‡short story‡

□契
1ページ/3ページ


街外れにあるバラックの建ち並ぶ狭い通り。
行き交う人は多く、彼らが地面を蹴りあげる度に埃や塵が汚らしく舞った。
夜の闇をも無くすように掲げられたガス灯がそれらを映し出していた。
六道骸は思わず咳込んだ。
横を歩いていた同僚らは慣れたもので、その不衛生さを気にした様子もない。

「こういうとこ、あんまり来ないんだ?」

失笑しながら、そのうちの一人が尋ねてくる。
えぇ。骸は嫌悪を隠すことも無く眉を顰めながら頷いた。
足早に目的地を目指す者、客引きをする娼婦を品定めする者。上等な洋装に身を包んだ者は一人としていない。
この界隈では、金持ちであるからといって優遇されるようなことはないからだ。
良いカモとして、たかられて終わるくらいである。
が、他に上手く紛れてこの地に忍んでくる身分ある者も勿論いた。
骸たちもその一員であった。彼らが高等小学校の教師であるとは誰が考えようか。
この辺りの住人の多くは街娼であり、彼女たちが望むのは行為の対価だった。それすら払えるのならば誰だって構わない。
はなから良家の子息の愛人になろうなどとは考えてもいないのである。
訪れる者もただ欲望を吐き出したいだけで、それはまた、骸をこの地に誘った同僚もその口のようだ。
付き合いが悪すぎるのも良くないと思ってついてきてやることにしたのだったが……。骸は既にうんざりとしていた。
早く、お目当ての街娼を見つけて行為に及べばいいのに。
その間に自分は帰ってやる。
客に誘いかける女の中にはたしかに若く美しいのもいたが、骸は何も思わなかった。
むしろ。

――あの子の方が、ずっと。

骸は脳裏にとある少年を思い描いた。
冷ややかに呼んでやれば怯えた表情を浮かべて。
教鞭を振るって与えた痛みには唇を噛んで耐える。その手から滲む鮮血。堪え切れずに潤んだ瞳。
沢田綱吉。骸の教え子だ。
出来は悪いし授業も眠ってばかり。けれど、愚かなくらい実直で純粋。
今日も、居残るように命じれば大人しく従った。
骸は他の生徒が皆帰ったその教室で、綱吉と二人きりで過ごす時間のことを少なからず愉しみにしていた。
自分はどうやら好意という言葉以上の好意を彼に抱いているらしかった。
定石通りに教師らしく、まずその過ちを咎めてやることから始めたのだった、が。
骸から受けた傷が痛むのか、その間も時折ちらちらと自らの手に視線をやる姿さえも愛おしいと思った。
骸は極めて上機嫌であった。
けれど。そこにやってきたのが同僚だった。
こともあろうか、骸のことを厳しすぎる。と糾弾し、もう遅いから帰らせるべきだ。などと言い出した。
何よりも気に喰わなかったのはそれを聞いた綱吉の表情があまりにも可愛らしく華やいだことだ。
が、時間が思ったよりも遅くなってしまったことは確かだったし、骸はひとまず綱吉を帰してやることにした。
そのあとで同僚に用件を問えば、単に遊びの誘いに来ただけだというのだから本当にやるせない。

――沢田綱吉。

自分はいったい彼をどうしたいのだろう?
彼を虐げている時に感じるそれは、まるでオーガズムのようだとも思うのだ。
例えば、骸は夢想してみる。
街娼が彼だったとしたら?
この薄汚い通りに彼がいて自分に買ってくれるよう乞うたとしたらどうだろう。
向けられる琥珀はやはり潤んでいるのだろうか。

「今日はありがとうございました」

聞き慣れた声が鼓膜を震わせたような気がして、骸は顔をあげた。
目を疑った。
人混みの向こうにちら、と見えたふわふわとした薄茶色の髪。小さな身体は今にも人の波に溺れてしまいそうだ。

「六道!?」

後ろから同僚が呼んだような気がしたが構わず、その子の方へと歩きだしていた。
擦れ違う見知らぬ人々と身体が当たることを不快に感じる余裕すら無かった。
らしくなく焦っていた。
毒々しいほどに絢爛な深紅の着物。その中を舞う蝶々。
見慣れぬ装束を纏ってはいたが、教え子にしか見えなかった。
きらびやかな着物はかえってその華奢な様を強調するばかり。不安定さは見る者の欲望を煽った。
あれが沢田綱吉なのだとしたら、何故。
まだ、何か喋っているらしくその影は動かない。
向かい合っているのはこんなうらぶれた街には相応しくないような金髪の異国の男。

「なぁ、ツナ。こんな暮らし、まだ続けるつもりなのか?」

「……ディーノさん」

「オレに買われてくれんなら、もっと良い暮らしさせてやるのによ」

お願いだ、ツナ。金髪の男はそう言って少年を抱きしめた。
少年は抗いもせず、そっとその背に手を回す。
爪先立ちをして唇を触れ合わせ、ごめんなさい。とそう囁いた。
その言葉は紛れも無く骸がよく知る沢田綱吉のものだった。

――何故。

「……また、来るから」

「お待ちしております」

淋しげな微笑を浮かべて少年は言った。
ディーノという男は、骸とは反対の道へと歩き去っていく。
その姿をしばらく見送ったあと、少年もまた、そちらへと歩きだした。
次の客を探すつもりなのだろうか。
逡巡する間もなく、骸は彼のあとを追っていた。
人に遮られてなかなか進めない綱吉に追いつくのは容易いことだった。

「失礼」

その瞳を塞ぐように手を回して囁きかけた。
綱吉の体躯は自分の腕の中にすっぽり収まってしまった。

「は、はい。なんでしょうか?」

綱吉はびく、と震えはしたものの、それは反射的なものに過ぎなかったらしい。
声にそれほど怯えは無かった。
骸はその耳朶に唇を添えた。

「君を買いたいのですが」
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ