企画部屋

□ウレシセツナシ
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気づかないだけなんだよね。

ぽつり、風が吹き込む部室に声が落ちた。
それを放ったのは部室を掃除していたマネージャー。
聞いたのは、一足先に部室に戻っていた俺だけ。
俺に向けて言ったのかは判らなかった。
箒で床を掃きながら、小さく小さく言ったものだから。


「…マネージャー?」
「なに?幸村くん」


俺に視線を向けた苗字さんは、いつもとなんら変わらない顔していた。
明るいショートボブが少し揺れる。


「いま、なにか言わなかったか?」
「なにも言ってないけど」
「そう」


それ以上会話は続かず、苗字さんはちりとりでゴミをとる作業に移った。
確かに聞こえたんだけど、なにも言ってないと言われたら追求するわけにもいかない。
なにより、苗字さんはそれを望まないんじゃないだろうか。

ゴミ袋の口を縛り、部誌を持って出て行った苗字さん。
それと入れ違いに戻ってくるレギュラーメンバー。
部室が途端に騒がしくなる。


「あー、腹減ったなあ」
「丸井先輩、昼たくさん食べてたじゃないっスか」
「そんなの残るわけないじゃろ、丸いブタちゃんは消化が早いんじゃよ」
「誰がブタだ!誰が!」


すっきりとしていた空気がどこか変わった気がした。
みんながいるのは、好きなんだけどな。


「赤也ー、帰りにちょっと飯食ってこーぜ」
「すんません、今日はパスでー」
「はあ?またかよ。つうか最近付き合い悪くね?もしかして彼女できたとか?」
「彼女なんかいないっスよー。でも欲しいっスよね」


明るい赤也と丸井の声。
それに混ざって柳生と仁王、ジャッカルの話し声もする。
弦一郎や蓮二は静かに黙々と着替えを進めていた。
なんだか妙な感じがする。
なにかなくしたような、そんな不安感。


「すまない、弦一郎。今日鍵を任せてもいいかい?」
「うむ、構わん。なにか用事か?」
「…ああ、急ぎなんだ。悪いね」
「そうか。じゃあな、精市」
「ああ、また明日」


他のみんなにお疲れ様、と言って部室を後にする。
急ぎの用事なんか、ないっていうのに。
どうしたんだ、俺は。
ただ、今更戻るわけにもいかず学校を後にする。
疲れているだけだろう、きっと。
ゆっくりと帰路を歩くと、反対車線に見慣れた姿があった。
街頭の灯を受けてブラウンの髪がきらきらと光っている。


「マネージャー」
「……幸村くん」


俺の声で足を止めた苗字さんは驚いたように目を丸くした。
瞳、意外と大きいんだな。


「帰り、いつも一人なのか?」
「うん。他の部活は終わるの少し早いから」


こんな夜道を一人で帰ってたのか。
そういえばレギュラーみんなで帰ることはままあるけど、苗字さんも含めて帰ったことは。


「それじゃあ、お疲れ様」


小さく頭を下げて苗字さんは歩き始めてしまった。
交通量は少なく、道幅もあまり広くない道路なのに苗字さんが、遠くに見える。


「マネ……苗字さん!」


俺の声にあからさまな驚愕を見せて苗字さんは振り返った。
初めて、だったんだ。
彼女を「マネージャー」と呼ばなかったのは。
一年のころからずっと一緒にやってきたのに。
俺たちにとって彼女の存在は当たり前で、感謝なんてしたこともなかった。
いることが当然、サポートだってそう。
俺たち部員と彼女の間にはいつしかそうした壁があって。


「一緒に、帰らないかい?」
「……………え?」


今ではこんな些細な一言で、ひどく彼女を驚かせるような関係になってしまった。
同じ駅に行くというのに、一人で帰らせる必要なんかない。
むしろ彼女は女の子なんだから、一緒に帰る方がいいのに。
なんで、今まで気づけなかったんだろう。

車が来ないことを確認して、道路を横断してしまう。
信号は近かったけど、そんなの待ってられない。


「一緒に帰ろう。電車通学だよね」
「そう、だけど。あたし、マネージャーだし…」
「マネージャーだって部員の一人だよ。仲間、なんだから」


仲よく、してほしいかな。
今更すぎるかもしれない。
虫がよすぎるかもしれない。
それでも気づいたのだから、これからは一緒にいたい。
大切な仲間なんだから。
独りよがり、だろうけど。


「明日からは、みんなで帰ろう」
「…うん」
「休憩のときは一緒に休んでさ」
「……うん」
「みんなで頑張ろうよ」
「そ、だね…みんな、でっ…」


はぁっ…と苗字さんが空に息を吐く。
そのとき見えた瞳は、いつもより潤んで見えた。


「明日から、よろしくね」


笑顔と一緒にひとしずくだけ、涙が落ちた。



ウレシセツナシ


翌日からぎこちなさは残ってるものの楽しそうに部員と接する苗字さんが見られた。
嬉しいのになんだか切ないのはどうしてだろう、ね。




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