‡short story‡

□とおりゃんせ
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一目その子を見たならば
二目と見られぬ姿にぞならむ



街中の喧騒や雑踏からは遠く離れた山間。何を思ったか恭弥の先祖はその一帯に別荘を構えた。
たしかに四季折々の自然を楽しむことはできたし、辺りの静けさは清々しくさえある。
けれど、獣道のような場所を通らなくては辿り着けず、また、鬱蒼と繁る木々はただでさえ暗い辺りを一層沈ませていた。
恭弥はその屋敷へと向かう車に乗っていた。

――退屈。

窓の外を見遣りながら子供らしからぬ醒めた感想を抱く。
初めて訪れるこの地に対して感動も何も無かった。
別荘の立地を聞いた時点で、どのようなところなのか。おおよその予想はついていた。
何も恭弥を驚かせるようなものは見当たらない。

「どうでしょう?恭弥様」

隣席に座る父の秘書が伺いを立てるよう問うてくる。
仕事の忙しい両親に代わって休暇中、恭弥の面倒を見ることを任された彼の心労はいかばかりか。

「悪くないよ」

答えてやれば、彼は露骨に安堵した様子を見せた。
あぁ、なんて単純な。
恭弥は内心苦笑する。
勿論、そんな思い、微塵も表情になど顕してやらないけれど。
車など通るものとして作られていないのだろう。畦のような道を進む度に車体は揺れる。
その度に案ずるよう、こちらに気を配る彼らが鬱陶しい。
運転手も、秘書も、恭弥のことなど放っておいてくれれば良いのに。
そうして、恭弥は車内を気にするまい、とますます頑なに大して面白くもない外を眺め続けることになるのだ。

――?

ふと、恭弥は気にかかるものを見つけた。
二、三度目を瞬かす。
錆びた鉄のようなくすんだ赤。独特なその形状は、恭弥も見たことがあった。
神社の鳥居だ。
こんな辺鄙なところにもあるのだと妙なことに感心する。
近隣の住人がお参りに来るのだろうか。森の中に唐突にぽっかりと空いた入口はどこか不気味だった。
黒く沈んだその向こうはどこに続くともしれない。
走り続けている車の中からはあっという間に見えなくなってしまう。
ちら、と後ろの方を覗き見るもすでに遠い。

「行かない方が良いですよ」

今まで一度も口を開かなかった運転手の言葉だった。
恭弥の祖父の代から仕えているのだという、昔馴染みの寡黙な男だ。
珍しい。恭弥は思いながら、何が?と問う。

「今ご覧になった神社のことです」

喋りながら、彼は徐々に車を減速させて行く。
いつのまにか、高い柵に周りを廻らせた建物が目前に迫っていた。いよいよ目的の屋敷に着くらしい。

「あの向こうはこの世ならざる世界に通じていると言われております」

「よくある話だ」

恭弥は失笑する。
まだ二桁と生きていないが、その手の話は二桁以上知っている。

「実際に行方知れずとなった者もいるのです」

「君が知っている人間は?」

「おります」

間髪入れず返事が戻る。

「解せないな」

恭弥は呟いた。
実際に行方不明となったならば、どこで足取りを絶ったのかは分からない筈である。
皆が失踪したわけではないのだとしたら、そうなる者とならない者、二者が存在する理由が分からない。
誰かは助かって、誰かは助からない、なんて、不自然だ。
恭弥はそれらを纏めあげ、淀み無く問い掛ける。
車は既に門前へと止まっていた。

「……それは少し違います。恭弥様」

「どんな風に?」

「誰も帰っては来なかった。これは本当です」

「じゃあ、」

あの鳥居の向こうに行ったから消えたのだという事実は無いじゃない。恭弥は続けようとした。
運転手は首を振る。ミラー越しに、恭弥にはその様見ていた。
ハンドルを握る、静脈が浮き、生きてきた年数が刻まれているその手。微かに震えているようにも見えた。
運転手は意を決したよう、その口を開いた。



「“生きては”という意味でございます」



侵入者達はその鳥居の前に見るも無残な屍となって打ち捨てられていたのだという。
両の目は抉りだされ、四肢は引きちぎられ。彼らは既に人間としての原形を留めていなかった。
そして、見る者に警句を告げるよう、その死体から滴った血は鳥居の奥へと伝っていたらしい。
近付くなとでも言いたげに。

――気になるな。

一体誰が、何のためにそんなことを行ったのか。
恭弥が歩みを進める度に、足元でくしゃ、と落葉が音を立てる。
さすがにもう、血痕は残っていなかった。
今となっては誰も通ることがないのか、鳥居の奥は静まり返っている。
訪れないのは人だけでなく、他の生き物も同様なのか、鳥の鳴き声も虫の鳴く音も聴こえて来ない。
家の者達には一切明かさず、出て来てしまった。
鳥居の奥に行きたい、などと言ったら止められるに決まっているからだ。
怪しまれないよう出かけたため、時刻はすでに三時を回っていた。
光も大して差し込まない生い茂った木々の中、小さいながら、人が通れるような道ができている。恭弥はそれに添って歩けば良かった。
急でこそないもののうねるような道を上り続ける。すでに入口の鳥居は見えなくなっていた。
恭弥は構わず進む。
緩やかな傾斜は途絶え、目前に新たな鳥居が現れる。
森の入口にあったのとほとんど同じもの。やはり錆びたような赤茶けた色をしている。
その奥には、これまでとは違い石造りの階段が続いていた。
恭弥は先を見上げる。
階段の奥は森の影になってしまっていてよく見えない。
が、恭弥はそのまま躊躇い無く鳥居の奥へと足を進めていた。





苔の生えた石に時々足を取られそうになる。
とにかく歩きづらい階段だった。
ようやく石段が終わり、視界が開ける。
相変わらず鬱蒼とした森が広がっており、その中に紛れるよう石畳が敷き詰められていた。
恭弥は歩いて行く。
暗がりになっていたせいで気がつかなかったのだろうか。石畳の右手に社のようなものが建っていた。
恭弥は迷わずそちらに寄った。
鳥居と同じようなくすんだ赤色の建物。中へと続いているであろう開き戸の前には幾段か石が連なっていた。
建造に使われた木々は朽ちていたが、中を窺わせるような隙間は無かった。閉ざされている。
縁側らしきものはあったが、蔦が這い、とても誰かが出入りしているようには見えない。
たしかに気味は悪い。だが、それだけだ。
ここにはもう、何もなさそうだった。
奥に進もう。恭弥は踵を返した。



「行っちゃうの」



しん、と静まり返った辺りに自分以外のものの紡ぐ音が響いた。
何もいなかった筈の背後から、だ。
有り得ない。思いながらも、恭弥は瞬時にそちらを向いた。
社の入口へと続く石段に、ちょこんとそれは腰掛けていた。
剥き出しの素足を恭弥の方へと投げ出している。
それはにこりと微笑んだ。
あどけない笑顔だ。
身に纏う装束は死人のように白い。妙に清廉としていた。
が、不気味だと感じさせることはなかった。
こちらをじ、と見上げてくる大きな丸い双眸。澄んだ琥珀色だ。
薄ら紅く色付いた唇は、何か物言いたげに小さく開かれている。
それを構成する一つ一つが恭弥の目を曳いた。
それはひどく愛らしかった。

「君は、」

どうしてここにいるの。なんて馬鹿なことを尋ねそうになる。
こんなところにいない方が良い。などと自分を差し置いて、らしくもない親切な言葉を掛けそうになる。
恭弥は口先から発しそうになったそれらの言葉を飲み込んだ。そんな問い、無意味だ。
不思議そうにこちらを見上げ続けるそれに、恭弥も視線を合わせる。

「君は、何?」

それは首を傾げる。

「君はここに住んでる。そうでしょ?」

何の確証も無いのに、恭弥には確信があった。
そして、目の前のそれが人で無いことも。
鳥居の奥はこの世ならざる世界に通じている。そんなふざけた言葉が妙にしっくりと来た。
それはこく、と首を振った。
そこには何の悪意も他意も無い。ただ恭弥の言葉に応えただけだ。

「どうして、僕を止めた」

恭弥の聞いた話通りならば、この子供は恭弥を殺めようとしているということになる。
それはまた首を傾げた。

「いっしょにあそびたいの」

「遊ぶ?」

恭弥は少し眉を寄せる。
そんなこと、生まれてこの方したことがない。
周囲にいるのは大人ばかり。
学校も家も、全て社会勉強のための場所に過ぎなかった。
恭弥の反応の何かが彼を怯えさせたらしい。
目の前のそれは小さく身を震わせる。

「何でもする、よ?」

縋るように、それは恭弥を見つめてくる。
あまりにも頼りなさげな、愛らしい仕種だ。
信じられない。
この子が話に聞いたような、そんな残酷な行動をとるだろうか?

「良い子にしてるから、あそんで?」

お願い。言うように、見上げてくる彼はあまりにもいたいけだった。
少年と呼ぶにはまだ幼い恭弥でさえも、その様に何か引き付けられるような、ぞく、とするものを覚える。

「いたいのも、平気になったの」

見て、とでも言うよう、それは自らの衿元を剥いでみせる。
恭弥は小さく目を見開いた。
その細い首筋には痛々しく朱が散っていた。色の白い肌なせいか尚それは際立ち、見る者を魅了した。

「むくろはこういうのすきだから」

少なからず動揺している恭弥に、淡々と彼は言葉を続けた。

「でもね、ずっといっしょにあそんでくれる良い人なの」

彼はす、と立ち上がると石段を離れる。どこか人間離れした軽やかな動作だった。
彼は恭弥の前に立つ。
そうして、立ち上がってなお、彼は恭弥よりも小さかった。
ふわ、としている亜麻色の髪は触れてみたくなる程に柔らかに見えた。
恭弥はじ、と彼を眺める。目が離せなかった。
現れた時と同じよう、少しでも他所見したら消えてしまいそうな気がしたのだ。
だけどね。彼は言う。

「むくろが来てからだれも来なくなっちゃった」

あなたがはじめて。彼は寂しそうに視線を落とした。
俯けたその瞳から、今にも涙が零れそうなほどに悲しげだった。

「…………」

構わないよ。恭弥の口から、そんな言葉がついていた。
同情したのでは無い。
ただ、彼をこのまま置き去りにして行くには、あまりにも彼が気にかかり過ぎていたのだ。
彼の甘言に乗るわけではないけれど、彼をもっと知りたいと思った。

「え?」

ゆっくりとその顔は上げられる。
潤んだ琥珀の双眸が、じ、と恭弥を見つめてきた。
綺麗だった。

「遊んで欲しいんでしょ」

こく、と彼は首を振る。
無邪気なその様に、恭弥は思わず笑みを漏らしていた。

「どうしたいの、君は」

言ってから、まだ名前も知らないことに気がつく。

「……。君、名前は」

「つなよし」

そう。恭弥は小さく頷いた。

「綱吉は何がしたい?」

呼ばれた名前に、彼は目に見えて表情を綻ばせた。まさしく花が綻びるようだ。
恭弥も頬を緩めてしまう。
彼が愛らしすぎるのだから仕方ない。

「えと……、この中に」

ついて来て?彼は恭弥に向かって言うと、社へと続く石段を上って行ってしまう。
恭弥もそれを追った。
閉ざされていた扉は、綱吉が触れるとすぐに動いた。
誰かに押し続けられているかのように、き、と軋んだ音を立てながら奥に開いていく。
薄闇なのを気にした様子は無く、綱吉は社の中へと足を踏み入れていってしまった。
恭弥には、中がどうなっているのかまるで分からない。外から差し込む光は明るさを失い、朱にじんわりと辺りを染めるだけだった。
けれど、不思議と彼のことだけは知覚できた。闇の中で彼はこちらを窺うよう振り返っている。
恭弥は何の躊躇も無く、闇の中へと片足を埋めた。
綱吉を追いかけなくては。そんな思いに急かされるままに。





辺りは黄昏に染まりつつあった。







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