小説

□春始賦
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まだ薄っすらと雪が残る土手からは、ふきのとうが顔を出していた。川には雪解けの冷たい水が流れ、野には梅と桃の花の甘い匂いが漂う。山はこの時期独特のもやりとした霞に包まれ、木々は我先にと芽吹く準備をし始める…。
長い冬の終わりを告げるかのような穏やかな日差しの中、芭蕉は一人縁側で茶をすすっていた。

『もぅ一年になるのか―…』

東北への旅の出発から、一年目の春が訪れた。


気づくと、町の方からにぎやかな声が聞こえる。行き交う人々の手には桃の花や紙雛が握られていた。
そう云えばもうすぐ桃の節句だ。
芭蕉の脳裏に、旅に出発する前に譲った芭蕉庵がふとよぎった。
雛人形を飾っていたあの家族は…娘は元気にしているのだろうか。
一年前のことなのに、もう随分と遠い昔のように感じてしまう。

『私も年をとったのかな?』

春の気配はすれども、まだ頬をなでる風は冷たい。身体が冷える前に部屋に戻ろうと立ち上がった時、見慣れた白い長身が目に入った。
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