が真っ赤に染まるのをもう何度見た事か…。
良い人なのだ…すごく、良い人なんだけど…やっぱり不気味で怪しい人!!
このママさんの異常な所を上げればキリがないけど、やはり頭一個突き抜けているのは自殺マニアという初めて聞き他で聞く事はないであろうジャンルの趣向の人間だということ。
時には店に訪れた瞬間に、時にはお得意のオムライスを失敗した時…本当にちょっとした事で何の躊躇もなくあの鋭い刃で左腕を深く裂いて盛大に血をぶちまけてくれちゃう。
その光景の恐ろしいこと…。そんなのを目の当たりにしていて無下に断れる訳がない。
それに最初にこの店と出会った時のが、酔ってフラフラの私が店の近くですっ転んだ所を助けてもらった…という経緯もあるものだから余計に強く言えなくなってしまう。

「ママさん…お客大事にするのはいい事だしありがたいけど、お客さん帰る度にお見送りしてたら大変でしょう…。」
「キミだけだから。」

だいぶ高い位置にあるママさんの顔を見上げるとじっと、凄く真剣な表情。
あまりの即答に驚き、何故そんな顔をするのかと疑問に思いつつ…チラリと店内を見渡す。
キミだけだから。…確かに他のお客さんを私は見た事がない。
ちょっとこのお店の経営は大丈夫なのかと心配になったけどそれを聞くのも、この流れで肯定するのも失礼な気がする…。

「ま、まあ…スナック通いする女なんて私だけですよね!あはは、こんなだから彼氏ができないんですよねーちくしょー早く運命の人現れろー!」

瞬間、自虐ネタに走った私の顔に何か生温い物がかかる。
それが何を認識する前に今度はママさんがバタンとカウンターテーブルに倒れこんできて悲鳴も出ず、数秒固まってしまった。

「な…なんで切ったんですか!?え!?なんっ…だ、大丈夫ですか!?」
「…大丈夫、ちょっとブルー入っちゃっただけだから…。」
「精神的な事じゃなくて肉体的な事の心配を今はしているんですけど!?」

目の前で手首から血を流し、倒れたまま少し顔を上げて虚ろに笑いながらそう言うママさんは貞子も真っ青だ。
だけどこんなホラーでスプラッターな状況も此処では日常的な事で、ママさんは私に大丈夫と何度か言いながら、まるで食器の後片付けでもするかのように止血をして飛び散った血を拭き始めている。
私も私で新しく出してもらったおしぼりで顔を拭き、服への被害は殆どなかった事に早くも安堵している。
慣れとは本当に恐ろしい。

「さて…そろそろ行かないと終電に間に合わないかな…ごめんね、アタシのせいでゆっくりお冷が飲めなかったわね…。」
「いいえ大丈夫です!酔いはおかげさまですっかり飛びましたから!だから!また切ろうとしないで下さい!!」

悲鳴に近い声を上げてつい剃刀をスタンバイさせている右手を掴むと、一瞬驚いたような顔をしたけど、すぐに笑顔に変わりこっちが目をパチクリさせてしまった。
慌てている私がそんなに面白かったのかと色々思考を巡らせているとポンポンと包帯が巻かれた左手が私の頭を撫でた。
ママさんはこうやってたまに私を撫でてくれて、私はその度に胸の奥で可愛らしい音を聞いてしまう。
いくら男日照りだからって…スナックのママさんにときめいてしまう私ってどうなの。

「ま、ママさん本当にイケメン過ぎ!男じゃないのが勿体無いですよ!!」
「……え。」
「え?」

少し赤く染まった頬と戸惑いと虚しさを隠すようにオーバーな動作でそう言うと思った以上に滑った空気。
ママさんにしては珍しい表情。何時も悪酔いして醜態を晒す私にも一切動じず、いつも悠々と不敵な笑みを浮かべているのに今はポカンと私を見つめている。
瞬きゼロでそんな風に見つめられ続けるても私も訳が分からず、ただただ疑問を視線に乗せて見つめ返すばかり。

「男じゃ、ない、のが…?」

独り言のようにいつも以上に小さくゆっくり、ママさんはうわ言のように何度か同じ言葉を繰り返し見る見る青白い顔から一層血の気がなくなっていった。
私を見ていた目もいつの間にか何処か異次元を彷徨っている。
呆然としていた私もだんだんと何かまずい事を言ってしまったんだと気付けた。
こんなに長身長で声も低くて…男と言われるのがコンプレックスだったりするんだろうか。
何にしろこれは早くフォローしないと本気で今にも死んでしまいそうだ。

「え、あの…あ!!ご、ごめんなさい!私、褒め言葉のつもりで言ったんですけどやっぱり失礼でしたよね!あんまりにママさんが素敵だからもう男だったら嫁にして欲しいなーとか思っちゃってつい…!勿論ママさん美人だから女性としても凄い魅力的ですし、身長が高いのもモデルさんみたいで素敵ですし!それに」
「じゃあ結婚しよう。」
「へ?」
「嫁に来てくれるんだね?」
「は?え…?あ…あははは、じゃあ私性転換しないとじゃないですかー。」
「はい、ペンと朱肉…。」
「こ、婚姻届!?え、これ本物!?こんなの常備してるんですかスナックって!?」
「ちょっと待ってね…今お友達に兄弟を呼んで来て貰うから…。」
「いきなりご家族と対面!?しかもお友達ってなんですか!?何処に…ナニに向かって手を振ってるんですかっ!?」

一瞬何かがヒヤリと自分の横を過ぎ去っていくのを感じた気がしたけど、全力で気のせいという事にした。
あまりにポンポン出現するツッコミポイントの多さにやや声が掠れ、酸欠気味で軽い眩暈を覚える。
いつもの薄気味悪い冗談とは違う今回のこのウキウキとしたノリはなんなのか…。
ついさっきの棺おけに片足所か首まで浸かってるかのような顔は何処に行ってしまった!

「まさか…本気で勘違いしているとは思わなかったよ。」
「は、か、勘違、い?何が…?」
「男だよ。」
「……………は、い?」
「忍は、…オレは男だよ。」

しのぶは、おれはおとこ?
ニィタァ、と上機嫌に笑うママさんの口から出てきた言葉が上手く理解できない。
突然口に粉薬押し込まれたみたい。
喉や口の中にへばり付いて水がないと無理に決まってる。
必死に唾で流し込むように、何度もゆっくり脳内でママさんの発言を繰り返す。
しのぶ?おとこ?おとこ?…忍は男?忍?ママさん?男?男…?

「お、オネエ!?ママさんオネエだったんですか!?そりゃあ身長高いし声ひっくいし女性にしてはゴツイし男性っぽいなぁ、とは思ってましたけど…本当に男だったなんて!!」
「そこまで思ってて男だとは思わない事に忍、びっくりだよ…。」
「だ、だってスナックのママさんがオネエだなんて思わないじゃないですか!?オネエだったらオカマバーじゃないんですか!?…此処オカマバーだったんですか!?」
「…ああ。まず、忍は“そっちの人”じゃないよ。至極普通の男。」

目の前で黒のワンピースドレスに身を包んだ美人は何を言っている?
ついさっきまで一人称『アタシ』で、女言葉使ってた筈なんですが?
普通?普通って?普通ってなに?
私は今すぐママさんを鏡の前に立たせて今までの言動と、ウィキペディアに載ってるオネエのページを読み上げればいいの?
どうしよう、今物凄く混乱してる。

「なんて説明すればいいのかな…。簡単に言えば…そう…厄介な1人身男を一度に2人片付けるという建前の悪質なドッキリ…の、延長?」
「あなたが何言ってるのか何一つ全然わからないんですが。」

その後私の真顔ツッコミに心が傷つき腕に傷をつけてまた出血大サービスした後に…やっと、ポツリポツリと語ってくれた。
けれどその内容が私には異国の言葉でも聞いているようで脳みそが言葉を受け入れ拒否し、薄らボンヤリとしか理解できなかった。
つまり…オネエじゃないけどバードくんとやらで遊ぶ為に女装して、スナックのママになりすまし、悪ふざけ終了後に丁度私が転がってるのを発見して…今現在までスナック営業…らしい。

「あの…何を言ったらいいのか……とりあえずバードさんって人が可哀想です…。」
「フフフフ…それが彼のアイデンティティだから…。」
「彼に救いはないんですか!?…というか、そんな悪ふざけの為にスナック始めるって…。」
「ちょうどこの『スナック忍』が空いちゃったって聞いて…そのまま使わせてもらった。」
「え?まさか…勝手に使ってるなんて事ないですよね…?」
「まさか。此処の家賃やら契約やらが今月いっぱいまで残ってるから、それまでは使って良いって…ね?“忍さん”。」
「なんで何もない所に向かって喋るんですか!?」
「やっぱりこういうお店をやっていると…不規則な生活になるからね…脳梗塞だって…。」
「私には何も見せません、何も聞こえませんー…!!」

本当に頭がパンクしてしまいそうだ。
ママさんがぶっ飛び過ぎてて平々凡々な私には到底理解できない。
厄介な一人身男2人を片付けるって言ってたけど…なんで厄介者扱いされてるのに主犯やってるの?
それに男同士なのに……………ん?あれ、…あれ?

「ママさんはバードさんが好きなんですか?」

スルンと脳から口へ滑り台を下るように言葉が飛び出た。
だって私の普通な脳みそで考えたら、わざわざ手が込み過ぎた悪ふざけをしたのも女装なんてしたのも結婚迫ったのも…そう考えるのが一番すんなり飲み込める気がした。
男同士という点が引っかかると言えばそうだが、私の中ではさっきまでママさんは女性だったからそれ程の違和感はない。
もっと言えば完全ノーマルな人なのに悪ふざけで男に嫁入りしてしまおうとする方がよっぽど違和感がある。
…だからと言って、それを口に出して良かったのか…。
低く笑いながら何もない空間にボソボソ話しかけていたママさんの笑いはピタリと止まり、こちらを振り返ると無表情だった。
冷静な脳みそは何かヤバイと察知して、動いた私の体は気付けば少し前と同じようにママさんの右手を掴んでいた。

「き、切らないで下さいってば…!!」
「キミにそんな誤解をされたら……忍、もう死ぬしか…。」
「誤解なら違うって言えばいいだけじゃないですか!!」
「ショックでつい…。」
「だからっていちいち切らないで下さいよ!!」

色々と頭が追いつかない状況へのストレスもあったせいか、私の頭の中はあっという間に沸点に達してしまった。
目の前の人が男であろうと女であろうとオネエであろうと、これまで自分を慰め元気付けてくれた大事な人には変わりない。
それなのにその人を理解しきれない歯痒さと、そのせいでまた傷付けてしまった自己嫌悪と、そんな表現方法をするなと言う怒り。
ドロドロに混ざって煮えた物が体を満たす。

「男ならウジウジしてないで言いたい事言ったらどうですか!?」
「キミの事が好きだ。オレと結婚してくれ。」
「そうですよ、そうやってちゃんと言っ………………て?」

ママさんは無表情のままジッと私を見つめている。
どうやら頭に血が上り過ぎて耳までまともに機能しなくなってるみたいだ。
とてもこの状況で聞くはずがない言葉が聞こえてしまったのだから、聞き違いに違いない。
でもこんな聞き違いをしてしまうなんてなんて恥ずかしいんだろう。
自分を見つめるその顔は確かに男性のもので、しかも凄くカッコイイから余計にさっきまでとは違う熱が顔を熱くさせる。

「……あ。まずは交際の申し込みか…。ごめん、こんな事初めてだから…忍先走っちゃった…。」
「は…い?え?」
「ふ、ふつつかな拙者ですが…付き合って下さい…よ、夜露死苦…。ふ、ふふふふ…ナイススピーチガッツだぜ忍…。」

呆然とする私をよそにブツブツ言いながら不気味に笑い続けるママさん。
聞き間違えじゃなかった…?
このカオスな状況で、プロポーズ改め交際を申し込まれた?
そんな事が有り得るというのか?こんな訳の分からない状況が…?
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