‡short story‡

□盲従
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「帰ってこない」

綱吉は憮然として呟く。
声が嗄れるほどに好き、愛してる、と紡いだのに結局彼は自分を心配させるのをやめなかった。
こつこつ。綱吉の爪と職務机とがぶつかって音を立てる。
隣で呆れたように骸がため息をついた。

「分かっていたのでしょう」

彼はなんでもお見通しらしい。
綱吉は曖昧に微笑して誤魔化す。
図星だった。
いくら言葉を並べようとも、それで白蘭が悪ふざけをやめないことくらい分かっていた。

「あれはそういう男です」

「…………」

白蘭という男は、綱吉のものだ。
だから、彼が嘘つきであることなど、骸に言われるまでもなく綱吉は知っていた。
彼のことは知りすぎるくらい知っていると思う。
恋は盲目、というのならば綱吉は白蘭に恋などしていない。
彼は非情で残忍で酷い嘘つきだ。
よく分かっている。
そして、彼が自分から逃れられないことも逃れようとしないことも、また。

「君は……、本当に愚かです」

「うん」

綱吉は笑んだ。
こちらを見下ろす彼の方が、自分よりもずっと痛ましげな表情をしていた。

「骸って優しいね」

思うままに、言葉が口をついて出ていた。
骸は優しすぎるほどに優しい。

「は?」

自覚すらないのだろうか。
怪訝な表情をする彼に、頬が緩んでしまう。

「おまえがいてくれて良かった」

「綱吉」

骸は表情を歪めた。
涙も何も浮かんだわけではないけれど、泣きそうな表情だと綱吉は思った。

「骸。手、かして」

綱吉は職務机越しに彼に手を伸ばす。
骸は戸惑ったようだったが、やがてその手に自らを重ねてきた。
綺麗な指だ。手の平から伸びたすらりとした五指に自分の指を絡める。
そうしながら、綱吉は囁くように言った。

「オレのこと、抱きたい?」

僅かに、骸は動揺を見せた。
絡めた指先が、びく、と跳ねた。

「……ご冗談を」

あぁ。白蘭とはまるで違う。
なんて正直なのだろう。綱吉は思った。

「やっぱり……、骸は優しい」

「何が」

「白蘭だったら迷わず肯定するよ」

骸のように考えたりはしないだろう。
その行為によって綱吉を傷つけることはないのか。
綱吉は後悔しないのか。
綱吉が心から求めていることなのか。

「…………」

「オレ、骸のこと大好きだし全然いやじゃないのに?」

むしろ、骸に抱いてもらえるのだとしたら嬉しくて堪らなくなるだろう。
快感に震える自分が容易に想像ができた。
骸の指先がまた揺れた。
綱吉は彼を見つめる。
紅と蒼。双色の瞳に映る綱吉。

「やめなさい、綱吉」

骸の指はすり抜けるように綱吉の手から離れていった。

「何が?」

「君はあの男が好きなのでしょう」

綱吉は目を瞬かせた。
好き?
自分と白蘭とその言葉が上手く結び付かなくて、綱吉は首を傾けた。

「彼に関することになると君はおかしくなる」

「んー、かもしれない」

彼が傍にいないと、どうしようもなく不安になる。
案ずることなどないと分かっていてもそれは治まらない。
現に、今もそうだ。
でも。綱吉は呟く。

「オレはおまえがいなくなってもおかしくなると思うよ」

「綱吉」

骸の声はいつものように穏やかではなく、咎めるような鋭さに満ちていた。

「もう、やめて下さい」

制止から懇願へと彼の言葉は変わる。

「どうして」

「気が狂いそうです」

なるほど。
たしかに骸の表情はいまだ見たことがないほどに苦悩に歪んでいた。
それでも、彼は綱吉を置いてこの部屋から逃げだそうとはしない。
狂気を抑え込み、綱吉と共にいることを選ぶのだ。

「骸」

彼の身体に緊張が走った。
一瞬痙攣するように震えた肩、色違いの双眸に走った動揺。
平静など繕っても、綱吉に対しては意味がないことくらい彼だって分かっているであろうに。

「……なんでしょう」

「オレ、ちょっと出かけて来るね」

ごく当たり前の言葉に、彼は安堵したらしい。
その身体の、顔筋の、不自然な硬直が解けた。

「……どちらに」

「散歩、かな」

うそぶく。
未だ帰ってこない白蘭と会えはしないか、などと思っていることは流石に言わない。
ふかふかとした椅子に沈む身体を起こして立ち上がる。

「行ってくる」

「お気をつけて」

ボスの気まぐれはいつものことだ。
さしもの骸も不審には思わなかったらしい。
綱吉はドアノブに手を伸ばす。
開けて、その外へと一歩踏み出す。

「あ、そうだ」

綱吉は、骸を振り返った。

「おまえが死んだら、……オレも着いてくからね」

骸はまた動揺を見せた。
双眸の奥の光が惑う。
なんとも分かりやすい。
これで大丈夫だ。綱吉は安堵した。
万が一、妙な考えに至ったとしても綱吉を犠牲にしてまで彼が行うことはないだろうから。

「じゃあ」

建物の中でも一層立派な造りのそのドア。綱吉が手を離すとそれに相応しい重々しい音を立てて閉まる。
骸を追い詰めないようにその傍を離れることにしたのは内緒の話。





暮れまでに帰れば、そう心配されることもないだろう。綱吉は考えていた。
日はまだ真上の空に煌々と輝いている。
ある種の社会では名だたる組織に属する綱吉だったが、まだ成人していないこと、次期当主であり継ぐのは当分先であることなど様々な要因により、それなりの自由は許されていた。
当てもなく街を歩く。
筈だったのだが、やはり、どうしても足は白蘭のいるであろう場所に向かってしまう。

「やっぱ、いないなぁ」

街に出てみたら偶然、白蘭と会えた。
なんて素敵な話にはならないみたいだ。
白蘭を“片付け”に向かわせた組織はたしかこの辺りにあった筈なのだが……。
綱吉はきょろきょろと辺りを見回す。
その様子は少女と見間違いそうな可憐な容姿と相まってひどく頼りなさげで。
格好の標的になりそうだったが、綱吉はそんなことは考えもしない。
相変わらずのふわふわした調子で歩き続ける。
紙面上でのこの辺りの地形はよく知っているが、空を刺さんばかりに伸びたビルも昼なのに暗い影も、まるで綱吉の知らないものだった。
あんなに白い人、いたら目立ちそうだし、自分が見過ごすはずもないのに。
脳裏に浮かべた地図と目の前の景色とを比べながら、綱吉はビル街を歩く。

――たしかこの辺り……。

別に彼が仕事をしたビルを見たところで何になるわけでもないのだけれど、もしかして、そこに彼がいたりはしないかと確かめたくて堪らなくなるのだ。
骸の言葉通り、自分は“愚か”だし“おかしい”のだろう。
角を曲がった。
人通りがほとんどない通りに入ろうとしていること。
そして、先ほどから自分の後に続く足音があること。
綱吉はまるで気にしていなかった。気にしようとも思わなかった。
その音は、綱吉が影の中へと足を進めていくのにつれて距離を狭め、ついにはその背後へと立つ。
僅かに荒い呼吸音に、はっとして振り向こうともそれは少し遅くて。

「っ、あ」

首筋に強い衝撃を覚えるとともに、綱吉は意識を失っていた。
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