サンデー系
□この両の手で
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「じゃあな、寿」
「うん。御免ね。本当は、空港まで行きたかったんだけど」
良いよ別に、と、多分全く本心から吾郎君は言った。
清水さん達はもう日本に渡っていて、ちょっとだけごたごたの残っていた吾郎君は今日遅れて向こうへ帰る。
その最後に、ホーネッツの宿舎へ、忘れても構わなかったような荷物を挨拶がてら取りに来て、
今日で、メジャーを去って行く。
6年前ホーネッツが優勝してからも、吾郎君の快進撃は止まらなくて、怪我が完治した僕も必死にそれを追った。
吾郎君はもう、本当に、本当に、メジャーを背負って立つ、野球史に残る投手だった。
だった。
「・・・」
「おい、」
黙ってしまった僕に、吾郎君は苦笑した。
吾郎君が笑ってるっていうのに、笑えない自分が笑えなかった。
「そんな顔すんなよ」
「うん」
痛くないぎりぎりくらいの強さで、吾郎君が僕の頭を叩いた。それだけで手の大きさが分かった。右手だったけど。
「なあ寿」
「うん」
掌が下ろされる。
「流石に考えさせられたけど、俺、やっぱ後悔はないんだ」
「うん」
知ってる。知ってるよ。
「全部分かってて、覚悟して、俺はフォーク覚えたし、痛くても投げた」
「うん」
だってこれが初めてじゃない。今まで野球続けられただけでも、幸運ってくらいの。
「もし何度やり直せても、俺は同じ道を行くと思う」
「うん」
そうしたら僕はどうするだろう。今度こそ止めるだろうか。どうせ、無理だろうけど。
「だから、」
風が、止んだ。
「俺はやっぱり、野球が好きだよ」
「・・・うん」
日本に戻ったらリハビリを始めると言った。
でも、今回ばっかりは吾郎君の肩はもう、どうしようも、
僕の胸中を読んだみたいに、吾郎君は脈絡のないタイミングでひとつ頷いて、
「お前はさ、何時だって、俺の身体とか、肩とか、心配してくれてたけど、俺はいつかこうなるんじゃないかって、思ってたよ」
「そんなの、僕だって、」
僕だって、思っていたさ。君よりずっとずっと、思っていたとも。
だからこそいつも心配してたんだ。たとえ君が承知の上だと言っても、僕が良くない。
僕は、君が野球を出来なくなる覚悟なんか、一度だって出来なかった。
「どうすれば良いかは、おとさんと親父が教えてくれてたよ。・・・もう、ずっと前に。俺が右肩壊した時に、言われてたんだ。もし左が駄目でも、その時はおとさんと同じ野手でいいじゃねーか、てな」
それは、吾郎君のお父さんが、不可能ではないと体現して見せた道だ。
「俺はさ、やっぱ投げるの好きだったよ。拘りもなくて、左投げ転向何か出来ねぇ。でも、」
吾郎君の声には暗いものは混じっていなくて、それの違和感は強烈で、言葉は耳を上滑る。
「それは別に、他じゃ駄目だって、話じゃねぇ」
日本で野手として再興を目指すつもりだと、吾郎君は言った。
止める言葉なんかある筈なかった。それが何であれ、吾郎君の決めた事にどうこう言う権利も勇気も僕にはない。
投げやりになってなくて嬉しいとか、もう無茶しないで欲しいとか、色々ある筈なのに何一つ浮かばなくて。
ただ、やっぱり、と、思う。
『俺は野球の全てのプレーが好きなんだ!』
懐かしい台詞が蘇った。
あの時から、君は何一つ変わらない。
一方で、僕も何一つ変われないままだ。
本当は、僕がこうして落ち込んでいるのは、君が可哀想だからじゃない。
だって吾郎君は何一つ悲観していない。まだ何も、終わって何かいないのだ。
でも余りにも、辛くて、悲しくて。
吾郎君の苦労を思うと、とかじゃない。君の投手としての才能が惜しい訳でも、ない。
ただ、
僕が、君の球をもう捕れなくなったことが、哀しくて。
「1年」
「?」
「それで、復活して見せらぁ」
にやりと、吾郎君は笑った。
「・・・だから、」
瞬間、全ての表情を消して、
「う、ん?」
「お前も、それまでにどうにかして見せろ」
「・・・――― っ」
静かに、吾郎君は命令した。
その、いつしか色を深めた瞳に、真意は伺えなくて、
でも彼に対しては『最悪』を考えてしまう癖のある僕は、その表情の意味に、ひとつ仮説を立てた。
即ち、
彼は全部知ってたんじゃないのか、と。
僕は本当は打つよりも捕る方がずっと好きで、途中色々あったけどやっぱり最終的には君の球を捕る為に野球をやっていた。
でも吾郎君は僕と対決する方が面白いと思っていたから、何度も僕を突っぱねてすり抜けて、それが互いにとって最高なのだと、思っていたみたいだった。
僕はそれとは別に、君を好きで、好きで、好きだったけど、吾郎君がそんなこと知る訳ないし、野球という項目さえ取っ払ってしまえば彼と僕は無関係も同然だったから仕方ないと思っていた。
君は僕のことを何も分かってなくて、それは悲しいけど、仕方が無いことだと。
思って、とうに諦めた、のに。
「俺が引っ張り上げたのに、先に降りるのは悪いと思ってる」
でも吾郎君は知っていた。僕が、本当は何を望んでいたか。
全部知ってて、それでも僕をライバルにしか、してくれなかった。
「けど、俺が投げなくなっても、お前は野球が好きな筈だ」
「・・・そう、かなぁ」
ぽつりと、言う気の無かった本音が零れた。
もう、意味何か、無いように思える。増して好きかなんて、分からない。
ひょっとして殴られるかと思ったけど吾郎君は怒りの表情すら見せなかった。
ただ、淡々と、
「お前が野球を嫌いになるなんて、許さねぇ。だから、俺が戻って来るまでに、お前も復活して見せろ」
与えられた猶予は、1年。
成績不振とか、下手したらマイナー落ちとか、トレードとか、何を経ても、戻って来いと。
君の居ないマウンドで、バットを、或いはミットを、構え続けろと。
その両の手で、戦えと。
僕は君のライバルにしかなれなかったから、戦えなくなったら全部が終わる。
「じゃあ俺は、もう行くよ」
「うん。・・・僕も」
君が見えなくなっても、何処かを目指して、顔を上げようと。
たとえ、君がいなくなったとしても、
僕だってまだ、終われない。まだ終わりたく、ない。
それでも背を向けた吾郎君から目が離せなくて、
「・・・いつか、また」
ぽつりと落とせば、吾郎君は後ろ手を振った。
「ああ、またな」
さて、ではまた、
いつか何処かの、ダイヤモンドで。
+
最新744話受けて吾寿。寿君はメジャーリーガー続けてるのかな・・・。
吾郎は投げなくても野球を続ける事に意味があると思ってるけど、寿君は投手として吾郎を特別視してるから、今回一番衝撃を受けたというか、路頭に迷ったのは彼の方だったんじゃないかなとか。
『この右手で』→『この手で掴む』→今作 でちょっと3部作のつもり。『この手』3部作(笑)。
3作も書いといてオチがこれってどんだけ救いがないんだ。
301 諦めかけている自分へ、其れを始めた時の好奇心が今止めていいのか問うてきている