長編

□08.夕闇と手放した幸せ
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毎日、におーくんが傍に居た。
屋上で初めて出逢ったあの日から。
ただそれだけで幸せだった。
におーくんの、あの柔らかい雰囲気が大好きだったから。

でも、好きだと気付いてから同時に、ずっと怯えてた。
いつか、におーくんもあたしを嫌うかもしれない。
それが怖くて、手を離した。
顔を見ないでいいように、頑張って笑った。
久し振りに、無理して笑った気がする。
におーくんと居れば、ちゃんと笑えたのに。
また、昔のあたしに逆戻り。

午後の授業も頭に入らないまま、気付けば放課後。
ジャッコーくんに挨拶したのをぼんやり感じたけど、席を立てなかった。
いつの間にか日直の子に鍵を渡され、教室にはあたし一人きり。


(かえ、らなきゃ……)


夕日が徐々に闇に呑まれていく。
暗くなる前に、帰らないと。
カーディガンの上から消えかけた痣だらけの腕をぎゅ、と握る。

もう随分と暗い。
急がなきゃ。
急いで、走って、誰にも会わないように。
家に、帰らなきゃ。

職員室に鍵を返し、ローファーに慌てて履き替えて走り出す。
もう部活も終わった時間みたいでグラウンドに誰もいない。
テニスコートだけが、ナイターの明かりで眩しかった。

きっとにおーくんはあそこにいる。
目も眩むほど明るい、あの場所に。
あたしが、関わっていいような人じゃなかったんだ。
立海テニス部の、レギュラーなんて輝かしい所にいる人。


(………ごめんね。ほんとに、ごめんなさい)


下唇を噛み締めて、あたしは学校を後にする。
家の近くに着くまでは走り続けるしかない。
じゃないとまた……。

息が徐々に上がって苦しくなる。
ローファーだと走りにくくて何度も転びそうになった。
でも、歩くなんて出来ない。
もうあんなことは絶対にしたくないから。
この先の角を曲がって、そうしたら……。


「あれぇ?苗字ちゃんだよねぇ?」
「っ………!!」


あたしの進行方向からの、高い声。
久し振りのそれに頭の中で警告音が鳴り響く。
それでも、あたしには後ずさることしか出来なかった。
今すぐ逃げ出したいはずなのに。

それなのに、あたしは逃げられなかった。
違う、逃げなかったんだ。
もう一度堕ちてしまえばきっと楽だと思ってしまったから。
あたしは黙って、差し出された手を掴んでしまった。



夕闇と手放した幸せ


これで、あたしはまたひとりぼっち。




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