イナズマイレブン

□魔法の解けないシンデレラ
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「玲名の名前って、なんでこんなにかわいくない漢字なの?」

 例えば『菜』。
 例えば『那』。
 例えば『奈』。

 もっと可愛くて女の子らしい漢字が幾つもあるのだと知った4歳だか5歳だかの時、私は無神経にも両親に直接そんな質問をぶつけた。
「名前っていうのはね、とっても大事なものなのよ」
 一生、例え結婚しても、お墓に入っても無くならない、願いが篭もった記号。
 だから、私達の大事な貴方の名前には、大事な名前の『名』が入っているのよ。
 私の頭を撫でながら、母はそう言って微笑んだ。

 その翌日、母は父と一緒に、信号無視の暴走車に突っ込まれてこの世を去った。





 私は母の妹夫婦に引き取られる事になり、私の苗字は『八神』に変わって、1つ歳下の従姉妹は義妹になった。
 私の家は我ながらとても裕福だったので、彼女達の方が私の家へやって来て一緒に住む事になった。
 甘やかされ守られていた私にその現実は余りに壮絶で、それから一月程は酷く塞ぎ込み、余り記憶も残っていない。
 それでも、私を引き取ってくれた叔母夫婦に申し訳ないと、そして両親だってきっとこんな事は望まないと、どうにか立ち上がったその時、私達家族のものは何時の間にか無くなっていた。

 家の外壁の色が変わっていた。
 机と食器が新しい物になっていた。
 お手伝いさんが知らない人になっていた。
 私の服やアクセサリーは、殆ど義妹のものになっていた。
 残された私の部屋や両親の写真は、しかし私の振る舞いによって簡単に失われるのだと明確に悟った。

「玲名ちゃん、ねえ見て、かわいいでしょう?」
「うん。・・・そう、だね」
 義妹が裾を翻したふわふわの白いワンピースは、私の誕生日に母から贈られたものだった。
 彼女の足を包むきらきらの靴は、旅行に行った時に父に強請って買って貰ったものだった。

 ああ、これは、まるで、
 そうだ。まるで私は灰かぶりだ。
 それとも、彼女こそがサンドリヨンなのだろうか。
 最後に義姉から全てを奪い取る、主人公なのだろうか。





「わたしの名前、かわいくないって言われたのよ!」
 その日、幼稚園から帰ってきた義妹はそう言って泣いた。
 彼女の名前は忘れてしまったけれど、生前に母が良い名前ねと言っていた事は覚えている。
「こんな名前、いらない」
「そんなこと、言っちゃだめだよ。玲名のお母さんがね、名前は、とってもだいじなものなんだよって」
 少しずつ色んなものを無くして行く私に、揺るぎ無く残った響き。
 けれど、彼女は私の言葉なんか聞いてはいなかった。
「そうよ。『玲名』のほうがかわいい」
「・・・え?」
「ねえ、その名前わたしとかえてよ!」
 嬉々として言った彼女の言葉は、多分ほんの気まぐれだったのだろうけど。
( ・・・もう、だめ )
 このままじゃ、いつかこの名前まで盗られてしまう。
( まもらなきゃ )
 小さなリュックに、Tシャツや短パン、かさばらない少しの着替えと、そこそこの現金、1枚だけ家族の写真を詰めて、スニーカーを突っかけ、私は最寄り駅から電車に飛び乗った。

 電車、新幹線、バス、思いつくままに乗り継いで、3日程も誘拐も補導もされなかったのはちょっとした奇跡だ。
 その日、バスの終点で降りた私の所持金は遂に3桁になっていた。
 5歳かそこらの子供に、1人で生きる事など、最初から出来る筈も無い。
( これから、どうしよう・・・ )
 当ても無く歩きながら途方に暮れる。
 両親を失った私に、逃げる場所なんて、ある筈も無かったのに。

「ねえ、どうしたの?」
「・・・え?」
 涙を隠す事も出来ずに顔を上げる。眩しいくらいに紅い髪の男の子が、門の向こうから私を見詰めていた。保育園だろうか。門には『お日さま園』と刻まれている。
「あ・・・。れ、玲名は・・・」
「れいな? きみ、玲名っていうんだ?」
 ねえ、一緒に遊ぼうよ。彼は、あっさりと私を呼んで手を差し出した。
「誰ですか? どうしたのです?」
「あ、父さん!」
 大人の人が近付いて来て、男の子はそちらを振り返る。
「おや、君は・・・」
「!」
 大人に視線を向けられ、身が竦んだ。どうしよう。きっと連れ帰られてしまう。嫌だ。嫌だ。
 綺麗な服が無くても、綺麗な靴が無くても、どうか、どうか追い返さないで。
 だってあの家には、帰る場所なんか無い。
「いや・・・!」
 咄嗟に、身を翻して駆け出していた。

「ねえっ、ちょっと、待ってよ!」
 男の子の足は存外速い。殆ど半狂乱で走った。
 捕まる訳にはいかない。
「あ・・・っ!」
 下手な蝶々結びが解け、左足がスニーカーから抜ける。それは私に残された本当に僅かな物の1つだったから思わず立ち止まってしまって、その間にさっきの男の子が追い付いてしまう。
「逃げないで。大丈夫だよ」
 何が大丈夫なものか。きつく口を閉ざす。
「道路を走っては危ないですよ」
「御免なさい父さん。でも、」
 彼の丸い瞳が真っ直ぐ私を見詰める。
「ねえ、この子、玲名っていうんだって。いっしょにあそんでもいいでしょ?」
 ね、遊ぼうよ。快活な笑顔と共に、靴が手渡された。
「・・・ヒロト、彼女が気に入ったのですか?」
「うん!」
「そうですか」
 ヒロトと呼ばれた男の子はにっこりと笑う。その時はそのやり取りの意味なんか分からなかった。
 さて。スニーカーを抱えたまま固まってしまった私の肩が掴まれる。
「君、お家は? ・・・帰らなくても良いのですか?」
 手に力が込められた。酷く、怖いと感じる。けれども、私は殆ど反射的に頷いていた。
 まあ、あれから10年が経った今も結局捜されないでいるのだから、返答としては間違ってはいなかったのだろうけど。





「ふうん、じゃあ、俺のお陰じゃないか」
 逆立てた髪を楽しげに揺らしながら、ヒロト、否、グランが含み笑う。
「俺が、君を気に入ったから、父さんは君を迎えたんだ」
「そうだ。私を迎えてくれたのはお父様だ。私は、お父様にはとても感謝している」
 低く返せば、グランは肩を竦めた。
 私の過去何か、こいつに話すんじゃなかった。

「・・・馬鹿だなあ。折角綺麗な服を着て、大きな家に住んで、幸せに暮らせてたのに」
「良いんだ。結局私は『玲名』を失ったけれど、それでも、」
 家を捨ててでも守りたかった名前。けれど今、その名前を捨ててでも、守りたい人が居る。
「違うよ。君の義妹の方さ」
 言葉を遮ったグランの顔が、触れそうな程に近付く。
 ねえ、玲名。殊更ゆっくりと、『ヒロト』は囁いた。

「人から奪った名前で幸せに何か、なれっこ無いのにね」


 ウルビダさん生い立ち。
 玲名って字面はなんか惜しいなーとずっと思っている。私が。

Title by melanchoric

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