【夢語り】

□黒服のかまいたち 第六章〜彼方に響きし笛の音は〜
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 一瞬、視界が暗転する。頭を襲った激しい衝撃に意識が沈みかける。霞みかかった視界に、怒りに燃える碧の双眸があった。

「黙れ。お前達には解るまい。救う手立てがありながら、見殺しにしなければならなかった者の想いなど…ッ」

 鞘から抜かれた刃が、投げ出された仁の右腕へと突き刺さる。

「お前の父親が…私から愛する者を奪ったのだ」

 深々と刺さった刃が左右に捻られ、更に傷口を抉る。
 痺れるような痛みにも呻き声一つ上げず、仁は憎悪をぶつけてくる男を無言で見据えた。

「父親そっくりなその眸…。人を見下す眸だ」

 甲高い音がして、左頬に鋭い痛みが走る。痛みが引くのを待ち、仁は平手打ちを放った男を尚も見上げた。
 憎悪に顔を歪めた男を視界に入れ、すっと碧の双眸を細める。

「…そう。その仕草もまさにあの男のものだ」

 憎しみを込めて低く呟き、男は嘲笑した。無造作に仁の腕から剣を引き抜く。高々と掲げ、重力に従って剣を持った腕を振り下ろした。
 迫ってくる刃に、それでも仁は動じる事無く。
 ガキン!男の振り下ろした剣は仁の首から数ミリずれた場所に突き刺さった。

「―――人を苦しませる、一番の方法を知っているか?」

 耳元で囁かれる、抑揚を欠いた声音。憎しみという感情で塗りつぶされてしまった、歪んだ心が生み出す呪いの言葉。

「その人間が一番大切だと思っている相手を、本人の前で傷付ける事だ」

 低く低く、男は狂気にも似た言葉を紡ぎ続ける。

「今は殺さない。お前は、私の願いを叶える為の大切な鍵だ。用が済めば、父親の前で刻んでやる」

 氷河のように冷えた瞳と、深海のように凪いだ瞳とがぶつかり合う。室内の明度が下がり、窓から流れ込んできていた風も、対峙する二人の醸し出す斬り付けるような殺気に悲鳴を上げて荒れ狂った。
 どちらも一歩も引かず、無言の対決は終わらない。
 やがて、今まで沈黙を守っていた仁が静かに口を開いた。

「貴方の願いは、絶対に叶いません」
「…ほう?」
「神の力は、人間に扱えるものではありません。分不相応な力を望めば、貴方自身が破滅することになりますよ」

 挑発的な仁の言葉に、しかし男は余裕の態度を崩さなかった。

「古より脈々と続く三つの血族。その内の一つ、『麻野(あさの)』は神すらもその身に降ろす力を持つ」

 その名が出た瞬間、仁の目元が険を帯びた。凪いでいた瞳に、青白い炎が宿る。

「禍を呼び覚ます者と受け入れる者。仁、お前とて、私があの娘を放っておくはずが無い事くらい解っていたはずだろう?だからこそ、己の分身とも呼べる彼の剣をその傍らに置いてきた」

 今は手元に無い戦友(とも)を脳裏に描く。
 彼女なら、自分の代わりに大切な人達を守ってくれる。例え、主の身が危険に晒される事になったとしても。呼ばれない限り、彼女はあの場所を動かない。
 だから、仁は“妃雨(ひさめ)”を置いてきた。

「甘いな、相変わらず。扱う者のいない剣に何が出来る?神の名を冠しようとも、主がいなければそれは唯のがらくただ」

 勝ち誇ったように言い放つ男に、仁は初めてその口元に冷笑を浮かべた。

「―――いいえ。たった一人だけ。あの剣を扱える人が、一人だけいます」

 男の顔から余裕の表情が消える。再び憎悪に煌く双眸が仁を見下ろした。
 初めて動揺を見せた相手に、仁はふっと笑って見せた。

「貴方に、『麻野』の血は渡らない」

 虚勢でもなんでもない、確信に満ちた声音で仁は言い放った。

「だから、貴方の願いは叶いません」

 狭い室内に静寂が訪れる。張り詰めた空気が睨み合う二人を取り巻き、時間の流れさえも止まってしまったかのような錯覚を覚える。


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