氷帝

□消えた、焦燥
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名前さんは常に、傍に居てくれた。
今も、それは変わらないが。
だけどこの間、街で擦れ違った誰かが言っていた言葉が脳内を掻き乱す。
意識などしていなかった分、余計に焦燥感が強まる。


「若、」


随分と前から、腕の中で俺を呼ぶ声が何度も響く。
確かにその声は耳に届いている。
でも、返事をする余裕がない。
どうしてこうも胸騒ぎがするんだ。


「………何をそんなに焦ってるの?」


俺の心を見透かしたような、言葉。
何で、判ったんだ……?


「ねぇ、話してみて?」
「………笑いませんか?」
「もちろん。だから、お願い」


腕の力を緩めれば、穏やかな笑顔を見せる名前さんと目が合う。
本当に、愛おしい。
故の、


「…………不安、なんです」
「不安?」
「もう半年と少しも過ぎれば、貴女は卒業して、……俺から離れて行ってしまうから」


以前に外部へ進学すると告げられたその日はただ、頑張って下さい、と思っただけだった。
でも卒業したその次の日から会う機会は格段に減るのは事実。
だから、何の気なしに耳にした『卒業』という必ず訪れるものが。
堪らなく、恐ろしく感じた。
そう思うと今この一分一秒すら、名前さんを離したくなくなった。
できる限り腕の中に閉じ込めておきたくなるほどに。


「大丈夫だよ、若」
「何を根拠にそんなことっ…!」
「だって、あたしも同じだから」
「…………え?」


名前さんも不安、だと。
そんな素振り、一度だって見せなかったのに。
本当にそう想ってくれているんだろうか?


「若が思っている以上に、あたしは強い女じゃないよ。だって、」


若と、一つしか歳変わらないじゃない。
そう口にした名前さんは、困ったような、哀しんでいるような顔で笑っていた。
そんな顔は、今までに見たことがなくて。
瞬きすら忘れさせられた。


「あたしは進路上、どうしても氷帝には上がれない。でもそう決めた時、真っ先に若を思ったんだよ」
「俺を……?」
「たった一つの年の差に、負ける気がしたの。初めてだったよ、自分の年齢を疎ましく思ったのは」


同じ不安を、同じ想いを。
でも、俺よりもずっと先に名前さんはそれを踏まえ、予想したんだろう。
二人の関係自体に終わりが来るかもしれないという、最悪なシナリオを。
俺のように一人、悩んで。


「あたし、若と一緒にいたいよ。若が、あたしを捨てるまで」
「捨てるだなんて……有り得ないですよ。俺からは絶対にないです」
「あたしもないよ。なら、大丈夫でしょ?」


名前さんの一言、一言に安堵する自分が居るのが嫌でも判った。
どんなに強がって、背伸びしても。
俺には名前さんのような言葉は言えなかっただろう。
名前さんが年上という事実に、今は救われた気がする。


「……ありがとうございます」
「急にどうしたの?」
「名前さんが、自分の気持ち教えてくれたお礼です」
「じゃあ、あたしもありがとね。若の気持ち聞けたから」


いつの間にか消えた焦り。
それを心で確認し、俺は名前さんを再び抱き締めた。
ただただ優しく。


「あたしたち、このままの関係で続いて行けたらいいね」
「いいね、じゃないです。続くんです」


そう言うと、名前さんが顔を上げて笑い掛けてくれた。
もう何処にも、不安の影はない。
俺にも、彼女にも。




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