雲雀短編

□それはたまらなく長い時間
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「ただいま」

「……お…おかえりなさい…」


その日、
彼はいつもより随分早く帰宅した。

数日前から待ちくたびれて夕飯を先に済ませようかどうしようかと迷うくらいの時間帯に帰ってくるようになった彼は、
ボンゴレファミリーのボスである沢田君と毎日一区切りつくまで殺し合いをしているんだと話していた。
修行とはいえ戦うことが大好きな彼のことだから死なない程度に傷め付けながら少しでも長い時間沢田君と拳を交えているんだろうなと、
夜遅くまで待つのがもう当たり前のようになっていた今、
こんなに早く帰ってくるということはとうとう本当に、
うっかり沢田君を殺してしまったんじゃないだろうかと私は一瞬息を呑んだ。
まさか一応仲間である沢田君を手にかけるなんていくら彼でも……
と根拠らしい根拠もないまま最悪の事態に首を振り、
私は気を取り直してなんとかぎこちない笑顔を作って彼を迎えた。

まだ空には日が残る時刻の玄関先でお土産だよと渡された小さなケーキ箱には、
最近近くにオープンしたと私がはしゃいで彼に教えたケーキ屋さんの名前が流れるように綺麗な字体で描かれていた。
長いこと外出を禁止されていた私には到底無縁だと思っていたその店名にこんな形でお目にかかれるなんて。

けどそんなことに感動するより先に、
彼がお土産を買ってくるなんていうあり得ないような気紛れの方に驚いた。
彼と出会って数年になるけれど、
こんなことは初めてだ。



「…どうしたんですか?これ…」

「食べたいって言ってたじゃない」



どうしてお土産なんて?と言う意味で聞いた質問は、
このケーキをどうしたのか?ととられたらしい。
そうじゃなくて、
と聞き返そうとしたけれど、
疲れたようにネクタイを緩めながら奥へと足早に歩き出してしまった彼の背中にはそんなつまらないことより、


「…ありがとうございます!!」


そう伝えるのが先決だと声を張り上げた。
歩きながら少しだけ振り向いた彼の口角が上がって、
着替えてくるよと言う彼とは長い廊下を少し一緒に歩いて台所の入り口で別れた。

テーブルの上にケーキ箱を置いてさっそく封を開ける。
中には色鮮やかな果物や飴細工で彩られたケーキが幾つか入っていて、
なんとなく草壁さんが選んでくれたんだろうなと頬が緩んだ。
彼がこんなのを選ぶ姿なんて想像もできない。
それでも、
私が話していたケーキ屋さんの話を興味なさ気に聞きながらも、
ちゃんと覚えていてくれたことがたまらなく嬉しいかった。
いつもツンケンと意地悪ばかりする彼は、
本当はとても優しい人なのだ。

悩みに悩んで、
堆く飾りつけられた苺に可愛く星型のチョコレートを散りばめた大好きなタルトを一つお皿に取って、
彼の好きな煎茶を淹れた湯のみとそれをお盆に乗せて台所を出る。
彼は甘い物が苦手だから、
ケーキは私一人分で十分なのだ。
気を配って食べないと知りながらも彼の分を持って行っても、
きっと“食べないの知ってて嫌がらせ?”なんて意地悪を言われるのがオチ。
今日の場合だと“君のために買ってきたんだけど”なんて言われるかもしれないな。
そんな風にいつもぶっきらぼうだけど優しい彼のことを考えながら廊下を歩いていると、
知らぬ間に笑顔になっている自分に気が付いてのろけてるなとまた笑えた。

突き当たりにある広間の襖を開けると、
既に真っ黒な着流しに着替えた彼が広い室内の真ん中に座っていた。
彼のその姿を見ると、
私はいつも映画でしか見たことのないジャパニーズマフィアを思い出す。
出演者はみんな強面のおじさんで、
こんなにも整った顔をした美人なんて一人も出演していなかったけれど、
醸し出す雰囲気はとても似ていた。

唯我独尊と掛かれた書が掛けられた欄間をくぐって、
悠々と胡座をかいて座る彼の前にお盆を置いて私の特等席である座布団に座る。
煎茶が柔らかな湯気を立てる湯のみをどうぞと渡すと、
彼は無言でそれを受けとった。
今朝いつもと変わらない様子で出掛けていった彼と、
少し様子が違うなと感じるのは気のせいだろうか。


「今日は随分早かったんですね」

「早く帰って来られたら困ることでもあるの?」

「そ、そんなことありませんよ!嬉しいだけです」

「……そう、随分驚いた顔してたから浮気する予定でもあったのかと思ったよ」

「そんなわけありません!!」


私が声を荒げて言うと、
彼は冗談だよと小さく笑って湯のみに口を付ける。
彼のこういう意地悪は良くあることだとわかっているのに、
ついムキになってしまう私は彼と違ってまだまだ子供だなと声を張り上げてしまった後にいつも思う。
そういうところがいいんだよと前に言われたことがあったけれど、
彼がよくても私はよくない。
少しでも、
彼の隣りに並ぶのに相応しい大人な人間になりたいのだ。


「せっかく早く帰って来てくれたのに、
そんなこと言われたら楽しくなくなります」

「そう?僕は楽しいけど」


意地悪く笑う彼の態度が悔しくて、
私は目の前のケーキを手に取ってふてくされながらフォークでつついた。
こんなんじゃ大人なんて程遠いな、
なんて思いながら。

それでも、
口に運んだ苺とカスタードクリームの甘酸っぱさと甘さがなんとも言えずに絶妙で、
不機嫌に尖っていた唇は苛立ちを忘れて簡単に弧を描いた。
ケーキのおいしさに一喜一憂してるなんて子供だとまた思われたとしても、
それはそれで構わない。
苺やクリームにときめかなくなってしまえば、
大人どころかきっと女の子でいられなくなってしまうと思う。
口内に残るクリームの甘さに浸りながらそんな持論を頭の中で叫んでいると、
不意にぬるい視線を額の辺りに感じて、
ケーキに集中していた意識を静かに持ち上げさせられた。



「それ、美味しい?」

「…はい!とっても!」


湯のみを置いて座布団の横に置かれた肘置きにもたれながら、
目を細めて言う彼の視線は柔らかい。
私は一口頂戴なんて困るようなことでも言われるのかと身構えた。(一口でも勿体無いなんて卑しい限りだけれど)





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