K2

□斜堂
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「昼に見る月は、また一際美しい。」



隣を歩く青年が言ったのは、比喩ではなく揶揄だ。反射で空を見上げたが、月など見える筈も無い。在るのは、日すら差し込ませんとする、浅黒い曇天のみである。

隣に視線を揺らせば、青年は空ではなくこちらを見ていた。薄ら日焼けた肌と、見るからに快活な口元が、何とも言えず不愉快である。対する私は確かに、残月と言うに等しい肌の色だろう。



「女性への褒め言葉としては、間違ってはいないと思いますが。」



所要を終え、学園へと戻る短い道のりで、厄介者に出会ってしまった。今日は運の無い日に違いない。よりにもよって、私は女装時。お誂え向きに、相手は男装であった。



「病の白など何になりますか。」

「それは色気になりましょう。海の向こうのとある国では、死に化粧こそが、女性の美の極みだったそうですよ。」

「…どうかしている。」

「美の追求、即ち、真の儚さを手に入れる為に、生死の境を化粧で表現し、凍える冬に長襦袢一枚で過ごしたそうです。生きながら、死を美で完遂したかった女性にとって、貴女は美の極みに違いない。」

「随分と感情移入をした物言いですね。貴方は今、男の姿であるにも関わらず…。」

「私の男装姿を、一度たりとも男と認めたことがないのは、先生ではありませんか。」



今にも、視線の端に赤毛が揺れるようだ。あからさまに溜め息を吐こうが、相変わらず、彼女はめげずに口を開く。

無意味に絡まれるのはいつものことだが、今日また、一段としつこい。憚らずに、そのままの気持ちを口に出せども、彼女の薄笑いは消えない。



「身の程知らずにも、私は嫉妬しているのですよ。その美しさに。」



私もまた、かの国の女よろしく、美しき死に憧れている。

などと、男の姿のまま、女の目をして彼女は言うのだ。一瞬とは言え、その有り様は異様に映る。僅かな隙は、故意か、過失か。…知る由もない。



「貴女には、無理でしょう。」

「無理でしょうね。私はきっと、血と臓物を撒き散らし、汚物に塗れた最期を迎えましょう。」

「…その表現は止して下さい。吐き気します。」

「おっと失敬。」



不覚にも想像して、血の気が引いた。生々しく思い浮かべることができるのは、偏に血の色をした彼女の髪が原因だろう。白よりよほど、死色ではないか。

湧き上がる不快感に、距離を取ろうと一歩横に避けたその時、不意に眩んでよろめいた。脆弱な体を忌々しく思うより早く、片腕を引かれ、釣り合いが保たれる。…ああ、忌々しい。



「我々は恐らく、性を違えて生まれるべきでありました。」



掴む腕は力強く、それは男の手であった。着物の上から触れる手は、用意もよろしく更に布を一枚挟んでおり、気遣いが却って腹立たしい。

顔の横を流れた髪が、ひやりと冷たい風を感じた。いつ稲妻が降ってもおかしくないほどに、黒さを増した空を背負って、彼女は笑う。それは深い笑みだった。悪い男の顔だった。




「さすれば、貴方は夢幻の美女、私は生き急ぐ愚かな男として、嫌がる貴方を、力ずくにでも掻き抱けたものを。」




戯れ言は終いである。掴まれた腕を逆に引き返し、体勢を崩したところに足払いをかければ、互いの位置は入れ替わった。彼女が投げ出した曇天を、今度は自分が背負い直す。


構われて嬉しゅうございますね、と、減らない口を動かすこの人間は、中性的、などと言う言葉では表しきれない。

そんなものでは、生易しい。






「口を弁えなさい。…蝙蝠め。」







月白は翻る



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