Pot aux Roses...

□† プロローグ †
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戴冠式を翌日に控え、王子ルイ・シャルルはシャンパーニュにある王家のシャトー『ヴァン・ブルー』にいた。
今夜の恋人に選んだ女を帰し、月光に照らされた窓辺に立つ。
このままこの窓を開けて眩しく光る月を両手で抱きしめたいが、そんな事をすれば近衛が大勢でやって来て、折角の気分を台なしにされるのだろう。
暫くじっと月を見つめ、そして目を閉じた。
瞼の中に蘇る月。この残像を忘れる事はない。
誓いではなく、そんな予感を覚えた。
月明かりを頼るように、窓辺から離れて闇の中にある書斎机に向かった。スタンドの灯かりだけを点けて、子供の頃に読まされた簡単な歴史絵本の表紙を開く。そこに描かれているのは《人類の創世記》。


―――地球が病気になってしまい、科学者(地球のお医者さん)達が懸命に治療しましたが、治るのに200年くらいかかりました。


いっそ絶命してしまえばよかった……。シャルルは舌を打つ。


―――科学者が地球を治している間、人々は月で暮らしました。けれど月は狭いので、みんな怒りだし、病気の地球に帰りたがったり、人数を減らそうと殺し合いを始めたりしました。


救いがたい。人間とは、人間の心とは、何処まで救われないのだろう。どうせ《狭い月》に移住する優先権も争ったに違いないのに、与えられてもなお奪う。どんな時代の、どんな社会でも人間は貪欲に求め、傷つけ合ってきた。


―――地球に皆が帰れるようになりました。広い地球で平和に暮らせるように、二度と争ったりしないように、帰る前に皆で話し合いました。月で悲しい争いを心配して止めるよう注意していたのは王様達です。ですから立派な王様に従おうと決めて、ようやく地球に帰る事が出来ました。


子供向けの絵本だから仕方がないが、かなり事実を割愛して描かれている。早い話が、王様は素晴らしくて立派だと教えたいだけなのだ。
モチーフにされた月移住は、既に二千年近くも過去の歴史である。その原因は、当時の記録が破棄されているので、今は仮説や定説といった曖昧さでしか伝わっていない。しかし、およそ不名誉な理由であろう。
建前上、人々は皆帰ってきた。ただし、考えればわかるが、王に従いたくても王の存在する国ばかりではない。アメリカ大統領は今も祖国のホワイトハウスではなく、月を周回するコロニー内で執政中である。フランスも王家の血筋が完全に途絶えていたら、同様に月に居残り他国の大統領達と共に『人民の平等』などを唱えていたに違いない。

政治的には形骸・傀儡としか存在しない【王】の要・不要を巡り、以来1700年以上もヨーロッパとアメリカは反目しあっている。お互いの主張にはそれなりの理解は出来るものの、シャルル自身は王など不要だと感じてしまう。それはヨーロッパが連邦制になり、自国の判断が許されなくなっている現在に於いては危険な思想だった。

王が存在すれば、それを取り巻く諸侯も当然に存在する。初心はどうだったか知らないが、現在は特権意識に染まり、なかなかに勘違いしてくれている。くだらない権力争いに勤しみ、コネクション作りに努め、欲望を満たす為なら手段を選んでくれない。彼らにとっては、王でさえ権力を振りかざす道具なのだ。玉座に誰が座ろうと、それが自分の我欲を満足させるものならば何だって構わないのである。
政争の具になどなりたくはない。そんな事情で父を喪ったシャルルは心の底から自分の生い立ちを憎んでいた。
何もかもが壊れてしまえばいい。王になる事を拒めないなら、王を駒にして天下取りゲームをしている連中の足元を崩してやる。
その念いは、もう何年も前からシャルルを虜にしていた。


そして今夜―――

シャルルの念いが遂に形となって動き出す。
グラスにまだ若いワインを注ぐ。
そのルージュの渋味も、込み上げてくる高揚感を抑えない。
明日、フランスに20歳の国王が誕生する。
祝砲に混じり、暗い花火も打ち上がる。


西暦4089年7月14日 午前2時。
化石のようなモン・サン・ミシェルからシャトルが一機、飛び立った。
パイロットは、シャルルの信頼する友人であり近衛のエリートでもあるデヴィッド・ミシェル・ガブリエル・ド・ヴェルデ伯爵だった。
 


ぷちっと ぶんこ
petit lettre
CLIB NOTE
† Pot aux Roses... †

 

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