臆病者の幸福論

□攻略法のない愛
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私が恋をしたのは、
まるで感情ってものが欠落してしまったみたいに冷たくて、
暴力と権力で全てをねじ伏せてしまう人の道なんてすっかり外れてしまったような、

そんな、
一番恋なんてすべき相手ではないような、

恐ろしい人でした。










「あ、あの、雲雀さん…」

「………何?」


ただ名前を呼んで、
振り返ったあなたに見つめられただけで(睨まれただけで)私は次に言うべき言葉を忘れてしまう。
それが恐怖のせいじゃなく、

恋、

なんて生温いもののせいだって気が付いたのは結構最近のことでした。
今だってそう、
真っ黒な髪を靡かせて振り向いたあなたに、
用があるなら早くしてよと急かされて、
私の頭の中は真っ白になってしまったんだ。


好きなんです、


その一言が言えなくて、
私は何度渇いた口内に湧き出してくる唾を、
どれだけ突き放されても消えてくれない感情を、
黙って呑み込んだことだろう。




「…な…なんでもありません…」

「…用もないのに呼ばないでよ」


冷たい一言一言にいちいち傷付くこの胸は、
多分もうズタズタのボロボロだ。

あぁ、
今まで経験してきた数少ない恋も、
これほど苦しかっただろうか。

今この瞬間のこの気持ちが強過ぎて、
そう昔でもない過去すら思い出せない。
否、
思い出せないわけじゃなく、
この恋が別格過ぎて比較すらできないのかもしれない。


それくらい、

好きなんです、

あなたが。




ねぇ、
どうしたら振り向いてくれるの?
その背中。


可愛い服で着飾ったって、
あなたは決して見てくれない。

細やかな気遣いを見せたって、
あなたは当たり前のことだとそっぽを向く。

慣れない仕事を頑張ったって、
あなたは決して私を認めてくれない。

好きだとどれだけ思いを馳せたって、
あなたの心は振り返らない。



毎日毎日、
誰よりもいつも一緒にいるっていうのに、
あなたの瞳はいつだって凍りついてしまったみたいに冷たいままで、
私をその灰色に映すことはしてくれない。

好きって気持ちが、
これほどまでに過酷なものだなんて、
あなたに出会わなければきっと、
生涯知らずにいれたんでしょうね。




「……雲雀さん…」

「…何?今度はちゃんと用があって呼んだんだよね?」

「…あ…ぃや…その……」

「いい加減にしなよ」

「……ひ…雲雀さんは…どうして私を秘書なんかに…したんですか…?」

「何なの?いきなり」

「…だって私なんかより有能な人なんてきっと沢山いるし…その……雲雀さんは私のことお嫌いなみたい…だし」

「ワォ、誰がそんなこと言ったんだい?」

「……へ…だ…だって……違うん…ですか?」








「…少なくとも好きじゃないことだけは確かだけど」



「……わ…分かってます………そんな…こと……」






自分から言い出したんだから、
分かってはいたけれど、

その口からはやっぱり聞きたくなかったなと思った、
その言葉。


“好きじゃない”なんて、

冷たくあしらわれるより、
そっぽを向かれるより、
何よりも私の心を傷つける、

鋭利な刃物だ。


どうしてこんなにも痛いのに

嫌いにはなれないのかな。


叶わないから、
諦める。

なんて潮らしいことができない私の傷だらけの心は、
いつまで保ってくれるのかな。







そんな会話に興味は無い、
とでもいいたげにふぃと向けられた広い背中。
毎日毎日伸ばせるだけ腕を伸ばしても決して届いてくれないその背中が私の視界を支配して、
まるで、
死んでもその向こう側にあるあなたの心には私の想いは届かないんだと、
知らしめられた気がした。





どうしたら振り向いてくれますか?

なんて問い掛けには、

答えすら、

存在していないのかも知れない。








攻略法のない愛












ジワリとごく自然に瞳を濡らし始めた涙を悟られてはいけない。

恋愛感情なんて知らないようなあなたには、
きっと理解すらできないこの涙。

気付かれて、
また面倒だと吐き出される溜め息を聞いてしまえば、
すでに傷だらけの心がきっとまたもう一つ傷を増やす。

だから、
声を殺して、
呼吸を止めて、


(こんなにも振り向いて欲しいのに)


どうか振り返らないで、
今だけはと、
強く強く、
願いました。


















嫌いなわけないじゃない。


こんなにもこんなにも、
愛おしくてたまらないのに。

けど、
この戦いが終わるまで、
僕はこの気持ちを閉じ込めるって決めたから、

だからもう少しだけ待っていてよ。


その涙にごめんねが言えるその日まで、
どうか離れないで傍にいて。

大好きな君を繋ぎ留めるために、
今言える言葉は一つ。







「けど…嫌いじゃないよ君のこと」






背中と僅かな距離越しに聞こえた、

ドキリと跳ねる君の心音。

抱き締めたくなる衝動を押し殺すのは、

どんな痛みを耐えるよりも苦痛な瞬間。




(こんなにも振り向きたいのに)


振り返れない切なさに震える瞳に、
どうかどうか気付かないでと、

強く強く願っていたよ。




END

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