‡short story‡

□少年の選んだ方法
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不思議だった。
まさか、学校にちゃんとしたシャワー室が備えつけられているなんて。
ザーザーと水音を立てているシャワーを止めて、すぐ上の棚に置いてあるタオルを取った。僕をここに連れてきた少年が、置いていってくれたもの。
いくら準備がなされているとはいえ本格的に浴びる気にはならなかったから、髪と顔だけを濡らした。それでも大分すっきりした。
全てはあの少年のおかげだ。風紀と記された腕章をつけた、彼の。
柔らかに笑む彼を思いだし、僕は知らず笑んでいた。
顔を拭う。それから、がしがしと髪をタオルで拭きにかかった。
一通り乾かしたところで、シャワー室のドアを開ける。
その外には学校の、ましてや生徒に与えられるものだとは到底思えないような立派な部屋が広がっているのだった。
風紀委員長に与えられた部屋らしい。
皮張りのソファー、上等そうな木製のテーブルが来客用のためにか置かれている。ホテルのラウンジかと見紛いそうだ。
何より目を引くのは職務机だった。
エラい人が役所かなんかで使っていそうな机。その上には幾らか書類が積まれてはいたが整然とした雰囲気を漂わせていた。
もとは応接室だったのだそうだから無理もないのかもしれないけれど、豪華過ぎる。とりあえず、一生徒が所有するものでは無いと思う。
僕をここまで連れてきた彼は、といえば部屋の雰囲気に物怖じする様子もなく、ソファーに身を委ねていた。何やらぼぅっと考えているらしい。
僕に気が付くと弾かれたように身を起こした。

「気にしなくていいよ」

僕の言葉に彼はふる、と首を振った。
わざわざ立ち上がろうとまでするから慌てた。
僕が制止しようとしたのが分かったのだろうか。
彼は少し頬を緩めた。それから、

「一緒に座ろう?」

などと言う。
断る理由も無くて僕は彼の向かいに座った。ソファーに、まだ濡れている髪と首にかけたタオルがつかないよう気をつける。
座るとまた違った部屋の様子が視界に入ってきた。

「……ここ、君の部屋なの」

僕は尋ねていた。
彼の様子は随分とこの部屋に慣れているようだった。
もし彼の部屋なのだとしたら、彼が風紀委員長だということになるのか。
それはなんとなく彼に似合わないような気がした。風紀を取り締まる、なんてなんだからしくない。
会ったばかりの僕に、何が分かるのだという話だけれど。
ううん。彼はあっさり首を振った。

「オレはその人の知り合いなだけ」

本当は風紀委員でも無いんだ。言って、彼は自らの腕に嵌めていた腕章を外してしまった。

「外すんだ」

「今は必要ないから」

彼は微笑む。それはどこか痛々しくて、けれど、僕の目は釘付けになってしまっていた。
ただ、言うべき言葉が見つから無くて僕は呆けたように沈黙を保った。

「古里炎真くん?」

彼は口を開く。紡がれる音はやはり、耳に心地好かった。

「何」

思わず返事をしてしまってから、僕は目を見開く。
まだ、僕は彼に名前を告げていない筈。
驚く僕に、彼は嬉しそうに笑った。

「よかった。合ってた」

隣のクラスに来た転入生の名前がそうだって聞いてたから。彼は言った。
どうして分かったんだと聞こうとして、自分の制服がまだ前の学校のもののままであることを思い出す。
この機会に買い替えてしまうのも手かもしれない。汚れた制服をちら、と見て思う。
あ、そうだ。

「君は?」

「え?」

「君の名前、僕はまだ知らない」

知りたい。と思った。
同じクラスでないのだから、普通ならこの先関わることなどもう、ほとんどないのだろうけれど。
でも。
彼と一緒にいれたらいいのに。もっと彼について知りたい。

「沢田綱吉。みんなはツナ、とか……ダメツナって言うよ」

「ダメツナ?」

「ひとりじゃ何もできないって」

彼は自嘲するよう唇を歪める。その視線は外された腕章の方にす、と遣られたように見えた。
ほんの一瞬。
今は必要ない。彼はたしかそう言っていた。
まるで……、自分が腕章にでも守られているような言い種だった。

「……君は、僕を助けてくれた」

辛そうな彼の表情にいたたまれなくなって、僕は庇うよう言っていた。
彼の返事は無かった。
応接室に奇妙な静寂が満ちた。

「違うよ」

彼はやがて小さく言葉を紡いだ。

「え?」

俯きがちだった顔が僕の方を向く。
彼は微笑む。
その微笑は相変わらず柔らかだ。どこか危うさを湛えてもいたけれど。
その唇はゆっくりと焦らすように動いた。

「見とれちゃったんだ」

と、そう。
震えそうになった。
彼の言葉は、声になるだけで僕をそんなにも揺さぶるのだった。
恐る恐る、続く言葉を待つ。
彼の瞳は灯に当たって煌めいてみえた。

「エンマ君が倉庫から出て来た時、」

「僕は不良に絡まれてただけだよ」

堪らず口を挟む。
彼は賛美するべき相手を間違えているのではないかと思った。
僕は抵抗もせず、暴力を振るわれ、金銭を奪われただけだ。
見とれるような相手ではない。
ましてや、外に出た時なんてボロボロの状態だったじゃないか。
彼は小さく、けれど、はっきりと首を振った。

「すごくね、見下した目してた」

――ぞくぞくしたんだ。

彼のその琥珀の双眸には恍惚の色があった。
殺されるかと思っちゃった。彼は続けた。
まるで、それを望んでいたのだとでも言うような台詞だった。
不愉快には感じなかった。引きずりこまれていく心地がした。

「助けたんじゃないよ。ただ……もっとエンマ君を知りたかっただけなんだ」

「ツナ君」

彼の名を、縋るよう呟く。
どうしたらいい、僕は。
釘付けされたよう、彼から目を離せなかった。
彼は僕に向かって、ただ僕独りのためだけに笑みを浮かべた。

「あんな奴らにエンマ君が貶られるなんて許せない」

「でも」

それは……僕が弱いから仕方がないんだ。
奴らは誰かを踏みつけることによって自分はまだ上に立っているのだ、と安心したいのだから。
ツナ君はじ、と僕の方を見つめていた。

「強さ、は力だけじゃないよ」

彼は確信をもって、強く呟いた。
僕の心を読んだかのようなタイミング。その言葉は自らに言い聞かせているようでもあった。
僕は祈りを捧げるのにも似たその様に見惚れた。

「手出しなんかできないように、オレがしてあげる」

彼は婉然と微笑した。
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