Pot aux Roses...

□† 秘密 †
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『大尉と呼ばれた少年』と題されて始まるその章は、著者が特に深い思い入れを込めて認めたのだと、先ずは書かれていた。



僕が初めて彼を見たのは裁判所の傍聴席だった。
話題の裁判だからメディアも多く押しかけていたし、世間の関心を代弁するような興味本位の傍聴人も多かった。僕も当時は一端のジャーナリストを目指し、これは仕事だと自分に言い聞かせながらその席に座っていたのだが、しかし彼は、僕に似た大衆とは全く違う存在感を持ってそこにいた。

門外漢の僕にも一見して上物と判るスーツを着こなし、端正な横顔は幼さを残し、迷うことのない真っ直ぐな視線で裁判の様子を見つめていた。
時折ジャケットから何かを取り出す。シガレットケースだとすぐにわかるのだが、彼の外見からは掛け離れ、僕は彼から目を離せなくなった。情けない事に、すっかり仕事を忘れてしまったのだ。
ケースを手に取る度に隣席の父親と思しき人物に窘められ、彼はまたケースをジャケットに仕舞い戻す。そして足を組み直し、腕を組み直す。暫くそれを繰り返して、とうとう父親にシガレットケースを取り上げられてしまった。だが彼が父親に反応する気配はない。それから、よくよく観察しても、マネキンかと思うほど表情には感情がなく、忙しなく袖の上で動く指先以外には呼吸さえ止まっているのではと確信してしまうほどだった。彼は一体何を見ているのか……。

その答えを得られたのは、長い長い証言をやっと終えた少女(と言っても人妻だが)が証人席を立った時だ。
彼も席を立った。退廷してくる少女を出迎える。少女を抱きしめ、好奇な視線を遮るように庇い通して法廷から去っていった。
僕は仕入れたばかりの少女の家族構成を思い出し、彼の正体を突き止めた。少女の肩を守るように抱いて、僕の真横の通路を歩いていった彼は、彼女の夫だったのだ。彼が彼女の夫だという事実は、同時に彼が何者かも僕に教えてくれた。
彼はランディ・ボルドワール大尉。業界関係者ならば知らぬ者はいないほどの名で、僕もそれまでに『高名』を聞いていた。


この時の裁判は、ボルドワール侯爵が長男の第一子(つまり孫)の喪失により起こした民事裁判だ。大きく取り上げられたから、記憶に残している読者もいるだろう。当時、請求された賠償金額の巨大さに話題が集中していた為に、殆どの人は事件の経緯を忘れているかも知れない。事件そのものは何処でも起きてしまいそうなもので、事件後の悲劇を思えば此処に記すべきではないと判るが、僕がこの裁判を傍聴した理由を述べる為に、かい摘まんで説明する。

結婚したばかりの少女が、同じ職場で働く夫のオフィスで上司からセクハラを受けた。少女は激しく抵抗し上司は目的を果たせなかったのだが、暴力によって少女に重傷を負わせ少女の中に芽生えていた命を奪った。

ぷちっと ぶんこ
petit lettre
CLIB NOTE
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