‡short story‡

□盲従
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黄昏を過ぎ、暗く沈んだ部屋。
そんな中で明かりも点けずに彼らはいた。
こつこつ。
苛立ちを隠すこともせず、綱吉は職務机を鳴らす。
自身に不釣り合いなほどに大きな椅子に腰掛けるその様は座るというよりも埋もれているように見えた。

「遅い」

呟いて、卓上に置かれた時計に目をやる。
遅い。“彼”が出かけて行ってから、もう二時間近く経っている。
たかが百人あまりの組織を片付けるのに彼がこんなにも時間をかけるだろうか?
失敗したのだろうか。
怪我をしたのだろうか。
あるいは、帰ってくる途中に事故に遭った、なんてこともあるかもしれない。
脳裏を過ぎる数多の可能性に綱吉は戦慄する。
連絡の一つも寄越さないなんて、どうして。
こつこつ。綱吉はまた机を指で鳴らす。

「落ち着きなさい」

咎めるように部下に呼ばれて綱吉ははっとした。

「骸」

綱吉の傍に佇み、彼はこちらを見下ろしていた。
苦笑を浮かべた骸に気まずくなる。
こつん、と机に当たりそうになった指を慌てて止める。

「ごめん」

「いえ」

「あいつがこんなに手間取ることなんて無いから……」

心配でたまらないんだ。綱吉は吐露する。
彼は冷静だし、残酷だし、暴虐だ。心配することないと思うのだけれど、不安になってしまうのだ。

「その必要はありませんよ」

骸は吐き捨てるように言った。
綱吉は目を瞬かせた。
信じられなかったのだ。
綱吉と二人きりでいる時、いつも柔らかく微笑しているのに。
彼は綱吉が壊れ物か何かだと思っているようにいやに丁重に接してくるのだった。
らしくない。と骸を知る者は皆、その態度にこそ驚愕しているのだが、綱吉は知らなかった。
綱吉の知る骸はあくまで優しくて有能な部下だったから。
その骸が嫌悪も露わに表情を歪めている。

――あぁ、そうだ。

綱吉は納得した。
骸は彼のことをあまり好きではないのだった。

「帰って来なかったらどうしよう」

「あの男に限って?」

骸は彼の名を呼ぶことすらしないのだ。

「だって、遅い」

「いいえ」

骸は言って、躊躇うようにしばし口を噤む。
綱吉に告げるか否かを逡巡しているらしい。
綱吉は促すように、じ、と見上げた。
骸は嘆息した。諦めたように唇を開く。

「あの男は……、君の不安を愉しんでいるのです」

「え?」

「部屋のすぐ外にいます」

その言葉が告げられて間もなく。
す。とドアが開き、廊下の光が細く差し込んだ。

「駄目じゃん。教えちゃ」

「白蘭っ!」

ボスに伺いを立てることもなく、無断で部屋に侵入することを許されるただ一人の人物。それが彼だった。

「ただいま、綱吉君」

白銀髪、紫の双眸。
病的なまでに色素の薄い男だ。
その唇を歪め、その瞳を細め、彼が浮かべた笑みに綱吉はようやく安堵する。
彼が近付いてくるのを待つのさえ堪えられなかった。
席を立ち、白蘭のもとに駆け寄る。
その華奢な身体のどこに潜んでいたのかというほどの勢いだ。

「ばか。電話くらいしてよ」

恨み言を呟きながら、ぎゅぅと抱き着く。
その様には縋り付く、と形容する方がしっくりと来るような必死さがあった。

「ごめんごめん。忘れちゃった」

クスクスと笑いながら彼は綱吉の頭を撫でてきた。
いつもどおり。
綱吉は何ともやりきれなくて、ばか、と言いつづけてやる。
こんなに心配させられたのに、待っている間苦しくて堪らなかったのに、ごく普通に、何事も無かったように、彼は振る舞うのだ。
しかも、計ったようなこのタイミング、彼の台詞。
それらから察するに、白蘭はどうやらとっくにここに帰ってきていたらしい。

「故意に、ですか?」

投げられる骸の言葉は冷ややかだ。
が、全く意に介した様子もなく白蘭はまぁね。と笑った。
その吐く息を直に感じることにすら綱吉はぞく、としてしまう。
それに追い打ちをかけるように、綱吉を抱く腕に力を込めてくるのだから堪らない。
この際、不安にさせられたことすらどうでも良いと思えてしまう程の幸福感。

「だってさ、僕を想って不安になっちゃう綱吉君が可愛いんだもん」

白蘭は言う。
それはあまりにも酷い台詞だ。
空気が凍る。骸の苛立ちは、とうとう憤りになったらしい。

「骸」

綱吉は宥めるように彼を呼んだ。

「傷付けたら、だめ」

「しかし、綱吉」

君がそのような態度だから奴が付け上がるのです。骸が言いたいことは分かる。
だから、綱吉は言った。

「いいの」

自分が不安になることを彼が喜ぶのだとしたらそれでも構わない、と。
あぁ、けれど。

「ねぇ、白蘭?」

「ん?」

「さっきのオレの言葉とかも全部聞こえてたの?」

遅い。と苛立つ言葉だとか、こつこつと机を叩く音だとか。全て彼に知られてしまっているのだろうか。

「うん」

「……恥ずかしいじゃん」

「そう?僕は嬉しかったけど?」

愛されてる感じがするからね。などと白蘭は平然と吐く。
たしかに、切羽詰まった綱吉の様子は愛してると何度も言っているのと同じだったのかもしれなかった。
遅い。帰ってこない。
それは相手を待ち侘びていることを示す言葉であったし、また、相手は必ず帰ってくるはずだと信頼を寄せていることを示す言葉であった。

「でも……、オレ、いっつもおまえに好きだって言ってるのに」

「じゃ、これからはもっと言ってよ」

――そしたら、もう、こんなことしないよ。

白蘭は優しい囁きを寄越してくる。
綱吉は本当!?と琥珀色を輝かせて彼を見上げた。
アメジストに何が浮かんでいるのかは細められているせいで分からなかった。
けれど、綱吉にとってはそれで十分だった。

「そうする!」

薄暗い室内の中で、唯一。綱吉の笑顔だけが光だった。
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