【夢語り】

□黒服のかまいたち 第六章〜彼方に響きし笛の音は〜
6ページ/49ページ

 肩で息を繰り返す祇紅へと、仁は億劫そうに手を伸ばす。その頬を、血の気が失せた冷たい手が優しく撫でた。

「――祇紅。もう、終わりにしよう?」

 言い聞かせるように、仁はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「もう、いいよ。その心だけで、充分だから。だから、祇紅」

 どうか、この言葉が、この心が、彼へと届きますように。過去の束縛からの解放を。

「一緒に、帰ろう」

 見下ろしてくる自分と同じ色の瞳が揺れる。
 本当は、誰よりも優しい彼。きっと、誰よりも解っている。こんな事をしても、自分が喜ばない事を。それでも、望みは捨てられなくて。
 そんな矛盾を、無邪気であることで忘れようとした。その行為が、どれ程無意味で、愚かな事と知りながら。

「…じ…ん…」

 揺れる心。偽りの仮面が外れかかる。
 仁はゆっくりと体を起こす。まるで迷子の子供のような表情をしている祇紅に優しく微笑みかけ、抱き締めようと腕を伸ばす。
 あと数センチで彼の体に触れようというところで、その声は響き渡った。
 


「―――祇紅」



 厳かに響いたその声は、聞く者の心を縛る言霊の鎖。魂の束縛。
 びくりと、祇紅の肩が震える。ぎこちない動作で祇紅の首が動き、その碧の瞳が部屋の入り口に立つ人物を捉えて大きく瞠られた。

「…父…上…」

 畏怖の念すら感じられるその祇紅の呼びかけに、長身の彼は氷のように冷たい視線を息子に向けた。

「何をしている?早く封印を解けと言っているだろう。いつまで私を待たせる気だ?」

 氷解のように冷たい声音が耳朶を叩く。

「あ…それは…」

 視線を四方に彷徨わせる息子を鼻で笑い、長身の男はゆっくりと歩を進めた。まるで巌のような重い雰囲気を纏った彼は仁の前に立つと、感情を排した双眸で彼女を見下ろした。

「…まだ、望みは捨てられませんか?」

 他者を威圧するその双眸を真っ向から受け止め、仁は問いかける。
 男の口元に冷笑が刻まれた。太い腕が伸び、仁の細い首を掴み上げる。

「私は、この望みの為だけに十五年間生きてきたのだ」

 実際年齢よりも老齢に見えるその男に、仁の中に浮かんだ感情は一つだけだった。

「…憐れな」

 男の氷河のような双眸が見開かれる。仁の首を掴んでいた腕に力を込め、華奢な彼女を床に叩きつけた。


次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ