短編

□存在しないselection
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「Trick or treat?」




土曜日の朝っぱらから人の家に突如やってきたかと思えば、宅配便のお兄さんかと勘違いしてジャージ姿のまま玄関の扉を開けた私に向かって、景吾は開口一番妙なことを言い出した。
私の理解力ではその言葉の本質を見抜くには至らなくて一言、は?と言うので精一杯。
部活が忙しすぎてとうとう頭でも沸いたのかと多少憐れみの気持ちを感じたが、生憎と今の私はすこぶる機嫌が悪いのでそれを表現するには及ばない。
しかも、その原因が目の前の当人にあるのだから、私の中に思いやりの心など生まれるはずもないだろう。




「…なんだ、その目は」
「せっかくの休みに叩き起こされて、機嫌が良い訳ないでしょ」
「今10時だぞ?まだ寝てたのか?」
「私、休みの日はお昼まで寝るって決めてるんです」
「この堕落人間が」
「ちょっと、それが自分の彼女に向かって言うセリフ?」
「あぁ、そういやそうだったな」
「…景吾ってほんと失礼!」




どんな時間帯でも相変わらずの俺様っぷりで、私の機嫌は悪くなる一方である。
景吾のほうは、それに反比例して機嫌良くなるみたいだが。


しかし、本音を言えば同時にほっともしているというのも事実だった。扉を開けたのが私で本当に良かった、と。
万が一お父さん辺りがこの扉を開けても景吾が先の言葉を言ってのけるつもりだったとしたら、彼氏と家族との初ご対面の瞬間がそれはもう一生忘れられないほど残念な結果に終わっていたことが容易に予想可能だ。そうしたら、私は少し泣いていたかもしれない。


だが、私の気持ちを知らない景吾は鼻で一つフン、と笑ってからもう一度冒頭の言葉を口にした。




「Trick or treat?」




無駄に流暢な発音で私に告げるその目は、何故だか非常に楽しそうだ。
しかし、目的がわからなくて私は首を傾げる他ない。
これは盛大に笑うところなのか、真面目に対応してやるところなのか、私の取るべき行動は一体どれなんだろうか?




「景吾って、そういう行事大切にする人だっけ?」
「いや、別に。今日はたまたまだ」
「じゃあ、何が目的…?」
「それならさっきから言っているだろう。あるのかないのか、はっきりしやがれ」
「お菓子ならないわよ。いきなり来たんだから、そんなんあるわけないでしょ」
「そうか。なら…」




扉に寄りかかって腕を組みながら、景吾は目を細めて私を見下ろした。
瞬間、全身で感じる嫌な予感。




「悪戯、だな」
「はい?」
「今日はそういう日なんだろ?」




景吾はニヤリと笑ったが、もちろん私は到底笑えそうもない。
口元は引きつっているし、目元に感じる違和感は絶対にひくひくと痙攣を起こしているせいに違いない。


本能的に、私は一歩後ずさる。
すると、景吾は追いかけるように一歩近付く。


逃げる。
追う。
逃げる。
追う。


しかし、うちの玄関は景吾の家じゃない。玄関ごときにそんなに広いスペースは割けないに決まっている。
じりじりと玄関の壁際へと追いやられてから顔の両脇に手を付かれて、逃げ道を奪われた私は思わず身体を堅くした。




「けけけ景吾!"悪戯"のニュアンスが少し可笑しくありませんか!?この場合の悪戯は、もう少し可愛さを感じるものだったはずだよね!」
「へぇ、可愛い悪戯をお望みか。今からたっぷりしてやるから安心しやがれ」
「いりません!それに、景吾はこんなベタなことするタイプじゃないでしょ!」
「たまにはいいだろ?」
「良くないわ!…言え!誰の入れ知恵だ!」
「んなんじゃねーよ。ただ…」
「ただ…?」
「忍足の奴が、ハロウィンの真の姿はそういう行事だって言ってただけだ」
「忍足ィィィィイイ!!」










ここでひとつネタ晴らしをしよう。
私以外の家族の誰もが来客を知らせるチャイムに反応しなかったのには、ひとつ理由がある。


おわかりでしょう。
いないんですよ。今日は。
私の他にこの家に誰も。










「ちょっと景吾…!」




私が抗議の声を上げても聞く耳など一切持たず、景吾は私を楽しそうに見下ろすばかり。
恐らく、その脳内では私に何をしてやろうかを議題とした会議が行われている真っ最中だろう。
候補に何が上がっているのかは知らないが、行き着く答えが私にとって絶対に喜ばしいものではないことだけは確信することができた。
だって、現在進行形で景吾の瞳の奥から放たれる怪しげな光が私を捉えて離さないのだから。


なんとか自分の身に迫った危機を回避しようと、冷汗をだらだら流して景吾を見つめながらも私は自分のジャージのポケットをへと必死で手を差し入れる。
何でもいいから、お菓子持ってないのか私!


けれど、いくら手を突っ込んでみたところで何の感触も得られない。
もはや迫り来る運命をただ受け入れるしかないのかと絶望しかけて、これが最後とジャージの右側のポケットに望みを託してがさごそと探す。


すると、指の先に固い何かがぶつかったので奇跡とばかりにそれを必死で手繰り寄せ、そのまま景吾の顔の前に突きつけた。
赤く透き通った小さな球体を見て、昨日の夜食べようと思ってポケットに忍ばせたことを思い出した。




「あ、あった!」
「……何が」
「ほらお菓子!イチゴ味の飴ちゃんだぞ!」




手元で光を乱反射してきらきらと輝く飴が私にはとても神々しく見えてしまい、打って変わってつい満面の笑みを浮かべてしまった。
たが、当然景吾は面白くなかったらしい。
しばらく眉を寄せて睨みつけるようにそれを見つめたかと思えば、さっと奪い取って包みから出し口の中に放り込む。


なんだ、意外とあっさり引いてくれるじゃない、と私は安堵の息を漏らして肩の力を抜いたが、その途端に目の端で景吾の口元が愉快そうに歪められたのを捉えてしまい頭から全血の気が引いたような思いがした。
景吾が粛々と引き下がるような性格でないのは当たり前なのに、一瞬でも忘れて喜んだ私は馬鹿者です。




「俺はこんなもん菓子だとは認めねぇ」
「え、うそ」
「菓子は普通皿に乗って出て来るだろ」
「それ、景吾の家だけ!」
「うるせぇ。お前は大人しく悪戯されてりゃいいんだ」
「そんなの嫌に決まってるでしょ!大体、それなら何で今飴食べたの、よ……」




矛盾を追求しようとした私ではあったが、艶やかに笑う景吾を見て自分に待ち受ける運命を悟る。
あぁもう、墓穴を掘ってしまった自分が憎らしくてたまらない。
眼前に迫る景吾の端正な顔を見て、飴なんかあげるんじゃなかったと私は全力で後悔した。




















存在しない
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そのまま強引に深く重ねられた口付けが終わる頃には、互いを行き来した飴は綺麗さっぱり溶けてなくなっていましたとさ。












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