立海

□騒音に響く澄んだ声
1ページ/1ページ



煩わしいと思うようになったのはいつからだったのだろう。
生きている限り、周りに溢れんばかりに存在する音、おと、おと。
否、正確に言えば音とは少し違うかもしれない。

他人の声が、疎ましい。

騒がしい女の甲高い声、くだらないことばかりを話す男の声。
どれもこれもあれもそれも、全てが嫌いだ。
部員ならば少しは許せもしたが、自分がその環の中にいないと苛立ちは増す。
子供の嫉妬の類いにも似た感情なのかと思いもしたが、どうにも違うらしい。
一体、どうしたらいいのか。
この人生最大の悩みは、解決できない気がした。


そんな陰欝な日々に躯は疲れ果て、癒しを求めて訪れた図書室の隅の隅。
適当な本を片手に隠れるように赴けば、すでに先客がいた。
その存在に苛立ちが募ったが、女は気付かず頁を捲る。

できればどこか別のところに行ってほしい。
そんな思いも込めてわざと本を強めに置くと、女はようやく顔を上げた。
ぱち、と一つの瞬きの後、こちらを向いた女に俺は口を噤む。
その女の異様なまでの蒼い瞳に声を出せなかった。


「……ここで、読書するの?」


小さく自分の意思を声にした女はまっすぐに俺を射抜く。
なんて静かな声音なんだろうか。
そんな場違いに近い考えは返事を弾き出そうとしてはくれない。


「ここ、静かでいいものね」


ぱたん、と自分の手の中の本を閉じると女はゆっくりと立ち上がって俺の横を通り過ぎた。
去り際に一言。


「今日はとても温かくて気持ちいいよ」


とだけ残して。










女の名前は苗字名前。
クラスはA組。
成績はやや優秀。
美化委会に所属。
これが昨日の女について一晩で知り得た一部。
その他にも多くのことを情報として手にし、それを紙面に書き起こしたがどこにでもいる女と変わらない。
あの女の何がそんなに気になるのか、自分でも全く分からない。
ただあの瞳は、あの声は。
ひどく澄んでいて、不快に思わなかった。
躯や心が僅かに軽くなったように感じる。
もう一度。
もう一度、会いたい。
そんな淡い夢は、思いの外あっさりと叶った。


「おや、柳くん。何かご用でしょうか?」
「…今日の部活内容の変更連絡にな。アップ次第各自ペアで練習とのことだ」
「ああそうでしたか。わざわざご苦労様です。真田くんは生憎と不在ですから、私から伝えておきますね」
「頼んだ。それと柳生。……そこの彼女は、友人か?」


柳生の前の席。
そこの椅子を柳生の方に向け、読書に勤しむ女は間違いなく俺が会いたいと願った人物。
俺たちの沈黙の間に、ぱら、と頁を捲る音が嫌に響く。


「そう、ですが……。名前さんがどうかしましたか?」
「いや……。どうということもないが…」
「珍しいですね。柳くんがそんなに言い淀むなんて」
「…たまにはこういうこともある。彼女は、読書が好きなのか?」
「ええ。昔からですよ。名前さん、少しいいですか?」


昔から。
二人は旧知の仲なのか、それとも。


「何?今すごくいいところなの」
「本当に少しでいいですから」
「仕方ないなあ。少しだけだよ?あれ、貴方は確か昨日の…」


透き通るような声に蒼い瞳が俺に向く。
何故かどこか奥深くを見られている錯覚に陥る。
それなのに心地いいと感じる俺はついに頭をやられたのか。


「…昨日は邪魔をしてすまなかった」
「いいよ。気持ちよく読書できた?」
「ああ。おかげさまでな」
「あたし何もしてないよ。あそこがいい場所なだけ」


小さく笑った女はどこまでも謙虚だった。
なんて、なんて綺麗な人なのだろうか。
ようやく自分が何故固執していたのかを思い知った。


「昨日、何かあったのですか?」
「比呂士には内緒。ねぇ……えっと、」
「柳だ。柳、蓮二。蓮に、漢数字の二で蓮二」
「柳蓮二……。綺麗な名前だね。あ、柳くん」


昨日のことは内緒、ね。
一方的に結ばれた秘め事がやけにくすぐったく嬉しかったなんて言ったら、彼女は俺を馬鹿にするだろうか。



騒音に響く澄んだ声


どうかいつまでも俺の救いであれと勝手に彼女の澄んだ蒼い瞳に願った。
俺の世界の、ただ唯一の静寂。




.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ