‡short story‡

□空白の物語
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目の前に広がるのはどこといって変わったところの見当たらない、ごく普通の小さな村だった。
住むのには都合の良さそうなまばらな森に囲まれ、水害に遭わない程度に川も近い、そんな村。
僕がここにいるのはその村の偵察のためだった。
人口、地形、生活習慣。
それらを正確に、かつ、迅速に調べて来ること。それが僕の役目だ。
この村の住人を一人残らず始末したい、と指揮官である六道は言った。
それが自分の目的のために必要なことなのだ、とも。
何故この村を標的にしなくてはならないのか、何が目的なのか。
何一つ知らなかったけれど、わずかの躊躇いもなく、僕は虐殺を決意していた。
僕のような兵士にとっては、与えられた任務を遂行することだけが使命であり、存在意義だった。理由を追及する必要など無かったのだ。
ひとまず中の調査は後回しにして、村の様子や立地を外から確かめていくことにした。



村の周囲を歩き回っていると、特に木々が集まった中にさしかかった。
と。
その少し離れた箇所に誰かが立っているのに気が付いた。
今まで緑に隠れて見えなかったらしい。
おそらく村の住人だろう。
僕は思わず歩く速度を緩めていた。
自分の存在に気がつかれたところで、言いくるめてしまえば済む話。
それでも、相手が怪しんでくるのならば殺してしまうだけでいいのに、咄嗟にそうしてしまっていた自分が分からない。
視界に映るのは、葉を揺らす風とともにふわりと揺れる亜麻色の髪。
その人物は片手に筆記具を持ちながら、木の幹に耳を押し当てていた。
おかしな話だけれど、そんな光景を知っているような気がした。
しばらくして、彼は身体を離して紙に何か書き付け始める。木の様子でも調べているのだろうか。
それが終わると今度はその隣の木に耳を押し当てだした。
綺麗な人だと思った。ちらりと窺える横顔は祈りでも捧げるように真摯そのものの表情。
相手は未だ僕の存在には気が付いていないらしく動く様子はない。
距離を縮めていけば、その造作がはっきり捉えられるようになる。
透き通るような白い肌に、薄く紅に色付いた唇。
それらは妙になまめかしくてぞくりとした。
男物の服を身につけているくせに、その体躯はあまりにも華奢だ。女と紛うほどに。
背も僕より低いのではないだろうか。
間近に僕が迫ったところで、彼はようやく目を開けた。
飴細工のような琥珀色がこちらに向けられる。
ぱち、とただでさえ大きな瞳が見開かれた。
信じられない、というような驚愕の表情。

「きょうや、くん……?」

容姿に違わない、どこか中性的な可憐な声音だった。
その唇が紡いだ言葉はよく分からなかったけれど、何よりも甘く僕に響いた。
瞬間。
僕の思考からは与えられた任務のことも何もかも、全てが飛んでいた。
衝動のままに、その細腕を掴んで引き寄せる。
その手からペンや用紙が落ちた。が、僕は見向きもしなかった。
意識は目の前の彼でいっぱい。
そんなこと、今までに無いことで戸惑った。

――無いこと……?

僕は小さな引っ掛かりを覚えるが、記憶には無かった。

「な、なに?」

困ったような、その言葉には応えてやらない。
ぐらり、と傾ぐ身体を抱き留めて地面に組み敷いた。
彼から抵抗らしい抵抗はなかった。
こちらを見上げる彼の目に恐怖は無く、ただ困惑ばかりが浮かんでいた。
現状をよく理解できていないらしい。
揺らぐ琥珀に僕は飲まれそうになる。
小さく彼の唇が開かれた。
ちら、と覗いた舌が妙に煽情的で一瞬、気を取られた。なんて僕らしくもない。
悲鳴でも紡ぐつもりなのか、と僕は身構えた。
が。

「ねぇ……きょうやくん、だよね……?」

青年は再度そう問うてきただけだった。
喉元を押さえようと伸ばした手は行き場を失う。

――また、それか。

彼の言葉が分からない。
僕は微かな苛立ちと不安とを覚えた。
それから、溢れそうな欲望とたしかな愛おしさを。
恭弥。人の名前?だろうか。
そんなもの、全く知らないはずなのに、何故だかそう紡がれることを懐かしく思った。
どうして?
目の前の人物は抹消を図る村の一住人に過ぎないはずなのに。
けれど、そんな疑問は僕にとって最早どうでもいい、些細なことだった。
ずっと焦がれていたかのように、彼の中に自身を挿れたくて堪らなくて。僕は彼に紛れも無く欲情していた。

「どうしたの……?」

彼の瞳の色はあくまで穏やかで優しささえ窺えた。
それに小さな痛みを覚えている自分が分からない。
もっとも、それらも全て、突き上げるような欲望に飲み込まれてしまった。
僕は見下ろす彼の唇を貪るように塞いだ。



遠くでは木々がざわめいていた……。
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