雲雀短編

□それはたまらなく長い時間
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「本当、君を見てると世界が危急存亡のときを迎えようとしてるなんて嘘みたいに思えるよ」

「……キキュウソンボウ?」


待ち構えていたのとは全く違う聞いたこともない言葉に首を傾げると、
彼は君が馬鹿で良かったよと本日何度目だと再び唇を尖らせたくなる意地悪に続けて、


「幸せそうってことだよ」


と笑った。
彼が言ったキキュウソンボウという言葉と幸せそうなんて言葉が同じ意味じゃないことぐらいは言葉の雰囲気でなんとなくわかったけれど、
追求はしない。
聞いたってきっとはぐらかされてしまうだけだ。


「幸せに決まってます!雲雀さんが早く帰ってきてくれたし、
ずっと食べたかったケーキ屋さんのケーキも食べれましたから」


なぜだか胸に広がるおかしな不安を掻き消すように笑ってみせると、
私ほどではないけれど笑っていた彼の瞳が少し曇った。
綺麗な灰色の瞳が長い睫毛に隠される。


「またすぐ出掛けなきゃいけないけどね」


聞いてるこっちが悲しくなってしまうほど切なげな声。
直接言われたわけでもないのに、
まるでいつまでも一緒にはいられない、
とでも言われたみたいに胸が軋んだ。
口の中に運んだ2つ目の苺は、
なぜだかあまり美味しくなかった。



「……でもまたすぐ帰ってきてくれるじゃないですか」



たまらなくなってそう言うと、
彼は仕事が終わったらねと言うだけで、
私が望んでいたすぐ帰るよと言う言葉は聞けなかった。
私は黙り込んでただただ味のしなくなった苺を頬張り続ける。
広い和室に和装で座って湯のみに口付ける彼と違って、
軽い洋装で洋菓子をつつく私だけがこの空間に溶け込めていなくて、
なんとも言えない疎外感を感じた。

少しの沈黙が続いてすっかりケーキを食べ終わった頃、
彼は癖になってしまっているような欠伸をして小さく伸びた。
私が空になったお皿をお盆に戻すと、
彼は待ってましたという風にそれを退けてゴロンと寝転がる。
私の膝を枕にして。
黒猫みたいにふわふわでさらさらな髪の毛で覆われた頭の重みが膝にのしかかった。


「…雲雀さん?」

「こうしてると何もかも放り出して、
何もかもを知らないふりをしてずっとこうしてここにいたいなんて思ってしまうよ」


突然のことに戸惑う私をよそに、
彼は落ち着いた声色で話し始めた。
膝の上が定位置だった両手が居場所を奪われてソワソワと宙を舞う。
横になって目を綴じた彼の瞳にそんな様子は写っていなかったはずなのに、
全てお見通しだという風にその手を取られて、
軋んだ胸がキュンと鳴った。


「……ずっとここに居ちゃダメなんですか?」


唯我独尊を貫く彼なんだから、
そう思うならそうすればいいのに。
私だってそうして欲しいと思ってる。
毎日のお勤めに懸命な彼には、
そんなこと言えた試しはなかったけれど、
それはいつも思っていたことだ。


「沢田綱吉なんかにみんな預けてられないよ、
あんな頼りないのにまるなげしたら君とこうしてここにいる時間すら失いかねない」


はぁと大きな溜め息を付いて、
沢田君は殺されてなかったんだなと変なところで安心した私の掌をギュッと握り締める。
温かく、大きいのに華奢なその手の中に、
私の手はすっぽりと収まっていた。


「君といる場所と、君と過ごす時間を守りたいから行くんだよ」


彼は聞いたこともないほどに、
弱々しい声で言った。
私の知っている沢田君は(マフィアなんて世界を知ったのは彼と出会ったほんの数年前だから沢田君のこともあまり知らないけれど)、
ファミリーのボスに相応しく、
優しくて強い。
彼の背負うもの全てをまるなげしてしまっても構わないんじゃないかと思うくらいに。
そんな沢田君に稽古をつけているなんてその時点でおかしな話だったと、
今更になって思う。
それに加えて彼がこんなことを言い出すなんて、
なんだかおかしい。

何かが起きている。
私の知らない、何かが。


あれこれと無言で頭を巡らしていると、
見かねたみたいに寝返りを打って仰向けになった彼と視線がぶつかった。
逆さまに彼の顔を見下ろすなんて初めてだ。
どんな角度から見ても、
美人なことに変わりはない。


「けど、
今度帰ってきたら、
僕はボックスの研究からもボンゴレなんて鬱陶しい群れからも手を引くつもりだよ」

「……へ?」


唐突な宣言に、
間抜けな声が出た。
私の手を握る手とは別の手が伸びて来て、
彼の額の辺りまで垂れた私の髪の毛をそっと掬う。
どうしてですかと戸惑いながら聞いた私に、
彼は、


「余生を君と過ごすためさ」


なんて、
金婚式でも迎えた老夫婦がその先を案じて語るみたいな、
そんな言葉を呟いた。





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