臆病者の幸福論

□なんでかって、恋故に
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真っ白な湯気の立ち上る小さな湯船は、
私の一番大好きな場所。
そこに大好きなあなたさえいれば、
欲しいものなんてもうなんにもなくなってしまう。
広い広い世界から切り離されたみたいなこの小さな空間に、
いつまでもいつまでも、
時間を忘れてあなたといられたらそれだけでいい。
それだけで、
私は世界中で一番幸せなお姫様になれるんだ。






ちゃぷん、と、
長居できるようにとぬるめに入れたお湯に浸かって、
その中で私を待つあなたの胸に背中をつける。
当たり前のように伸びてくる手がキュッと私を抱き締めて、
密着する肌はこのお湯よりも温かい。
すり寄るあなたの唇が耳元で遅いよと呟いて、
フワリと聴覚をくすぐられるとほっぺたがボォっと熱くなった。

トクトクと、
背中に伝わる規則的な心音は、
まったりとリズムを刻むメトロノームみたいに流れる時間を緩やかに減速させてくれてるようだと思った。
まるで2人きりでいられる貴重な時間を惜しむみたいに。

そうやってこのままこの時が終わってしまわないように、
何時までもこのままでいさせてくれたらいいのに、
時間を止めてくれたらいいのに。


あぁなんて、
心地良い瞬間。

なんて心地良い感覚。


こんな時、
まるで夢みたいにフワフワで素敵な時間だね、
なんて可愛いらしいことが言えたらいいのに。

束ね損ねてうなじに張り付いてた僅かな髪の毛の隙間に口付けられながらそんなことを考えたけど、
きっと意地悪なあなたのことだ、

頭悪いこと言うよね、

なんてからかわれるだけなんだろうなと結末が想像出来てなんだか笑えた。



「…何?くすぐったいの?」

「や…それもあるけど…」



秘密、

なんて、
なんとなく含みのある言い方をしてみたら、
意地悪だねとふてくされたみたいに返されてまたほっぺたが緩んだ。

意地悪なんてするのは、
いつだってあなたの方じゃない、
なんて発言は子供っぽくおこりんぼなあなたにぶつけないのが私の大人の余裕なんだ。

と、
心の中で自慢げに胸を張ってる子供っぽく負けず嫌いな自分にまたクスリと一笑、



「なんなの?さっきから…」



ケタケタと笑ってばかりいる私とは真逆に、
からかってるのかと唇を尖らすあなたはなんだか可愛らしいなと思う。

本当、
そういうとこも大好きなんだよね。








「なんでもないよ、あ、
晩ご飯何にする?」

「…ハンバーグ」

「え、また?こないだ食べたばっかりだよ?」

「いいじゃない、
君がまともに作れる料理なんてそれくらいしかないんだし」

「………意地悪だよね」

「君ほどじゃないさ」



クスリと笑うあなたと、
アハハとはしゃぐ私。


いつまでも続けばいい、
こんな他愛ない時間。

いつまでも続けばいい、
こんな穏やかな2人。


一緒に過ごしてきた時間を思い起こして、
つまらない話で笑い合ったり、
くだらない話に意地悪をぶつけ合ったり。

そんな時、
私は何より愛ってやつを感じられるんだ。


多分、
キスやセックスなんてやつ以上に。



今だってそう、
浴室に低く響くあなたの声が、

けど意地悪な君も好きだよ、

なんて会話に乗せて何気なく伝える愛の言葉に、
たまらなく胸が熱くなる。

たまらなく愛しさが込み上げて来るんだよ。


あぁずっと、
こうして2人重なりあえていたらいいのに。

時間なんて忘れて、
命を賭けなきゃいけない仕事なんて忘れて、
あなたの温かな手にそっと抱き寄せられて、
つまらない話をして、
笑い合って……















「………って何してるんですか?」

「何って、言わせたいのかい?」



なんていつも思うけれど、
物思いに耽る時間は決まってすぐ様その手によって奪い去られてしまうんだ。

私の体をさ迷うように行ったり来たりしていたそれは、
待ちきれないと言わんばかりに理性を奪う急所へと滑り込んで来るから、
困る。



「……ん………ぁ」



反射的に漏れてしまう声が、
あなたを煽ってしまうってことも良く分かっているのに、
止めることは出来ない自分が情けない。

私はこうのじゃなくプラトニックな愛情に浸っていたいのに、
なんて言葉すら、
グイと後ろを向かされてぶつけるように重ねられた唇から侵入してきてた熱い舌に絡めとられてしまう。

私を支えることに徹していたもう一方の手が、
退屈だよとでも言いたげに胸へと伸びてきてしまえば、

あぁ、最早逃れる術はない。
否、
初めからそんなものありはしないんだろうけど。
(本当は逃れる気すらさらさらないんだ)(だってとっても気持ちがいいの)



「…恭…や……っ…」


しなやかに、
且つ的確に快感の的を射抜くあなたの指先はきっと、
私以上に私を知ってる。

幾度となく与えられてきた快楽だから、
その果てに待ち構えてる、
あの我を忘れて溺れ沈んでいく感覚も良く分かってるの。

だから今のうちに、
まだ理性が、
意識が、
プラトニックを求めているうちに、
少しだけ抵抗させてよ。



「……ちょっと…待って……っ」

「……何?」


擦れたような声に反応してピタリと私を愛でる指が動きを止めると、
無意識に思ってしまう、
やっぱり寂しいな、なんて。
矛盾してるよね、私。


「……もうちょっと…話してたい…かも」

「………………」


僅かな沈黙。
嫌がられたなんて誤解させちゃったかな、
と微動だにしないあなたを不安になって振り返れば、


「…うわっ!」


浮力を利用していとも簡単にグルリと体を回転させられて、
向かい合わせになって彼の熱に跨るような格好になると、
上気した表情をした私を映す瞳が優しく細められた。

ドキリと大きくジャンプした心臓は、
私のぺたんこな胸なんかあっという間に突き破ってしまいそうだなと、
浮かされてさらけ出された胸元を両腕でそっと隠した。


「…僕にお預け食らわすなんて、何様?」

「お…お預けとかそういうんじゃなくて…」

「じゃあ何?」

「…何って…たまにはこういうのじゃなくて……いっぱい話していっぱいくっついてたいな…なんて…」

「無理」

「…む…無理って……」

「好きな子が目の前で裸でいるのに、
何もしないでいられたら男として正常じゃないよ」

「…………けど…」

「嫌なの?」

「嫌じゃない…」

「じゃあいいじゃない」

「…えっ……うぁっ…でも……」

「黙って」







喚く唇に、
し、と人差し指を押し付けられて、



君が欲しくて何が悪いの?



なんて、
滅多に聞かないあなたのその甘ったるい声で囁かれたら、

言い返す言葉なんか、
もう見つからないよ。









深く深く口付けて、
深く深く繋ぎ合わせて、

気持ちを1つに、

想いを1つに、

体を1つに重ね合わせて。



私は何より幸せってやつを感じるんだ。



意地悪し合って、

じゃれ合って、

笑い合う緩やかな時間が好き。




けどやっぱり、

あなたと熱を溶け合わせるのが、


一番好き


……なのかもしれない。




なんて、
あなたの手にかかれば、
私の思想なんか簡単に書き換えられてしまうんだ。









なんでかって、恋故に



あなたが好きなものは私も大好き。


だってあなたが好きなんだもん!






END

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