夜明け



 やっと、息子は寝てくれた。カーテン越しにも朝が近い事がわかる。今日もまた、寝不足のまま息子に付き合わなければならない。明日も、明後日も。隣室から夫の寝息が聞こえて来る。
 2歳の息子が自閉症と診断されて3ヶ月が過ぎた。来春には幼稚園に通わせるつもりだったが、息子を受け入れる園はない。現在通園している施設に残る事が決まった。
 この穏やかな寝顔を見ていると、現実を信じられない。息子は他者の手出しや視線を拒んで走り回り、スーパーに行けば大声で泣き叫んで、周囲の顰蹙を買う。息子に新しい靴を買わなきゃいけなかったのに、試着を精一杯嫌がるから諦めてしまった。
 眠らなきゃ。時間を確かめようと時計に手を伸ばして、やめた。どうせ短い時間なのだ。そのうち目覚ましが鳴る。
 昨日は最悪だった。保育士との面談の間、息子を実家に預けた。祖母には露骨に嫌な顔をされたが、他に頼る所はない。急いで迎えに行くと、息子はいつものように跳びはねて遊んでいた。「落ち着かないねぇ。忙しくても躾ぐらいしてやったら?」とうんざりした様子で祖母は言う。多動だからと説明すると「それはあんたの言い訳でしょ?」
 わかってくれない。身内でさえ理解しようとはしない。これから先も息子は冷たい眼差しを投げ付けられ、私は誤解され続けるのだろうか。
 嫌だ…もう……。
 『まだ幼いですから、将来の可能性はありますよ』と専門医や保育士は慰めてくれる。しかし、息子は他人と母親を区別出来ないという現実の前には、ひたすら虚しい言葉だ。
 起き上がり、改めて息子の無垢な寝顔を見る。何も、私の心の何も、疑う事さえ知らない。本当に将来など、あるのだろうか。あっても、辛さや哀しみに満たされているのではないだろうか。
 息子の柔らかい頬にそっと触れた。胸が締め付けられていく。このまま、朝が来なければいい。世間の目や声から逃げて、息子と二人で眠りたい。いっそ消えてしまえば……。私の手は息子の細い首元に向かっていった。
 「おはよう」突然の声にハッと手を放し、私は振り向いた。夫が寝起きの顔で微笑んでいる。「眠れなかった? 今夜は俺が起きてるから、夜まで頑張ればいいからね」
 夜まで…? 今夜は眠ってもいいの?
 夫は戸惑う私の傍に来て息子を見つめ「可愛いな…」と呟き、私の肩を抱く。
 「うん…」と応えながら、長い悪夢から目覚めたようだった。

おわり



ちょっとだけ!? 解説

まゆすけ



『夜明け』は4年ほど前に書いて集英社の小説サイトに応募し掲載された作品です。1000文字までという厳格な基準(フォームにそれ以上打ち込めない)に四苦八苦しながら書いたのを覚えています。
『私』にモデルはいません。『息子』のモデルは私の長男で、症状(言葉的に適切ではないかも)はこの通りです。私自身、『寝ない息子』に静かな苛立ちと厭世観を抱いていました。
これを書いた頃は長男も小学生になっていて『夜寝ない』以外は概ね育てやすくなっていました。ちょうど一番楽な時期に過去の凄惨振りを懐かしく思いながら描いていたのですね。ラストは完全にフィクションですが、何かが違えば私にも訪れた現実なのだろうな、とは思います。

『自閉症』とは先天的な脳の機能障害です。表れかたは人により異なりますが、特徴は大きく3つあり、【目が合わない】【言葉が遅い、または会話が成り立たない】【常同行動(物事や、その順序に対するこだわり)】で、1歳を過ぎる頃から顕著になっていきます(最初から扱いにくい赤ちゃんでもあります。あやされず、よく泣き、母親と同調しません)。主に視覚からの情報を頼っているので、耳から入る情報を上手に処理できない事もあります。時には音が色(造形)として視覚に認識されるようです。

彼が小学校に入学したときに県の教育委員会が発行している家庭向けの冊子を持ってきました。
この中では『自閉症』については一言も告げられておらず、代わりに『内閉性傾向』について大きく説明されていました。大体「自らの内に閉じこもる性格」だと書かれていたように記憶しています。
早速発行元の県教育委員会に直接電話して説明を求めました。
すると「識者に依頼して原稿を書いていただき、そして何人もの識者の方々に監修をお願いしています」という返事でした。
自閉症に係わる人々がどれほど声を大きくして欝や引きこもりとは違うのだと訴えているのか知らないのでしょうか。ここに誤解があるために正しく理解して頂けないのです。
「どうしたら治るの?」という身内からの素朴な疑問。
「甘やかさずに鍛えろ」という無理な意見。
「そもそも何があったの。こんなに小さいのに」という心無い疑惑。
こういったものと戦ってきて、漸く小学校に上げたと思ったら、県がこんなに無神経なものを『県内の小学1年生児童の家庭に漏れなく配布』している現実に出会ったのです。
普通級のお子さんに話すだけなら『内閉性傾向』の言及に留まればいいのかも知れませんが、保護者向けに配布するなら片手落ちです。『内閉性傾向』を取り上げるなら『自閉症』『自閉傾向』についても明記しなければ説明不足です。両者は別物であり、ケアの仕方も全く違います。ましてや混同させるような書き方は避けるべきです。
こういった事を話しましたら「善処します」と応えて頂きましたが……。
2年後、娘が小学校に入り、やはり冊子が配られました。どうなったかな、と思って見ていたら、前回記されていたLD(学習障害)・AD/HD(注意欠陥・多動性障害)などと共に『内閉性傾向』についての記述がバッサリ削除。勿論『自閉症』に関する説明などありません。
教育委員会も面倒臭くなったのでしょうか。

『自閉症』だけではなく、障害を抱えた多くの人そして家庭が世間からの無理解・無関心に困惑し、時には辛い思いをしています。そして健常者の何倍も社会に適応しようと努力しています。
健常者の側も障害者のいる社会で生活している自覚を持ってもいいのではないでしょうか。せめて知る努力は出来ると思います。
理論物理学者ホーキング博士は眼球しか動かせません。でも彼の仕事からそれを窺う事はないですよね。
現在『障害』と言われているものが『特性』として認識される日がくればいいと願っています。



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