きっと夢を見ていただけだった。
でないと
あまりに悲しすぎるじゃない。
ユメウツツ白い光が映える。
其処に佇んでいるのは結崎ひよのという人。
少女というには年をとっていて、だけど女性というにはまだ若すぎる。
中間の、年齢。
電車の料金は大人でも、まだ政権を持つわけではない。
具体的で明確な差なんて誰も知らないから、ただ女というしかない、そんな年頃。
そんな彼女はただ其処に佇んでいた。
少し前にカノンという青年が死んだ。
それから彼女はいつも沈んでしまうようになった。
きっとそれは彼女が彼を好きだったからだろう。
カノンの生きているときに、自分から伝えることの無かった思い。
否、別の人から見ればそれは十分「伝えていた」内に入るのかもしれない。
それでもひよの自身にはそういう風に伝えたという確かな記憶は無かった。
別に何か特別なことをしたわけではない。
ただ好きだったから隣に居て、そして相手も好いてくれた。
それだけの話。
カノンが死んだからといって特に歩を責めようとも思わなかったのだが、それでも心の空洞は大きすぎた。
きっとそれは生きている年のせい。
もしもこれがもっと未来――例えば、20年後ぐらいだったとしたら例え悲しくてもここまで空洞は大きくなかったのではないかと思う。
何故なら、人は生きる内に何かを忘れていく。
それはきっと許容量を越してのことだろう。
少しづつ大きくなっていく許容量は、それでも思い出の多さに比べれば小さすぎるくらいのもので。
記憶の詰まり方の薄い今の心ではカノンが占めていた部分の空洞もさらに大きくなって見えるだろう。
逆にきっともっと未来で、記憶の濃度が濃くなればそれほど痛手にはならなかったかもしれない。
別の記憶が空洞を覆い隠して現実逃避させてくれるだろうから。
自分にはそれ以外の方法が思い浮かばなかった。
それでもカノンのことをひよのが忘れたいかといえば、それは違うわけで。
一番簡単なのは、変わらない日々がほしかったのだろう。
それは変わってから、後から思う悲しい戯れ言のようなのだけれど。
きっと変わらない日々ばかり続いていたら人はそれに厭きて何か変化を求めるから。
言うならば、負け惜しみに近いかもしれない。
現実逃避。
もしも死に逝く事が完全なる逃げだというのなら、記憶を失うことは完全なる逃げにはならないだろう。
どちらにしても現実から逃げているという事実は変わらず、よって五十歩百歩ではあるのだけれど。
逃げたい、とひよのは思う。
それでも記憶喪失なんて簡単になれるものではないし、簡単になれたところで自分の記憶を消すのであればそんなことはやりたくない。
死に逝くことは生きられなかった人への冒涜だから、それも出来ない。
出来ないのなら生き続けるしかないだろう。
それに、もしも今ここで死ねたとしても今のままではカノンと同じところへは逝けないとひよのは知っていた。
ならば、生きて罪を重ねながら何時かは同じところに行くしかない。
生きることで罪を重ねる人間は、何時か罪におぼれて死ぬだろう。
カノンがハンターを殺して、その最後には死という裁きが待っていたように。
だからそのときをじっと待とうと思った。
待つことしかできない弱い人間の最後の望みをかかげて。
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