‡short story‡

□珈琲と被虐性
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一心に書類の上で動かしていた手を止めると、綱吉はそばに置いておいたカップへと手を伸ばした。
静かな部屋にはペン先と紙との擦れ合う音の代わりにカチャ、と陶器同士の当たる高い音が響いた。
カップに口づけて中の濃い黒色の液体を一口。
綱吉は眉を顰めた。

「よく、こんな恐ろしい味のものを飲めるね。リボーン」

言って入り口の方に目をやる。
彼は相変わらずの闇色に身を包んで立っていた。
長い脚を組み、悠然とこちらを見下す彼は紛れもなく綱吉の家庭教師だった。
あ、あとさ。と綱吉は言葉を続ける。

「突然部屋に入ってくるのやめてよ。びっくりするじゃん」

「毎度のことだろ。いい加減慣れろよ」

毎度のこと。
それもその通り、仰るとおりだ。
そんなにオレって信用ないのか、と綱吉は思わず嘆息せずにはいられなかった。
リボーンはこちらが仕事を放棄していないかどうか、見に来ているに違いない。
たしかに今は普通の人間ならば眠りについているであろう時間だった。
勿論、綱吉だって眠たい。
だから、好きでもないエスプレッソを、さらに濃く淹れて飲んでいるのだ。
が、リボーンの顔を見たら何故だか身体から力が一気に抜けた。
張りつめていた緊張が解けてしまったらしい。
綱吉は机に突っ伏しそうになる。が、瞬間、こめかみに冷たい黒塗りの物体を突きつけられていた。

「洒落にならないからやめて」

「俺が本気だったらとっくに死んでるぞ、ダメツナが」

それもそうだと綱吉は苦笑した。
銃は突きつけられた時と同じくらい唐突に下ろされる。

「ったく、今更夜になると眠くなるなんて可愛い言い訳が通じると思ってんのか」

「え、駄目?」

「なら、お前がいっつも朝まで誰と何やってんのか、是非とも聞かせてもらいたいものだな」

リボーンのいつも通りのシニカルな口調だったが、その裏に微かに苛立ちが感じられたような気がして、綱吉は不思議に思う。
とりあえず、机にぺたりとくっつきそうになっている上体を起こすことにした。

「やっぱ、リボーン気づいてたんだね。あの人とのこと」

綱吉はカップの取っ手に指を絡ませながら、ぽつ、と呟いた。

「ったりまえだ。何年お前の傍にいると思ってんだ」

「あ、そっか」

綱吉はクス、と笑う。
リボーンが来てから信じられないくらい人生が変わったと思う。
よくよく考えてみれば、今あの人と付き合ってるのだってリボーンのおかげだと言えるのかもしれない。
思いながら、綱吉はコーヒーに唇を触れさせる。

――っ。

味以前に匂いからして、苦そうだと思う。
とは言っても、苦そうな匂いというのもよく分からないが。
とりあえず、今の自分の思考能力は極めて低い状態にあるらしいということは分かった。
目に見えて綱吉の表情が引きつったのが愉快だったのかリボーンは吹き出した。

「なっ」

綱吉はぱっと頬を赤く染める。
まさか笑われるとは思わなかった。

「悪い悪い。……人間って結局変わんねぇんだな」

「どう意味だよ」

「そのまんまだろ」

リボーンは平然と言ってのける。
馬鹿にされているようで――いや、されているのだろうが――綱吉は唇を尖らせた。
と。

「あ」

綱吉は先日同盟ファミリーの幹部から聞いた話を思い出した。

「なんだよ」

「あのさ、リボーンってコーヒー好きだろ」

それも、ものすごく苦いの。と綱吉が嫌そうに付け足せばリボーンは笑いながら

「まぁな」

と頷いた。
それを見て、綱吉は話を続けようとするのだが、自分がどこに行き着こうとしているのか自分ですらよく分からなかった。

「でね、この前喋ってたんだけど」

「あぁ」

「エスプレッソなんてものを毎日毎日好んで飲んでる人ってさ……、マゾなんじゃないかって」

「どんな話だ」

「いやさ、いくら好きって言ったってやっぱり苦いものは苦いわけでしょ」

自分でも妙な方向に会話を持ってきてしまったのは分かるのだが、動きだしたら止まらない。
俗に言う深夜テンションというものなのかもしれない。

「……そうかもな」

「それをどうして好んで飲むかっていうと、多分あまりの苦さに感覚が突き抜けちゃってさ、むしろ美味しく感じられるんじゃないかなって」

つまり、微量の刺激には痛みを感じていても、与えられすぎると脳がそれから逃れるように物質を分泌し始め、快感へと変わってしまうように。

「……なんだ、実体験か」

綱吉の言葉をリボーンは華麗にまとめてみせた。

「ちょっと!リボーン!!」

「ツナ、お前って虐めたくなる面してるしな」

いやいや、そんなことないです。綱吉はふると首を振るが、その様すら彼の言葉通りだという救いようのない状況だ。
なんとか話を変えなくてはと綱吉は考える。
そうだ。
この話はそもそも皆からサディストだと認められているリボーンをからかいたい、なんて思って持ち出したものだった。

「ね、リボーン」

「あ?」

「結局、オレの話って当たってたの」

自分から尋ねてみたくせに、即答で否定されると思った。
が、意外にもリボーンは逡巡した。

「?」

妙な沈黙が二人の間を流れる。
彼はしばらくしてようやく口を開いた。

「……かもな」

「嘘っ」

「でもなきゃ、何年もお前の傍になんていられねぇよ」

どう意味だよ、それ!だとか、なんとか途端に不満そうな顔になる教え子にリボーンは息を吐いた。

――報われないのが分かってて傍にい続けるなんて、相当だろ。

自嘲するように歪めた唇を、綱吉は馬鹿にしたのだと勘違いしたらしい。





※本文中の珈琲談はすべて憶測です

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