頂き小説

□甘夏さまのフリーSS
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「せんぱーい!」

やっと秋の涼しい風が吹いて、クーラーのない俺の部屋でも快適に昼まで眠れるようになった。
そんなある秋の休日。練習はないし親は朝早くから弟連れて出かけてるしじいちゃんは離れだし、で、好きなだけ惰眠をむさぼろうと、昨日は明け方までゲームをしてたんだ。
そうして東の空が白む頃に眠りについた俺に、今、窓の外から馬鹿でかい声が聞こえた。
俺は意識を一瞬持っていかれそうになり、往生際悪く枕に頭を押し付けた。あれは夢だ幻聴だ気のせいだ。そうに違いない。そうあってほしい。
しかしそんな俺の必死の抵抗もむなしく、開け放った窓から、ご近所に迷惑を掛けかねない大声が聞こえた。

「せんぱーい!いないんですかー!?」

俺は頭に来ながら起き上がると、窓から顔を出した。眼下に広がる光景の中、ばかでかい男が、自転車の傍らに突っ立っていた。
そのあけっぴろげな笑顔と、無邪気に振られた両手に殺意すら覚えながら、俺がなんて怒鳴ってやろうかと息を吸い込んだ瞬間。

「せんぱーい!寝坊ですかー!?」
「なんで寝坊なんだばか!」

思わず思っていたこととぜんぜん違うことを返して、それがために会話が成立したことに舌打ちをする。
言いたいことでかぶってるのは、ばか、だけだった。
俺は窓の桟に上半身を預けてわずかに身を乗り出し、大地を眺めた。
大き目のデイパックを肩に担いで、ジーンズとスニーカーとTシャツは、要するにどっかに出かける格好だったけど。
なんで、俺の家の前にいるんだ。

「大地、お前、何してんの」

根本的なことを問うと、思いも寄らない答えが返ってきた。

「先輩を迎えに来たっす!」
「はあ?」

俺が、下手したら大地を傷つけかねないくらいに冷たく返したのに、まったく堪えていない大地は、力強く言った。

「一緒にでかけましょう!」

本当に、こいつは何を考えてるのか、脳みその中身を見てみたいと思った。俺は明らかに寝起きで、家から出てもいない。
そもそも、だ。

「俺、お前と約束してたっけ?」

そんな約束があれば、俺は当然ゲームなんてやらずにさくさく寝ていただろうし、こんな朝9時くらいに起こされて、結局4時間くらいしか眠れないで(これは俺にとって比較的短い睡眠時間だ)腹を立てることもなかったと思う。
だけど、俺の記憶が確かなら、そんなもんはしていない。
昨日、一緒に帰った道々の会話を頭の中で再生しながら、確認する。いや、してない。してないって。

「してませんよー、してないですけど来たんです!」

まったく予想通りの返事に、俺は窓から崩れ落ちるようにひざを付いて座り込んだ。
外からは「え、え、え、先輩!?」と、急に窓から見えなくなった俺を探して、おろおろしてるだろう大地の声が聞こえる。
ああもう。どうしてくれようこのバカを。
ここまで迎えに来ているこいつを俺は追い返せないし、そもそもそれを知ってて迎えに来るこいつは、本当の意味での確信犯だ。自分が正しいと思ってるから。

俺はため息を付いた。とりあえず、すぐには無理だから、大地を家に入れてやろう。そのためには玄関に行かなきゃならなくて、それはこの、俺の安楽な部屋を出ることを意味する。
どこに連れて行かれるかわからないけど、俺は今日一日の受難を思って、天を仰いだ。




大地に一応、茶を出してやって、その間に支度した俺を待って、二人で玄関を出る。
俺が自分の自転車を出そうとすると、大地が止めた。

「いーんす!俺が漕ぎますから、先輩は乗っててください!」

はあ。そうですか。あんまり機嫌がよくない俺は、何を言う気も失せて、黙って大地のチャリの荷台に後ろ向きに乗った。
それを確認して、大地は自転車にまたがって、力強くペダルを漕ぎ出した。

秋の気持ちいい風が、頬をなでていく。
さかさまに通り過ぎる風景が面白くて、俺は、さっきよりは少しだけ機嫌がよくなった。
ゆっくりと走る自転車でも、後ろ向きだと捕まるところがないから、少しだけ怖い。俺は心持ち膝頭を開いて、荷台のすみっこをつかんだ。
そうして空を見上げると、雲と反対方向に進んでるのがよくわかる。俺は、そうやって空を見上げたまま、大地に声をかけた。

「だーいちー」
「はいっ」
「どこ行くんだー?」
「海です!」
「はあ?!」

俺は荷台から転げ落ちそうなくらいにびっくりして、思わず声を上げた。

「ちょ、大地、片道だけで50キロ!最低でも!」
「だいじょーぶだいじょーぶ、ちゃんと母さんにお弁当作ってもらいましたから!」

ちがう!と俺は叫んで、荷台にしがみついたまま、大地を振り返った。

「止まれ!おろせ!ばか!」
「えええ、だっておろせないし止まれませんよ、ほら!」

大地がそういったとたん、ぐんとスピードがあがって、俺は体が後ろに傾くのを感じた。
俺の背中が、広い大地の背中に支えられている。風景がさっきよりも早く、まるで飛んでいくように、目の横を通り過ぎていった。
横、なんだ。俺の背中は大地を感じて、なんだか後ろ歩きを超特急でやってるみたいに、感覚がおかしくなってる。
世界は逆に流れて、目の前の光景はどこかにどんどん吸い込まれていった。
そんな俺たちを乗せて、自転車はなめらかに坂を下りていった。
そうしている以上、確かに、急に止まるのは危ない。まして俺は、今、命の全部をこいつに預けてるんだ。そう思ったらぞっとした。
だけど。

「大地!無理だって!」
「えー!?じゃー止まるんすか?!命がけっすよ!」

あまりにもあほな回答に、俺は絶叫した。

「ちっがーう!」

そんなことを言ってるんじゃない!
そのとき、急に視界が斜めから平らになり、スピードが落ちた。
心臓はばくばく言ってるけど、そうして体中が妙な熱を持ってるけど、指先だけは、すごく冷たかった。
そんな状況で、物も言えない俺を乗せて、大地はますます調子に乗ってペダルを踏む。

「せんぱい、行きますよー!」
「やめろ!」

どんだけ言っても大地は聞く耳を持たず、俺はぐったりしながら自転車の後ろに座り続けていた。
だけど、だんだん指先は痛くなってくるし、ケツも痛いしで、とうとうたまりかねた俺は、大地に話しかけた。

「だーいちー」
「はいっ」
「そろそろどっかで休まねー?」
「あーそっすね。もう一時間くらいたちましたかねー?」

そうしてその一時間で、俺は坂道を登って降りて、死ぬほど恐ろしい目にあっている。
もう、ほんとうにどうしてやろうかこのバカ。
ひそかに俺が、こいつへの復讐に燃えた瞬間、またも俺の思考をすっとばした回答が頭の上から振ってくる。

「でもー、休んでたらすげ遅くなるんで!すんませんけど、ノンストップで!」

言った瞬間、また自転車のスピードが上がる。
俺は正直、怒る気力もうせていたから、もう何も言わなかった。
でも指先もケツも痛くて、だんだん嫌になってきた。
だって、今日は、すごいのんびり過ごす予定だったんだ。
なのになんで、急にたたき起こされて、行きたくもない海なんて行かなきゃならないんだ。
でもここまで来たら引き返すのも大変で、おまけに妙に大地は必死になってペダルをこいでる。その真意はわからないけど。
また少し下り坂になって、俺は大地の背中に自分を預けると、空を仰いだ。
早く辿りついてくれないと、俺が消耗する。気持ちも体力も。
さっきは楽しかった空を見ることも、反対に流れていく風景を見ることも、もう楽しくない。
大地はペダルをこぐのに集中してて、会話もない。
いったい、こいつは、何のために俺を連れて行きたいんだろう。
ぐるぐる回るその疑問はかみ殺して、俺はただ、ひたすら我慢する。
どれくらい我慢していただろうか。
たくさんの坂を上って下って、町を抜けてでかい道路を抜けて、そうして、たくさんの好奇の目に曝される。
腹は減ってくるし、でも大地は止まらないし、じゃーお前がカゴに突っ込んでるバッグの中身の弁当はいつ食うんだよって言ってやりたい。
だけど働いてるこいつが食べない以上、俺が食おうとも言いがたい。
こいつは飲み物すら取らないのだ。
それはちょっとヤバイんじゃ、って思ったけど、俺は疲れていて優しくできなかった。


そりゃー、乗ってるだけだけど、それだって消耗はする。
おまけに優しくできない俺にも嫌気がさしていて、俺は二重に沈んでいくのを止められなかった。
大地が俺と一緒にいたいなら、そういってくれたら、もっと別の方法を探ったのに。なんで、こんな、いきなり。

もうほとほと何もかもが嫌になった時。きゅ、と音を立てて自転車が止まった。
俺は半分泣きべそをかいた顔をぷるぷると振って、いつもの顔を取り繕う。

「先輩、こっから前を向いていてください」
「…へ」
「できれば立っててくださいね」

わけわからん、と思いつつも、もうおんなじ姿勢をとり続けるのは辛いし、俺は言われるがままに荷台の横、少しだけ出っ張った車軸の上に両足を乗せて、大地の肩に手を置いた。
立ち上がって前を見ると、自転車は、かなり急な上り坂に差し掛かっていた。
…こんなん二人乗りするのか。降りて、歩く方がいいんじゃ。そう、俺が気後れした瞬間。

「しっかりつかまっててください!」

ふ、と大地がペダルをこいで、自転車が走り出す。
ゆっくりと、今度は景色がいつもどおりに流れ始めた。
坂道は山道。見上げれば空の半分が、まだ色づいていない葉っぱの緑に覆われている。
木漏れ日がチラチラして、きれいだ、と思った。
さすがの大地も座ったままで坂道を登るのはしんどいらしくて、えっほえっほとこいでいる。
ふと、俺は空を見上げたまま、ここまで来る何時間かの道のりを思った。
俺はすごく嫌で、とにかくこの遠出が嫌で、わずかに空や風景や風に楽しみを見出した以外、何も楽しくない、って思ってた。腹は減るし。体は痛いし。
だけど、じゃあ、こいつは何が楽しいのだろうか。
俺が背中にいるだけで嬉しい、とは、確かにこいつは言うだろう(言っとくが、自惚れじゃない)。
こんな、秋の比較的涼しい時期だというのに、坊主頭に汗をかきながらペダルを踏む。
そうしていく先は、4時間はかかろうかという海なのだ。
俺と一緒にいたいなら、俺は、こいつを拒んだ事などないのだから(…まあ、本質的な意味では。たまにそりゃ、都合が悪ければ拒むけど)、そう言えばいいだけなのに。

そんな疑問を、感じたときだった。
目の前の坂道が終わる。大地が大きな声を上げた。

「せんぱい!」

その声に釣られて、俺は前を向いた。
まったく同時に。その瞬間に。
目の前が、大きく開けた。




それまでの緑と青のコントラストから、はるばると開けた大海原に視界が変る。
明るい海が、圧倒的な存在感で、俺の目に飛び込んできた。
それは海の青と、日差しに揺れる波の銀色の、きれいな光景。
それまでの俺の鬱屈を、吹き飛ばすような晴れやかな光景だった。
その光景に気をとられていると、がくん、と体がつんのめるような感覚があった。
下り坂に入ったんだ、と思った時には、さっきとはうって変わってスピードを上げて突き進む自転車があった。
風が頬を切り、前髪が流されて、額が全開になる。
一瞬呼吸すら忘れて、俺は、その光景と風との圧倒的な存在感に身をゆだねた。

「せんぱーい!」

大地が俺を呼ぶ。すごく誇らしげに。嬉しそうに。きっと満面の笑みを浮かべて。

「どうでしたかー!?」

どうって何が、と、いつもの憎まれ口は出て来ない。
俺は、ただただ納得していたんだ。

お前が見せたかったのは、この光景か。
これだけ、何時間もかけて、しんどい思いをして、それで俺にこれを見せるためだけに、お前は。

俺はぎゅっと大地の肩につかまった。だけど、掴まれたのは、俺のほうだった。
なんでちゃんと事前に言わないのか、とか。急すぎる、とか。計画なら立てるのも楽しいんだから、お前、ちゃんと俺にも言えよ、とか。
そんな愚痴っぽいのは全部、なしで。

俺はやっと、今日はじめて、心から笑った。


「急げ大地! 海に行くぞ!」
「もーつきましたよ先輩!」
「もっと! もっと早く!」
「うっす!」

大地の体に、また力がみなぎる。
ぐんぐん砂浜が近づいてくる。
目の前の海は、きっと冷たいだろうけど。入って遊ぶわけじゃない。
俺達は、ただ、海に来たんだ。

きれいなものをせんぱいにみせたくて。

風に消えそうになる大地の声を、それでも、俺はちゃんと拾った。
そうして。

俺にしては珍しく、本当に珍しく。
自分から、大地の坊主頭のてっぺん。
あんまり見ることの無い、てっぺんに。

そっと、一つだけ、キスを落とした。


                            end




…ぎゃふん!!
キラキラ…まぶしすぎます!!

フリーSSとのことなので(きゃああ!!)、畏れ多くも速攻でテイクアウトさせていただきましたっ!!

甘夏さま、10000HIT本当におめでとうございます!私もおそらくその2〜3%は貢献しているはずですので(笑)、お言葉に甘えてお持ち帰らせていただきました。
これからも素敵な小説を書き続けてください…!!私はこれからもずっと甘夏さんのファンですので…vv

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