DYD

□A
1ページ/5ページ


「のろけはもう沢山よ。ミューズが凄いって言うんでしょ。それはもう何回も聞いたわ。あたしが今聞いてるのは次の曲の構想の話よ。」


空色の髪の年若い社長兼マネージャーが呆れた声を出す。人の家の冷蔵庫から勝手にヤク○トをかっぱらって細っこいストローをぶすりと突き刺した。


「てめー、人ん家のもん勝手にパクんなよ。」

「うっさいわね。いいじゃないの乳酸菌の1万や2万ぐらい。あんまりケチケチしてると愛しのミューズに逃げられるわよ。」


ピアノの前の椅子に体育座りをして真っ白な五線譜に向かう。
今書いているのはヴァイオリンのためのエチュードだ。今の彼女の力量に合わせた内容。練習曲だけど楽しくなるように。
ああ、ついでに二重奏にしてしまおう。何か適当な理由をつけてアンサンブルしよう。そうしよう。


「へーん。あの子の前じゃ素敵な大人ですからねー。それと愛しの、って言うな。」
ピアノをぽろぽろと弾きながら五線譜に書き込んだ。


あれから一週間。
平日は彼女は学校だし、夜に会うのはなんだか怖がらせる気がして日中を選んだ。今日の昼、これから会う約束をしている。
あの日、一緒にお昼を食べながら(ワゴン販売のピカタを二人でベンチに座って食べた。意外と旨い。)、ヴァイオリンを始めたいきさつとか、どの程度の事を知っているかとか(楽譜は読めるのかとか楽器の扱い方とか)を話した。
案の定、彼女は感覚と見様見真似で弾いていただけで、音楽の知識は義務教育程度にしか無かったが、耳だけは異常に良かった。音を聞いただけでどのポジションを押さえればその音が出るかが判るのだ。
いわゆる絶対音感の持ち主で、今まではディスクから音を覚えて弾いていたらしい。全く末恐ろしい。とんだ才能だ。


「うわ最悪。二重人格?ミューズの事騙してるんだー。やっぱりストーカーかしら?愛しくないならなんだって言うのよ。」


俺の事も少し話した。自分で言うのもアレだが、とんでもない経歴を持っている事は自覚している。自慢話にしかならないので余り話したく無かったが、彼女に残った(かどうか分からないが)変質者の疑惑を消す為にも話しておくべきだろうと思ったからだ。


「怖がらせたら元も子も無いだろ。・・・彼女はそういうんじゃ無いよ。音楽の才能に惚れただけさ。」


案の定彼女は俺の事は知っていた。あの曲を弾いているんだから当然といえば当然だ。おじいさんに貰ったとか言うディスクに入っている、位しか知らなかったが。
でもそれで十分だった。彼女にまで天才だとか才能の話をされたくなかった。彼女の前ではただの音楽が出来るどこにでも居る普通の大人で良かったのだ。


「(別に中身に惚れてるなんてあたし言ってないんだけど。)・・・まあ良いわ。なんだってあたしのまわりはこうも春ばっかりなのかしら。これから冬だっていうのに。ちょっと季節間違えてんじゃないの?」


飲み終えたヤ○ルトのちまいボトルを部屋の隅にあるごみ箱にかこりと放り込みながらピアが呆れた声を響かせる。止めろ、そこは燃えるごみだ。・・・言っても聞かないのは既に承知だ。後で分別しなければ。


「・・・まわり?」

「ん、ああ。あたしの友達も素敵な人に出会ったんだって目ぇきらきらさせてさ。滅多に表情変わんないのに珍しいこと。」


ピアとは、以前引っ張り出されたパーティーで会った。いきなり目の前に立たれ、発した第一声が『あんたね。あたしの下僕になりたいって男は!』だったことには今でもどうかと思う。性格改善は成される気配は無い。


「・・・お前、友達いたのか。」


確かにあの頃は個人での活動に限界を感じ始めた頃で、世間ではどこの音楽事務所が俺を引き入れられるかとまわりがうるさくて困っていた頃だった。個人事務所を立ち上げてくれるとピアが持ち掛けるので、渡りに船だとその話に乗った。


「ちょっと、殴られたいの。」

「その性格に付き合ってくれるなんて、きっとその子は天使か女神みたいな子だな。友達の次は彼氏か。この調子で頑張れ。」


ピアにとったら俺はきっと体の良いカモだったのだろう。自分がのし上がるためにパトロンをずっと探していたようだ。
でもまあ、今の所この事務所は俺とピアの二人だけだし、なんだかんだ言いつつ意外とピアは情にあついようだし。とりあえず放り出される心配はしていない。


「いっぱいいるわよ彼氏なんて。みんなあたしの為に尽くしてくれるわ!」

「そういうのは下僕って言うんだろ。」

「そうよ!何か問題でも?世の中の男は皆あたしの為に尽くせばいいのよ。さあライナも美しいあたしの為に働きなさい!」


この性格さえ治ればほんとにいい女になれるのに。まだ16歳で女王気質ってどうなんだ。


「オメーの為に働いてんじゃねー。だいたい実質の雇い主は俺だろ!何でそんなにエラソーなんだっ!」

「一人じゃスケジュール管理も仕事を採ってくる事も出来ないくせして威張るんじゃないわよ。あたしが、この天才的美人のあたしがあんたの個人事務所を代わりに経営してあげてるんじゃない。」

「乗っ取る気満々でな。」

「とーぜん!あんたを踏み台にしてこの事務所をもっと大きくしてやるわ。世界の女王にあたしはなってやるわっ!」

「・・・まあ、頑張んなよ。俺としては俺に都合が良ければ何でもいいや。」


目標は真っ当だし、努力もしているし、現状のマネジメントも申し分ない。学業ともちゃんと両立させている。もうほとんど、この事務所はピアにくれてやったものだと大分前から思ってる。本人にはまだ言ってやらない。本当に世界の女王になったら言ってやるつもりだ。


「それにしても。またそんな曲ばっかり作って!そのミューズとやら、モノにならなかったらあんたに賠償請求するんだからね。」

「その心配はない。あれは相当の傑物だ。」


言葉の割に声に怒りはない。なんだかんだ、自由に曲作りさせてもらっているし、ミューズの為に時間を割く事にも文句はない。


「・・・待て、ミューズをスカウトするつもりか?」

「当然でしょ。うちの経営方針は小数精鋭。あんたがそこまで断言するってことは相当だもの。逃す手はないわ。小物はうちはいらないのよ。」

「・・・とりあえず、本人の意志は尊重しろよ。」


あんまり強く言えなかった。俺も、ミューズには音楽の道で生きてほしいと思っていたからだ。(そうすればミューズの為の曲ばっかり作っていられるなんて思ってない。思ってないよ。)


「で?次の曲はどうなってんのって聞いてんの。ごまかされないわよ。」

「チッ。覚えてたか。」

「忘れるかっ!それがあたしの仕事よっ!」

「あーそうだな、じゃあこのエチュ「エチュードなんて言ったらほんとにぶっ飛ばすわよ」

「・・・サレノアフィルハーモニーから依頼されたパヴァーヌです。」

「そう。じゃあその方向で相手方にも交渉しておくから。じゃ、あたし帰るわ。」


・・・有能過ぎるのも問題だ。


_
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ