02/22の日記

20:12
究極の教義
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究極のドグマ―穂瑞沙羅華の課外活動 (ハルキ文庫)

★★★★★
 待ちに待っていた新刊が出ていた。と言っても購入したのは今月だが、刊行されたのは去年末だったらしい。気付かなかったなあ……。


 この方の本は、初めて読んだ時に衝撃を受けた。まず説明をさせていただくと、この本は著者のデビュー作である『神様のパズル』の続編にあたるのですが、本作の前に『パズルの軌跡』という、第一作の続編があり、本作はその、更に続編という事になります。(番外編として『神様のパラドックス』という、別の主人公が用意された上下巻もありますが……)

 この小説の何に衝撃を受けたかといいますと、扱っている題材(主人公達がやろうとしている事)は途方もなく壮大だと言うのに、主人公達が実際にやっている事は第一作だと畑仕事だったり、本作だと『たも網』を担いで猫を追いかけたり、不器用な恋愛をしたり、その恋愛で空回りしたりと、ギャップがありすぎる事。そして途方もなく壮大だといったけれどそれがどれほどかと言うと、量子コンピューターを使用して『宇宙』を作ろうとしたり、遺伝子を操作して『完璧な生命』を作ろうとしたりといった具合である。

 そのプロセスというのも、この作品ではとてもリアルだ。現存する技術や理論を用いて執筆されているので、読んでいて本に対して疑心暗鬼することにならない。

 そして一連の作品の中核にあるテーマは、『自分とは何か』。第一作から読んでいくと、主人公(ヒロイン?)の少女が様々な壁にぶつかりながらその疑問を解き明かそうとしているのがよく判る。本書のタイトルにもある『究極の教義(ドグマ)』とは、突き詰めればそこに至るのではないか。人間とは何か、生命とは何か、自分とは……。第一作から内包されていたテーマも、本書でようやく主人公達の手によって『解明』されたように思える。それは前述したテーマの壮大さと主人公達の行動のギャップと同様になんとも小さく、どうしようもない些細な事だったけれど、世の中なんてものは小難しく出来ていないのだからそれもしょうがない。世界は私達が考えているよりも余程単純な構造をしているものだ。単純な物を難解にしているのは、他の誰でもなく人間なのだ。

 正直に『こんなSFは読んだ事がない』と思えて、同時に『大事な物事ほどシンプルな構造をしている』と思える作品。レビューは究極のドグマですが、是非とも一作目の『神様のパズル』から読んでいただきたいですね。

 追記。

 読み進めると穂瑞沙羅華の可愛さに『やられ』てしまう筈。

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