‡short story‡

□Hide and Seek
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静けさに包まれた薄闇の中。
時折、本のページを手繰る音だけが響いた。
静かにするように、と言い付けられていたわけでもなかったが、綱吉は自然と息を潜めてしまっていた。
そうしながら、うっとりと隣に座る少年に魅入る。彼の名は恭弥、といった。
綱吉よりも二つばかり年上の従兄弟だそうだ。
けれど、とても同じ小学生だとは思えない。
彼はひどく大人びて見えた。
綱吉の同級生達のようにはしゃぎ回るところなど想像もつかない。
綱吉にはもう一人従兄弟がいるらしい。恭弥の兄のようなのだが、そちらには会ったことがなかった。
恭弥は何やら書物を読んでいた。
重たそうな本だと綱吉は思う。綱吉の手には絶対収まらなさそうな大きさだ。
表紙にはおそらく題でも記されているのだろうが綱吉には読めなかった。難しすぎる。
眺めるようにして、本を読んでいる恭弥の姿はどこかけだるそうでもあり、しかし、その文字に向けられる一対の漆黒はどこまでも真摯だった。
綱吉には本に書かれた文字は分からなかったが、彼のことなら少しだけ分かる。
きっとその本には面白いことが書いてあるのだろう。思って自分が読んでいるわけでもないのにドキドキした。
綱吉は飽きもせず恭弥のことを眺めていた。
恭弥の方もそんな綱吉の眼差しを鬱陶しがることはなかった。
ぼんやりとした微かな灯が恭弥の指先を映し出していた。
辺りが薄暗いせいか、その白さが一層際立っていて、綱吉は指先を重ねてみたいような衝動に駆られる。
彼の読書を邪魔してはいけないと堪えるのだけど。
紙をめくるため動かされるたびに、ゆら、と揺れるその影さえもが綱吉にはひどく美しくみえた。
あまりにも彼を見つめすぎてしまっていることがふと気まずく思えて、綱吉は目を逸らした。
その手の中にある本の方をちらりと見てみることにする。
少し黄ばみ、よれてしまった紙の上を何やら難解な横文字が這うようにびっしりと並んでいた。
この図書室にあるのはそんな本ばかりだ。
床から天井までを繋ぐ、書架。見上げなくてはならないほどに高い。
その中には数多の書物が隙間なく並べられている。
上質な布を表紙にしたものやら、大仰な箱にいれられたものやら。全て、難解な言葉が並べてあるばかりで綱吉には何がなんだかさっぱり分からない。
綱吉は昔、この図書室が嫌いでならなかった。
面白く無いところも、灯が少ししかなくどことなく暗いところも嫌で堪らなかった。
それらを綱吉は幾度となく父に訴えてみたけれど、いつもは甘い父がこの屋敷に綱吉を連れてくることだけは譲らなかった。
綱吉の将来に関わる大切な相談をしなくてはならないのだという。
しかし、父が綱吉をその話し合いにまぜてくれることは無く、綱吉はいつも図書室で待たされていた。
ずっと独りだった。
けれど、いつからだったろうか。
図書室に恭弥が来るようになった。
自分以外の子供がやってくることなど初めてで、どうしたら良いのか分からなくて、綱吉はただ彼を恐る恐る窺うしか無かった。
恭弥は初めてやってきた時もやはり、今と同じように難しげな本を読んでいた。

――なに、よんでるの?

綱吉はそう、尋ねたのだった。
何とも愚かしいことを訊いたものだと今更ながら綱吉は思わずにはいられない。
自分の無知を露呈しているようなものだった。
けれど。
幸いにして雲雀恭弥は優しい少年だったらしく、愛想こそ無かったものの綱吉に答えてくれたのだった。
その作品名はすっかり忘れてしまった。少年の名前だけが綱吉の中に残った。

――君、退屈じゃないの?

――たいくつ?

それは一体なに?
綱吉が困惑して問えば、つまらないという意味だと彼は教えてくれた。
たいくつ。
読めもしない本に囲まれて、独りきりで、しかも暗闇の中で何時間もぼぅっとしているのはたしかにそうかもしれない。
綱吉はこく、と頷いた。
その無邪気な様子に恭弥は少しだけ頬を緩めたようだった。

――僕も同じだ。

目の前の少年もまた、独りぼっちで淋しかったのだろうか。
なんて、綱吉は勘違いをした。
だから綱吉は言ったのだ。

――もう二人だから淋しくないね。

と、そう。
少年は切れ長の双眸を少しばかり見開いて、しばし呆れたように黙りこんだ。
やがて、笑った。
嫌われてしまったのかとも思ったけれど、今もこうして一緒にいてくれるということはそうでないのだと信じたい。

「綱吉」

彼はそう、綱吉を呼ぶ。
いつの間にか彼は本を傍らに置き、綱吉の方を見つめていた。
綱吉もぼぅっと彼の方を眺めていたので、ちょうど向かい合わせになってしまう形だ。
先ほどまで書物に向けられていた視線が今度はまっすぐ自分を向いているのがなんとも面映ゆい。

「何か、やりたいことない?」

わざわざ読書を中断してまで自分に声をかけてくれるなんて。と、嬉しさとともに申し訳なさが湧いてくる。
ううん。綱吉は首を振った。

「恭弥くんといっしょにいるだけでたのしいよ?」

綱吉はにこりと微笑む。
嘘でも遠慮したわけでもなかった。
本の内容が分からなくても、会話がなくても、十分だった。
彼といる時間は楽しかった。

「…………」

恭弥は何も言わなかった。語るべき言葉を忘れてしまったかのようだ。
その視線は綱吉に釘付けされていた。
図書室を再び静けさが呑む。

「恭弥、くん?」

綱吉はそっとその名を呼んでみる。
そんな様も、恭弥は瞬きすら忘れたように見つめているのだった。

「君は……とんでもない子だね」

やがて、恭弥は小さく息を吐いてそう言った。

「?……恭弥くんはそういう子、きらい?」

綱吉の大きな琥珀色の瞳には不安そうな陰が落ちる。
その中に煌めく灯が一層きらきらとして見えた。

「違う」

恭弥は即座に首を振った。
綱吉を落ち着かせようとしたのか、彼らしくもなく柔らかに笑んでみせた。
綱吉はそんな彼の表情に尚更どきどきとする。今度は不安とは違う緊張だったけれど。

「綱吉。僕は君を、」

恭弥が何か言おうと唇を開きかけた時だった。
コツコツ。図書室の入口の扉が柔らかな音を響かせた。
誰かがやってきたらしい。
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