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□純情カタルシス
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彼の好きな人が結婚するらしい。
皮肉にも私はこの話を彼からは聞かなかった。
彼のダブルスのパートナーから聞いたのだ。


彼は今どんな表情をしているのだろう。
想像なんてできっこない。


いつもの妖しい笑みを浮かべながら彼女におめでとうと言ったのだろうか。
それとも顔をぐしゃぐしゃに歪めて泣いたのだろうか。


彼が私に彼女を好きだと告白した時も、彼女が彼に彼氏を紹介した時も、彼は泣かなかった。


辛いはずなのに泣かなかった。
ただひたすら狂ったように笑っていた。


私は彼がいるであろう場所に歩を進める。
彼女ほどではないけど彼の事なら他の人より理解しているつもりだ。


屋上へと続く階段を上り扉を開ける。
彼はちゃんとそこに居た。
給水タンクの上でシャボン玉を吹いていた。


強い風が吹けば吹き飛ばされてしまいそうなほど彼の背中は小さくて弱々しかった。


私は彼の元に行こうと給水タンクに上がる。
彼は私に気付かない。
今の彼は隙だらけだ。


後ろから見た彼の背中は小さく小刻みに震えていた。
彼は静かに涙を流していた。
私は彼の涙を初めて見た。


『仁王…』

「結婚するんじゃって」

『柳生に聞いたよ』

「……な…んで……何で俺じゃダメなんじゃっ!俺の何がいけん?俺の何があの男に劣るん?」


拳を地面に殴り付け彼は叫ぶ。
彼の悲痛な叫びが私の胸に響いてくる。


こんなにボロボロになるまで彼は彼女をひたすらに思った。
だが彼女は彼の気持ちに答えなかった。
……いや。答えられなかったんだ。


「姉貴…幸せそうに笑っとったんよ。俺の気持ちなんて知らんで幸せそうに…」



「何で?俺は弟なん?どんだけ望んでも弟以上にはなれん…俺はただ男として見てほしかっただけじゃっ…!」



「おめでとうなんて言えんかった…。なあ山下…俺は間違えとるんか?」


彼は彼女を好きになって苦しい思いを1人で背負ってきたんだろう。
世間にどれだけ邪険にされようが、彼は彼女を思い続けただろう。


本音を見せないように器用に生きてきたつもりでいたんだろう。
だけどそれが逆に重荷になり、彼はペテン師と呼ばれるようになった。


ペテン師の彼には本音を吐き出せる場所などなかった。
もがいてもがいて、彼は今自分自身で首を絞めている。


私が彼を解放してあげなきゃ。
彼の負担を取り除いてあげなきゃ。
彼女が居なくなった今、私が彼を救うしかないのよ。


私は彼を優しく抱きしめる。



ああ……貴方はこんな状況でも彼女の名前を叫ぶのね。






純情カタルシス
(どうして泣くのよ)
(泣きたいのは、)
(私も同じなのに…)






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