立海

□視界一杯
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今日は久し振りに中学男子テニス部に行くことになった。
精市が時間あるなら来てくれ、って言うから。
……あの顔はお願いというより脅迫に近い何かがあった気がするけど。
自分の命が惜しいんで何も言いません。


「ほら、ちゃんと来たでしょ?」
「フフッ。当たり前ですよ、名前先輩。来なかったら、明日から一週間くらい学校欠席にさせるところでした」


部室に入って精市に顔を見せると、そんなことを笑顔で告げられた。
何をする気ですか、なんて訊けるわけない。
仮にも後輩の精市に怯えるのも傍から見たら可笑しいかもしれないけど、精市はやるって言ったらやる男だ。
明日から学校に来れないなんて、色々と困るから絶対に避けたい。


「で、何であたしを呼んだの?急に呼ぶくらいだから何かあるんでしょ?」
「さすがですね。いや、簡単なことですよ。ただ、いてくれればいいだけなんで」
「……はい?」
「最近部員達の士気が低くて。名前先輩がいるってだけであいつらもやる気出すと思って呼んだんです」

変わらない笑顔をあたしに向けながら、とんでもない用件を言ってくれた。
だって、要するにあたしは部活が終わるまで暇なわけだ。
何時間も座ってるだけだなんて、とてもじゃないけど堪えられない。
うん、無理。


「ああ、折角なんでマネージャー業とかしてもらえると助かるんですけど。いいですか?」
「喜んでやらさせて頂きます」


暇じゃなきゃそれでいい。
それに現役でマネージャーしてるんだからむしろそっちの方が助かる。
動いてないと体がウズウズするしね。
でも、マネージャー業って…。


「…中学ってマネージャー、いないの?」
「知りませんでしたか?名前先輩が高校に行ってからずっと居ませんよ。ろくな子がいないんで」


綺麗な笑顔で爆弾発言をかます精市だけど、マネージャーがいないのはきっと大変だろう。
だから今日一日くらいはサポートしてあげよう。
可愛い、後輩たちのために。










そうと決めたら早いもので、さくさくとマネージャー業をこなす。
精市が言っていたことが嘘みたいに皆は部活に励んでいた。


「名前先輩ー!今の見てました!?」
「見てたよー!その調子でね!」
「うぃーっス!」


あぁ、赤也の笑顔可愛いっ…。
今すぐ頭撫でたい…。
あのくせっ毛、撫で心地抜群だし。


「名前さんは相変わらずよう働いてくれるのー」
「雅治。はい、ドリンクとタオル」


赤也を見ていると後ろからひょっこりと現れた詐欺師クン。
…雅治も髪ふわふわしてたよね。
さ、触りたい……。


「はぁー。やっぱマネージャー居ると助かるぜよ。俺もはよう高校に上がりたい」
「頑張ってね、雅治。高校に来たらいっぱい面倒見てあげるから」


あたしがそう言えば、雅治は穏やかな顔であたしの頭を撫でて背を向けた。
……頭、撫でられた。
撫でたかったのに、撫でられちゃった。


「……次は撫でてやるんだから」
「それでしたら、私にして頂けませんか?名前先輩」


ふと気付けば比呂士が後ろに居た。
……詐欺師と紳士が同じ登場の仕方。
でも、何で後ろから…?


「こんな簡単に背後をとられるほど、無防備ということです。もう少し周囲を警戒して下さい」
「……読心術?」
「いえ、勘です」


眼鏡を指で押し上げた今日は似非紳士の比呂士。
…その仕草、何かちょっとかっこいいな。


「で、何で仁王くんの頭を撫でたいんですか?」
「雅治じゃなくてもいいの。赤也とか、ブン太でもいいよ」
「……まさかとは思いますが、まだ治ってないんですか?」
「そのまさかなんですよ、比呂士くん」


返答を聞くなり、盛大に溜め息を吐かれた。
悪かったですね、こればっかりは治んないし、治す気もないですよ。
だって、気持ちいいじゃない。
フワフワした髪が指の間を通るあの瞬間。
堪らなく幸せになるの、あの手触りで。

そう真剣に熱弁したのに、比呂士は一層呆れたような顔をした。
そして、溜め息をまた一つ。
……絶対アホだと思ってるな、これは。


「私にすればいいじゃないですか。仁王くんたちのようにフワフワしてませんが」
「だって、比呂士みたいな髪質じゃ物足りないんだもん」
「撫でてから言って下さい。ほら、どうぞ」


ベンチに腰掛けた比呂士はあたしに頭を向けてきた。
……これは、マジで撫でるの?
でも、絶対物足りない。
比呂士の髪、サラサラしてるって見て判るし。
でも撫でなきゃこの話、終わんないよね。
……一回だけ、一回だけ撫でれば…。
ん……?
……これは…


「どうですか?」
「………ぃ」
「…はい?今何て…」
「ヤッバい気持ちいいー!!何これ、めっちゃいいんだけど!」


いいね、さらさら!
気持ちいいわ!
偏見持っててゴメンってマジで謝りたい。
はぁー…気持ちいい…。


「名前先輩。気に入りましたか?」
「そりゃもう!大・満・足だよ!」
「では、金輪際他の方の髪は撫でないで下さいね」
「…へ?何で?」
「私の頭撫でたいなら他は駄目ですよ。撫でたらもう触らせてあげませんから」
「えぇー!比呂士のケチ!!」


赤也とか雅治も駄目ってこと!?
でも、比呂士の頭触りたいしなぁ…。


「……………我慢する…」
「いい子ですね、名前先輩」


比呂士の口元が綺麗な弧を描いた。
…何だか丸め込まれた気がしないでも…。


「先輩が私を気に入ったならその他なんてなくて構わないでしょう?」
「まぁ、そう言われて見ればそうかも…」
「私も、名前先輩が居ればそれでいいです」
「……比呂士?」
「今の言葉、ご理解頂けましたか?」
「え、っとそれは…」
「こういう意味ですよ」


私の真っ正面に立ち、比呂士は眼鏡を外した。
久し振りに見た鋭い目に息を飲むと、唇が触れるか触れないかの距離で比呂士が妖艶に笑い、呟いた。


「貴女の瞳に映すのを私だけにして下さい」


瞬間、あたしは瞳を見開いた。
だって……。


「ご馳走様でした」


そう言ってまた妖しく笑った比呂士から、視線を外せなくなったのは、他でもないあたしで。



視界一杯


もう、キミ以外見えなくなった。




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