「もう、遅いんだ」

苦々しく笑う唇から吐き出されたその言葉に、ルルーシュは息を飲んだ。
撮影が終った静かなスタジオに、彼の踏み出す足音がやけに大きく響き聞こえる。
「もう逃がしてあげられない。君が悪いんだよ?僕を追い詰めたのは、君なんだから」
一歩、また一歩。
近づいてくるのは自分のよく知る姿の知らない、青年。
いつもの穏やかで優しい瞳に宿る獰猛な光に、畏縮してしまった足はその場から逃げることを許さない。
体が恐怖に強張り、心が怯え震えている。けれど、視線は交じりあったまま外すことは出来ない。
「…怯えているの?」
冷たい指先ににスイッと下顎を掬い上げられた。
瞳の中に揺れる感情を覗き込み、喉から低く笑い声がもれる。
「ずるいね。そうやって君はいつも被害者でいようとする」
違う。そんなつもりはない。
言ってやりたかったが、微かに開きかけた唇を親指の腹で軽く愛撫される感触に言葉を失う。
「別にいいよ、それでいい。君はいつまでも被害者でいればいい」
その代わりと、そこで一旦瞳が伏せられた。
淡い闇に彩られる深い色の双眸。
迷い、というよりそれは心の葛藤が見せた彼の苦しみにルルーシュに目には映った。
追い詰められているのは自分のはずなのに、目の前の彼はそれ以上に追い詰められている気がする。
ルルーシュは何かしらの感情を唇から紡ごうとしたその瞬間、強く片手で顎を掴まれた。
「!?」
「―その代わり、僕はずっと君を離すつもりはない。憎まれても蔑まされても、僕は君を誰にも渡さない」
驚きに瞠目する耳元に囁かれた甘さに、背筋がゾクリと痺れた。
自身の唇を吐息が掠める。
―キスされてしまう。
直感でルルーシュは思ったが、顎を掴まれているせいで顔を背ける事が出来ない。
ルルーシュは反射的にギュッと目を瞑った―――…


「ちょっとまったあああああ!!!!!!!!」


耳をつんざく大声に、何事かと振り向けばスタジオの入り口から物凄い勢いで走ってくる約一名。
「お〜、ちょっと待ったコールか。懐かしいね〜」
「シュナさん、何ですかそれ?」
「知らないのかい?うーん…、ジェネレーションギャップってやつかねぇ」
ルルーシュの怪訝な反応に、シュナイゼルは彼を抱き締めたまま困り顔で微笑む。
そんな感じでのんきに会話をしている二人の前に、息を切らしスザクがやって来た。
「な、何やってるんですか!?」
息を整えるのも後回しに、スザクはくっついてる二人をまずは引き剥がしてから、シュナイゼルに食って掛かった。
「何って―…、一応キスする直前?」
鬼気迫るスザクの剣幕に動じる事なく、シュナイゼルは年甲斐もなく可愛らしく小首を傾げ、だよね?とルルーシュに同意を求めた。
「そうですね、それで間違いじゃないと思いますよ?」
「思いますよって、ルルーシュ……」
頷くルルーシュに、スザクは何故か傷ついた顔で後ずさった。
「…そんな、まさか、ルルーシュとシュナさんが…」
「どうしたの、スザク?」
「いや、…でも、…そんな…」
「お〜い、戻ってこ〜い〜」
いきなり意味不明な事を呟き始めたスザクに、今度はルルーシュはどうしていいか困惑してしまう。
「すっかり向こうにイッちゃってるね。ちょっと遊びが過ぎたかな?」
その様子にシュナイゼルは自身の後頭部をかき、ごめんごめんとかたちばかりの謝罪を口にした。
「シュナさんは原因知ってるんですか?」
「まぁね。伊達にルルーシュ君たちより長く生きてないしね」
「何言ってるんですか、自分もまだまだ若いでしょう。ファンのコが泣きますよ」
「ん〜大丈夫。これも売りだから」
世間では王子とあだ名される彼は、ルルーシュに茶目っ気たっぷりにウィンクして見せた。
事実、外見と中身のギャップがウケて、シュナイゼルの人気は老若男女問わず幅が広い。
そんな彼にルルーシュも同じ事務所の後輩として、かなりの好感を持っていた。
「さて、枢木君を呼び戻そうか」
「どうやってです?」
「こうやって」
「え、何!?」
いきなり腰に手が伸びてきたと思ったら、グイッとシュナイゼルの方に体を引き寄せられた。
先程より更に密着するかたちとなり、流石にルルーシュも慌てふためく。
「何なんですか、一体!?」
「ふむ、ルルーシュ君腰細いね〜。もう少し肉付きいい方がぼくはいいと思うよ」
「余計なお世話ですっ!」
いくら先輩でもセクハラまがいの発言は聞き捨てならず、ルルーシュはムッとして言い返した。
「第一これに意味が―――」
さらに文句の続きを言おうとしたら、ふいに密着していた体が離れた。
「…離れてください」
正確には離されたと言った方が正しいだろう。
二人の体をスザクが両腕でそれぞれ反対に押しやったのだ。
「おや早いお帰りで。出来たらキスするぞぉ〜、とかまで言いたかったのにぃ」
鋭く睨まれ、けれど残念と呟くシュナイゼルの笑顔に全く反省の色はなかった。
この人は……。
ルルーシュにはそれがひどく質の悪いものに見えた。
「それじゃ枢木君のためにタネあかしをしよう」
「タネ?」
「おいでニーナ」
うろんな眼差しで自分を見上げるスザクを無視し、シュナイゼルは薄暗いスタジオの隅に呼び掛けた。
「大丈夫だから、ほら」
おいでおいでと手招きされて、やっとそこから一人の女性が現れ出てくる。
実は最初から彼女はずっとそこに居たのだが、スザクの剣幕におされ出るに出れなかったのだ。
警戒というより怯えた仕草でしきりにスザクの動向を気にしながら、近寄ってきたニーナは三人の前に来た途端、即座に頭を下げた。
「ご、ごめんなさいぃ〜」
「へ?」
「私が悪いんですっ」
「ニーナ、何を言って…?」
「何かよく解んないんですけど、とにかくごめんなさい!」
「解んないって…」
そんな勢いで謝られても……。
当人以外、皆ちょっと対応に困る。
「ニーナ落ち着いて落ち着いて。じゃないと次進めないから」
「ご、ごめんなさいっ、申し訳ありません〜〜〜」
「…まあ、いいや。実はねさっきのは全部ニーナに頼まれた事だったんだよ」
彼女が大切そうに抱き締めている台本らしき冊子を視線でさし、シュナイゼルは説明を始めた。
「何でも、彼女の通っている専学の宿題だそうでね。行き詰まってるって言うから、じゃあ実際やってみようかって事になってね」
「テーマは決まってないんですが、個人的に昼ドラっぽくしようかなって思って」
ね〜っと口を合わせるシュナイゼルと我に返ったニーナに、スザクはただ呆然とルルーシュを窺った。
「俺はたまたま近くにいたから、頼まれたんだよ」
先輩の頼みだし、女性の役をやってみるのも一つの勉強になるよと言われ、ルルーシュは引き受けたわけだ。
それがどうかしのだろうか?
不思議に見返すルルーシュの眼前でスザクはガックリと脱力に両肩を落とした。
「シュナさん、あなたって人は……」
「だって大人だしね」
「絶対っ、悪い意味でですよね?」
「やだなぁ、似た者同士のくせに」
語調を荒らげるスザクに、シュナイゼルは含み笑いで目を細める。
「ニーナさん、あの二人何言ってるか解ります?」
「―――愛、ですね」
かやの外っぽい雰囲気にルルーシュがニーナに尋ねれば、ニーナの眼鏡がきらりと光る。
「は?」
「枢木さん、ありがとうございますっ」
ルルーシュがその言動の意味を理解する間もなく、突然ニーナはスザクに駆け寄り手を両手で握りしめた。
「何、どうしたの?」
「お三方を見てましたら新しいアイディアが浮かんできたんです」
「おお、よかったね」
「はい!!」
驚くスザクやおいてけぼりのルルーシュを尻目に、ニーナはシュナイゼルの言葉に嬉しそうに頷いた。
良く解らないけれど、とりあえずニーナの力にはなれたようだ。
それだけでも、協力して良かったかなとルルーシュは思った。
「で、何なんだい?そのアイディアって」
喜びはしゃぐニーナにシュナイゼルが聞く。

「ええと、王道って言えば王道なんですが、簡単に言えば三角関係で近親相姦?みたいな」


「…………………………………みたいな?」

ルルーシュの顔が瞬時にひきつった。
嬉々と語るには、少々内容が濃すぎる気がするんですが―…。
「そりゃまた濃そうだね〜」
「何てったって昼ドラですから」
そこ感心するポイントなのだろうか?
つか、何でそんなに昼ドラに拘る!?
楽しそうに歓談する二人を見ていると、何だかこっちの感覚がおかしいんじゃないかと真剣に考えてしまいそうになる自分が怖い。
「じゃあ、もしまた何かあったら、また協力するかね」
「本当にいつもありがとうございます。シュナお兄ちゃん」
「いやいや。あ、その時はルルーシュ君もね」
「ちょっと待って下さい!!」
たまらずスザクが声を上げた。
「シュナさんがまたルルーシュにあんな事するんですか!?」
「それなら次は枢木君が相手役ね」
「あ、それなら全然オッケー」
「おい!」
シュナイゼルの一言にコロッと態度を翻したスザクにルルーシュが突っ込んだ。
「俺の意思とか意見とか、そういうのはまるっと無視なんですか!?」
「…聞いて欲しかったの?」
「当たり前です!!」
意外そうな表情を見せるシュナイゼルに、ルルーシュは力一杯頷いた。
「…この状況下で?」
片方ではニーナがすがるような瞳でこちらを見上げ、また片方ではスザクが有無を言わさぬ微笑を浮かべている。
ここでもし自分が嫌だと言ったら、完全にこの三人を敵にまわしてしまう事になるだろう。
ルルーシュの背中にたらりと冷たい汗が流れる。
「で、ルルーシュ君はどうするんだい?」
すでに解りきった答えをシュナイゼルはわざとらしくルルーシュに確認してくる。
「協力します……」
先に逃げ道をふさいだ挙げ句、ルルーシュ自身の口から言わせるこの狡猾さに、ルルーシュはこの先輩に対する認識を改めようと思った。
そんなルルーシュの苦悩とは対照的に、三人は盛り上がる。
「ルルーシュ君も快く引き受けた事だし、ニーナ頑張るんだよ」
「はい、頑張ります!」
「じゃあじゃあ、ちょっとリクエストあるんだけど」
「それならぼくもしようかな〜」
「何でシュナさんがするんですか、相手役は僕でしょう」
「ん?ほらこっちは間男のポジションだし。恋愛に障害があれば燃えるって言うじゃないか。ね〜ルルーシュ君?」
「何で俺にそれ振るんですか…?」
絶対遊ばれてるんだろうな〜、自分。
意味深なシュナイゼルに適当に相づちを打ちつつ、ルルーシュは言外に息を吐き出した。









本当に良い意味でも悪い意味でも大人な人でございます。シュナさん。
とある撮影所の風景

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