‡short story‡

□秘する花
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「もう帰んのかよ」

部屋を出ようとした矢先、そんな言葉を投げ掛けられた。
振り返れば、机上に脚を投げ出したザクロと目が合った。

「えぇ」

私は頷いてみせる。
もう、と言ってもとっくに夜は更けている。

「最近ずっとそうだよな」

――女でもできたんじゃねぇのか。

下卑た台詞を薄ら笑みながらザクロは寄越す。
思わず苦笑してしまった。
当たらずしも遠からず、だ。
隠すようなことでもないと思ったから、そんなところですよ。と返そうとした。
が。

「桔梗に限ってそれはないわよ」

先に答えられてしまった。
ザクロとは違うんだから。近くのソファーでくつろぎながらブルーベルは続ける。
ふらふらと足を揺すって、全くの自由だ。彼女らしいといえば彼女らしい。

「あ?どういう意味だよ」

「そのまんまよ」

始まる口論。いつも通りだ。
私は肩を竦めてその場を後にした。
普段ならば仲介くらいしていたかもしれないが、今の私は急いでいた。
とにかく早く自室に戻りたくてならなかった。





自室のドアをそっと押し開ける。
その向こうには窓の前に佇んで、ぼぅ、と何かを眺めている彼の姿があった。
静寂に包まれた部屋。ぼんやりと薄暗い中で、彼は今にも消えてしまいそうなくらい儚く見えた。
私が戻ってきたことには気がつかないのか、振り向かない。
窓にそっと手を添えた彼がどんな表情を浮かべているかは分からないが、まるで硝子の中に囚われているようだと思った。

「綱吉」

呼べば、びくんと華奢な肩が跳ねた。

「桔梗さん」

お戻りになったんですね、静かに言って彼はようやくこちらを向く。
やはり気がついていなかったらしい。気配を絶っていたわけでもないのに。
私など気にかける価値も無いということか。苦笑する。
彼の琥珀色の双眸は光の加減か、潤んでいるように見えた。
が、それは決して錯覚ではなかったらしい。その頬には涙の伝ったような跡がたしかにあった。
泣いていたのですか。尋ねようとして止める。
どうせ返事は無いのだ。訊いても意味はない。





初めて会った時からずっとそうだ。
綱吉は必要最低限の言葉しか話さない。
馴れ合いを拒絶する、だとかそういうわけではなさそうだけれど、彼はいつも遠い世界にいるようだった。
愛想笑い一つ浮かべず、任務の報告だけをして去っていく。
彼はもはや人というよりも、造り物のようだった。それも、ひどく美しい。
私は、彼が視界に入る度知らず追ってしまう自分に気が付きながらも、触れてしまった瞬間壊れてしまいそうな気がして、眺めるだけに止めていた。
もっとも、その我慢も彼が私の部下となって一ヶ月経つ頃には終わっていた。
いくら美しくとも毎日顔をつき合わせていれば、慣れるものだし、その度に感銘を受けることもなるだろう。
が。
そんな一般論は彼には適応されなかった。
慣れるどころか、私は抱く欲望を募らせていた。
彼がどこか漂わせている憂いある危うさ。
彼が造り物ならば、その砕け散った破片すらも美しいのだろうとそんな夢想さえするようになった。
壊れてもいい、と思った。むしろ壊れてしまえばいい、と思った。
私はいつも通りに報告だけ済ませて去ろうとする彼を引き止めて抱いた。



結論から言えば彼は壊れなかった。
壊れたのは私の方だった。



その日から、私は毎晩彼を呼ぶようになった。
彼はやはり意志など持たないのか、その申し出を拒むことはなかった。
命令に従順なる部下ほど有能で便利な物は無い。
……はずだった。
しかし、私は彼が抗っても構わないとすら思い始めていた。それくらい“彼”が欲しくて堪らなかった。
明るい琥珀色の瞳なのに、その奥はどこまでも果てが無く深淵。
何が蠢いているのか知りたい、なんてなんとも不毛な渇望だ。
自分でも分かっていた。





「待たせてしまったみたいですね」

涙のわけを尋ねたいのを誤魔化すよう、私はそんな言葉を口にしていた。
彼が感情を表したのを見たのは初めてだった。
彼は小さく首を振った。

「綺麗な月ですから」

彼は寂しそうに微笑んだ。
眺めて時間を潰していた、とでも?
とても月を楽しんでいたようには見えない。

「思い出すんです」

静かに綱吉は呟いた。
その瞳から、つ、と涙が伝ったのを見て私は動揺していた。
見てはいけないような気がしたのだった。
何もかも彼らしく無かった。
私に涙を見せるところも、報告でない言葉を紡ぐところも。

「隣に行ってもいいですか?」

はい、と彼は首を振った。
私は窓を遮るようにして置かれた寝台の脇を通り、彼の横へ並んだ。
窓の外を眺める。遠くに映る光に照らし出された街。夜空を突くかのよう高く伸びた高層ビル。
彼のいう月は、確かに綺麗だった。ほぼ完全に近い円を描き闇夜にぼんやりと浮かぶ。
全てを見下ろすように、冷たさを感じさせるような白銀に輝きながら。
彼はこの月に何を見たのだろう?
私は彼を、そっと抱き寄せた。
抗わないところも、壊れてしまいそうなところも、やはりいつもと同じだった。
一抹の寂しさとともに安堵を覚えていた。

――そういえば、

私は思い出したことがあった。
白蘭様が最後に“狩り”を行った夜もこんな月がでていた、と。
彼はボンゴレというファミリーにいやにご執心だった。というよりもそのファミリーのボスが欲しくて堪らなかったらしくて。
半年ほど前の今日のような夜、ついに彼はボンゴレを壊滅状態に追い込んだのだった。
が、目的のボンゴレ]世は見つからず、今もなお白蘭様は彼の捜索を続けているのだとか。
彼が半年探しても見つからないなんて、もうこの世にはいないのではないかと思ってしまう。とても白蘭様には言えないが。

「綱吉」

私は、もう人形に戻ってしまったらしい彼のあぎとに指を添え、こちらに顔を向けさせた。
そうして、彼のもとに屈み込んでその唇を塞ぐ。
返される口づけに拒絶の意は無い。ただ享受するだけ。
目を閉じてしまった彼の感情を知ることはできなかった。
舌を絡ませ、口腔をしゃぶるように舐め尽くす。
綱吉は、ん、と苦しげな吐息を漏らした。そんな小さな動作すらも私を魅了した。
私は唇を離す。
沸き上がってくる衝動のままに、その華奢な体躯を彼のすぐ背後にある寝台へと組み伏せた。
二人分の衝撃に、きし、と寝台が小さな音を立てた。
私は構わず、彼の服へと手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、彼はようやく目を開けた。
こちらを見つめてくるその瞳には何の感情も無かった。
拒まれないことが愛でないことなど分かっていた。
分かってしまっている自分が疎ましくもあった。
せめて、幸福な錯覚に陥ることが出来たならばよかったのに。
思わずにはいられなかった。
これはただの決まりごと。
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