Novel
□硝子越しのキス
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「シナリオを実行する事になったよ、ジョン。」
一人で語りかける事は慣れた。
冷たいラボの空気にも何時の間にか順応し、冷たい硝子の感触が愛しいと思えるようになった。
其処に訪れては、カプセルの中に横たわる彼を見る事が当たり前になった。
……あの一件以来、話すことはおろか触れることさえ皆無となっている。
同時に、痛々しい姿はあの時から変わらない。
無機質なコードやチューブに繋がれている。
一定間隔の心拍数、呼吸回数。
機械が伝えるそれは、昔から知っていた筈のものより遥かに少ない。
眠っているように静か。
不安定な様で安定している。
昏睡状態。
生きているのか死んでいるのか、定義が曖昧になりそうな生。
もしかしたらどちらでも無いのかもしれない。
しかし、ジョンは居る。
生きているという論があり、彼の体がある限りは確かにこの世に存在している。
「長かった。
時代がそれに追い付くのも、子供達の成長を待つのも……猶予期間も無ければ行動を怠る事も許されんかったからな。」
年月は優しい。
しかし残酷だ。
人の性格や意思さえ変えてしまう力がある。
もどかしかった。
待つのは楽でも、精神は追い詰められる一方だった。
閉じられた瞼も、繋がれた生命維持装置も、意思を感じることはおろか以前の彼の面影さえないこの状況で、更に苦痛を迫られているようなものだった。
カツ、カツと……足蹴もなく此処に通う俺の足音にだけ意志が宿っている虚しさ。
絶望ばかりが押し寄せていた。
しかし今では随分和らいだ。
正直、世界なんてどうでもいい。
ただ、護りたいモノの為に動いている。
ジョンを救うこと。
望み残したかったものを、再び次の世代に託す事。
……これが最初で最後のチャンス。
────失敗は、許されんのだよ。
ゼロの生み出したAIは、おそらく追い込まれ狂気に手を貸したお前の行動まで詠んでいたのだろうな。
手際が良過ぎる。
あの切れ者の生みの親が創り出したものだから。
出し抜くのは中々難しい。
内部を知る俺達さえ、最早制御が出来ない。
今出来るのは、ある程度の干渉と予測だけだ。
阻止するため、破壊するために数十年と携わったこの作戦も、無駄と終わるかもしれない。
「リキッドとソリッドに賭けるしかないのも癪だが……」
一人は不可能を可能にした男だ。
見たことがないにしても、試す価値は有るだろう。
「会うのが楽しみだよ。」
そろりと愛銃に指を這わせて、懐かしいあの日を思い出す。
あの頃は、お互いまだ若かった。
あの後から狂っていった。
ずきりと胸にはしる痛み。
理由はもう既に知っている。
「愛してる、ジョン。」
長くなった髪。
金色だったそれは全て白に変わった。
硝子越しの口付け。
ひやりとした感触に、固かった決心の後押しをされる。
眠るお前の意識に、声が届く事は無いと知っている。
しかし囁いた愛の言葉は、過去に交わしたものと同じものを捧げよう。
そうすれば、今も昔も無い筈だから。
「また会おう。」
長いコートを翻して、背を向ける。
昔の記憶に大して感傷に耽るのではなく、純粋に懐かしいと思える日が来る事を……互いに笑いあえる日が来る事を願った。
end.