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□ろくな女じゃ86
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「き………気持ち悪い……。」

「うん、間切にしては頑張った方じゃない。」



俺おつかい済ませてくるから、そこで待っててよー。と、網問の声が遠ざかる。頭が揺れる。体は揺れない。……気持ち悪い…。

預けられた桶を前にうずくまるは、町外れの垣根の傍。市場にも近いここは、ざわざわと人混みが耳に届く。もうそれすらも気持ち悪い。

吐けば楽になる二日酔いとは違うこの陸酔いは、吐けば吐くほどつられて吐いてしまう。一度吐いてしまえば帰りは尚更悪い。使いに出された手前、荷物持ちくらいやらなきゃあ顔が立たないってもんだ。頑張れ、俺。踏ん張れ、俺。吐いたら死ぬぞ。

そんな風に、生理現象に理性で立ち向かっている最中、『あれさえあれば』と不意に頭を掠めた物と顔とに悔しくなる。どちらにせよ、あれの最後の一粒は鬼さんが使ってしまったからなかったけれど、あっても俺は使うのは躊躇っただろう。


大体、あいつは胡散臭過ぎる。俺よりも若いくせに、何か腹に隠し持ってる気がするのは俺だけじゃないはずだ。勿論、忍術学園にはある程度持ちつ持たれつの関係ではあるし、癖はあっても真面目な奴は多い。ただその中でたった一人、もう本能的に気に食わないのはそれなりの理由がある筈だ。お頭は人が良いから、あんな奴でも歓迎するけど、俺にはさっぱり分からない。

船乗りでもないくせに、陸酔いは勿論船酔いもしないあの余裕綽々の顔。あいつが作ったものと思うと、いくら効くと分かっても飲む気にはならない。そんな苛立ちが一瞬だけ吐き気に勝って、結局一瞬でも陸酔いが止まったのがあいつ要因だと思うと益々ムカムカする。ああくそ。くそ。






「最後に伺ったのは昨年の初雪前でしたからねえ。薬はきれましたか。」






苛立ちがてっぺんまできて、ついに幻聴まで聞こえてきたのか。また吐き気に意識を持ってかれるのは辛いが、こんなんならいい加減思考を変えるに限る。

そんなことを考えながら桶に寄りかかったままでいると、真横に感じる微かな違和感、近い人の気配。…人?




まさか、と思った瞬間、急に頭が天を仰ぐ。それは自分の意志じゃなく、顎を掴まれて無理矢理。

高く昇り始めた日に目が眩む。何だ、と思うより早く、目がまともに機能するより早く、無意識に開いていた口に何かが転がった。小さくも突然の異物の感触に、反射的にそれを吐き出そうとしたにも関わらず、鼻と口を容赦なく塞がれる。なんっ…!!?




「ぐっ…!!ん゛ーっ!!!ん゛ん゛!!!」

「まあまあ、今暫く辛抱下さいな。吐いてしまうと薬が勿体のうございますよ。」

「ぐっ…!むぐぅ…っ!!」

「丁度良くお会いできてよかった。今日はお使いですか?陸酔いの酷い間切様ですから、お一人ではないとお見受けしますが。」

「んん゛…っ!!!」

「何はともあれ、手持ちの酔い止めはありったけお渡ししておきましょうね。残念ながら今日は商いの用ではないので僅かばかりですが。第三協栄丸様と皆様に宜しくお伝え下さい。」

「っ…はっ…!っ…!!オイ待て!!!」





こっちが弱っていたとは言え、その細い腕からは想像できない程に一方的な力で押さえつけられていた手が離れた途端、身を翻した背中に怒鳴りつける。もう目は戻った。あれが誰かも考える必要もない。



振り返る顔。やっぱり余裕綽々の笑み。


腹立たしいそれに向かって、いつの間にかちゃっかり手にねじ込まれていた小袋を投げつける。薬臭い匂いが宙に軌道を描いて、小袋は持ち主の手の中に収まる。



弱っていようが吐きそうだろうが、俺がお前の好き勝手に動くと思うなよ。








「っ…てめえに義理って言葉があるなら、人伝えじゃなくて直接お頭に会いに来やがれ…!」

「参りますとも。一番歓迎なさらないだろう間切様がそう言って下さったのですから。」









畜生あいつ言わせやがったな。



待ってましたとばかりに即答した返事にひと睨みすれば、アイツは懲りずに、お構い無しで笑う。その笑い方が気に食わない。男らしくもない柔い笑み。肩口で切り揃えられた女みたいな黒髪が風に揺れて、そのまま人の波に紛れていく。





─紛れていく。






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