合わせ鏡
□北へ
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「…帰りてぇ」
もう何度目になるのか数えるのも馬鹿らしくなった懇願が、重い溜め息と共に唇から洩れる。
「ザイ。まだそのような事を?いい加減、諦めたらどうですか?」
即座に飛んだ戒めの言葉に、夜も更けた深い森の中、焚き火の向こうにいるリシャールへとザイは舌を出す。
生贄として差し出されたアーロンと神獣との結婚を何とか阻止してから今日で五日目。アーサーの行方を追って北上する道中、口を開けば、疲れただの、眠いだの、帰りたいだのと、耳にタコが出来るくらい聞かされ続けていた。
イシュバラの森を抜け、荒業だったとはいえ海を渡り、今回アーロンを助ける為に多少のトラブルはあったにせよ山を越えるという経験をしたことにより、旅の当初よりも確実に体力はついてきているが、森一つ平然と越えられる脚力を身につけるにはまだまだ修行が必要らしい。先を行くザイに遅れを取るまいと足を動かす事に必死で他の事に気を回す余裕がない中で、それでもリシャールは咎めることを諦めてはいなかった。
「魔法が弾き返されたのでしょう?恐らくは長老様の結界によるものだと推測しますが、足掻いても意味がないと思いますよ」
「つーか、村に帰ろうとしたこと自体間違ってるだろ!」
懇々と諭そうとするリシャールに割って入ったアーロンは、憤然とした様子だ。端整な容姿なだけに、すごまれるとそれなりの迫力がある。
「そもそも、お前の所為で俺は、危うく魔物と結婚させられる所だったんだぞ!?普通なら、お前が真っ先に助けに駆けつけてくるべきだろうが!それが、野宿したくないからという理由で村に帰ろうとするなんて…ッ」
この冷血人間!と、真夜中の森にはた迷惑なくらいに響き渡る音量で自分を罵ってくるアーロンに、しかしザイは冷めた一瞥をくれるだけだ。助け出されてから五日経った今でも生贄にされてあまつさえ見捨てられた事に対する怒りが収まりそうにない相手の喚きを、綺麗に聞き流していく。