氷帝
□日だまりの中
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休日の昼下がり。
俺は名前さんと道場にいた。
道場の端に座っている名前さんは何をするでもなく、俺を見ている。
「…名前さん」
「ん?」
「見てるの、退屈じゃないですか?」
躊躇いながら訊いてみたら、名前さんは笑顔の否定の言葉を口にした。
どうやら本当につまらないとは思っていないようだ。
「だって、古武術やってる若カッコいいもん。全然飽きないよ」
「そう、ですか」
「……でも、ちょっとゆっくりやって欲しいかな。折角のお休みなんだし」
飽きないと言ってくれたばかりか、俺のことまで気遣ってくれた。
いつも思うが、気を遣わせすぎてしまってる気がする。
「じゃあ、少し休みます」
「うん。はい、飲み物」
名前さんの横に座ると、持って来てくれいたのかペットボトルを差し出してくれた。
まだ充分に冷たい。
「それ、ペットボトルフォルダーに入れといたの。保冷剤も一緒に入れてたから冷たいでしょ?」
「ありがとうございます」
パキュッ、と音を立てて開けて喉に流し込むと、ひんやりと体が冷えるのが判った。
冷たくて気持ちいい…。
「ねぇ、若。あたし、ここにいて大丈夫?」
「平気ですけど…。急にどうしたんです?」
「今更なんだけど、道場って神聖な場所だって言うでしょ?だから、あたしなんかが入っちゃっていいのかなぁって」
確かに、幼い頃から道場には部外者を入れるなと教わってきたが。
今はそれを厳しく言う父も外出していていない。
つまりは俺の判断に文句を言う人がいないというわけだ。
そうとなれば名前さんを道場に上げるのは当たり前だろう。
「俺しかいないから気にしないで下さい」
「でも…」
それを気にし始めた途端、名前さんの瞳が不安そうに揺れた。
不安がる必要なんかないっていうのに。
「じゃあ休憩がてら、縁側にでも出ましょうか」
「…うんっ!」
そう誘うと嬉しそうに頷いてくれたので、俺も少しホッとした。
何より笑顔が可愛らしく見えた。
「縁側って暖かいねー…」
「そうですね。今日は陽射しもありますし」
「……一つ、お願いしていい?」
「いいですよ。俺に出来ることなら」
「肩、借して…?」
「はい。それくらいなら全然…」
言い終わる前に俺の肩に頭を預けて来た名前さんは目を閉じていた。
穏やかなその顔はいつにも増して端正に見えて。
何だか触れてはいけない人のような気がした。
(こんな時間を過ごすのも久し振りだな…)
最近は俺も名前さんも何かと忙しくてこうやってゆっくりと過ごすことが出来なかった。
俺はテニスで、名前さんも部活。
特に名前さんは大会もあって、休みが全くなかった。
地区大会が無事に終わったからと、ようやく一息吐けたらしい。
(名前さん…。綺麗だな…)
ゆっくりと見つめる時間もなかったからか、改めて気付かされたが本当に綺麗だった。
日に当たっても黒くて艶やかな髪。
顔に影を見せるくらい長い睫毛。
ほんのりと赤い頬も。
全てが名前さんを際立たせている。
(……キス、してもいいか…?)
見つめ続けていると無性に唇へと視線が釘付けになってしまった。
(…すいません、今回だけは許して下さい)
心の中で懺悔をしてからその唇に自分のものを重ねた。
柔らかな感触に自分の口角が思わず上がるのが判る。
「……若?」
「……すいません。どうしてもしたくて」
「あたしも、したかったからいいよ。だから…」
もう一回、してくれない?
そんな甘い言葉を囁かれたら、もう自分を止められなかった。
日だまりの中
いっそこの温かさに飲まれて溶けてしまいたいと出来もしないことを心から望んだ。
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