立海

□杞憂したのは、愛故に
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春を名前と迎えるのはもう三度目になる。
新緑眩しい桜の木に、オレンジを飲み込もうとする海。
右手には、名前の小さな手。
変わらぬ日常に思わず表情が緩む。
幸せな、高校二年目。


「今日も一日終わったね」
「そうじゃな。一日お疲れさん」
「雅治こそお疲れさま。今日も大変だったんでしょう?」


ふんわり笑う名前は、正直とても綺麗になった。
夕日に照らされた黒髪がきらきらとして、ふとそんなことを考える。

付き合い始めた中三のころは、かわいらしさが際立っとった。
少し小さめの体躯で何事も一生懸命に取り組んで。
放っておけない、かわいい女の子だった。

そんな名前は、高校に進学したことを境に女らしさを増した。
小ささを感じさせないようになり、いつの間にか艶やかになって。
そんな名前の変化は、ただ大人になり始めただけなんだろうか。
もし俺が考えてるような理由なら嬉しい反面、ほんの少し悲しい。


「雅治、今日時間ある?」
「平気じゃけど。どっか行くんか?」
「ちょっと雑貨屋さんに。新しいシュシュ欲しくて」
「ええよ。名前に似合うやつ、一緒に探そ」
「ありがとう」


はにかみながら礼を口にする名前がかわいくてかわいくて。
腰に手を回してぴたりと密着。
そこで少しの違和感。
まあ嫌なものではないが。


「なんか甘い香りがするのう」
「それ、多分あたしかも。さっき香水つけたから」
「それでか。ちょっとよか?」


赤信号なのをいいことに後ろからぎゅう、と抱き締める。
首筋に顔を埋めると、名前が固くなった。
…ほんとにかわいいのう。


「ま、雅治っ…!何して、」
「いい香りじゃなあ、って思ったらつい」
「もう……。気に入ってくれたなら、いいけど。急にあんなことされたからびっくりしたじゃない」


顔を真っ赤にして、拗ねたように視線が外された。
そういう仕草は昔から変わってない。
名前の少し子どもっぽいところも、俺は好き。
だから、


「……無理は、せんでよかよ」
「え?今なんて言ったの?」
「ん、名前好いとう、って言っただけナリ」
「あたしも、好きだよ」


幸か不幸か俺の声は届かなかったらしく、上手く誤魔化した。
好きだと言ってくれるのは、もちろん嬉しい。
ただ、少しだけ不安。
無理をさせてるんじゃないかと思うと、胸がざわつく。

今の名前は、綺麗じゃ。
誰が見たってそう見える。
それが、不安。
昔はかわいいものを好んでたのに、高校生になってからは綺麗系ばかり。
香水だってそうだ。
俺が好むような香り。
甘くて、それでいてナチュラルな。
いつだか俺がつけたらいいんじゃないか、と言ったから。


「あたし、この香り好きだよ」
「、え?」
「あれ?違った?なんだか難しい顔してたから。あたしがこの香水、嫌いなんじゃないかとか考えてるのかと思ったんだけど」


勘違いだなんて恥ずかしいなあ。
なんて言う名前の笑顔は付き合い始めたころとなんら変わらなくて。
杞憂、だったのだろうかと安堵感が広がっていく。


「ほんとに、嫌いじゃなか?」
「うん。じゃないとつけてられないもん」
「最近の私服も、ちゃんと好きで着とる?」
「もちろん。急にどうしたの?そんなこと訊いて」


無理をさせてないと判った途端、ほっとしたせいか視界が滲み始めた。
ほんとに、本当によかった…。


「雅治?」
「っ…なんでもなか。ほら、早くシュシュ買いに行くぜよ」
「え、ちょっと本当にどうしたの?」
「名前に似合うやつ片っ端から買うてやるきに、覚悟しんしゃい」


名前の手を引いて先を歩くことで、涙目を隠す。
一人で不安がってたなんて、阿保らしくて誰にも言えん。
恥ずかしいのは、俺の方じゃ。



杞憂したのは、愛故に


雑貨店で名前につけて欲しいやつを本当にあれこれ買おうとすると、名前が一つでいいと必死で止めて。
仕方ないから選んだ中で一番かわいらしいのを買うと、ものすごく大切そうにしながらすぐにつけてくれた。
結果、判ったことが一つ。
名前はなんでも似合うということ。
本当、悩んどったのが馬鹿らしい。
俺の横で甘い香水の香りをさせて笑う名前は昔のまま、かわいいかわいい女の子だった。



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