Novel

□遅れた白い日。
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「ただいま……」

粗方雪崩れ込む様に部屋の中へと入っていった。
小さく掠れた語尾は、室内に帰りを報告する人が居ないことを示している。

ならば普段は居るのかと言えば、それはどちらとも言えない。
互いにややこしい職種の為、一度外に出れば帰る時間も、下手をすれば日程さえバラバラだ。
今日は運良く半日で帰宅できたが。


玄関の扉が閉まって、通路からの明かりが遮られる。
薄暗かった室内が、外から入る光が減った為に一気に暗くなった。


何時帰るんだ、彼奴は……─────


帰っている形跡が無い。

此処が暗かったことは、アパートの階段を上がる前から解っていた事だが、いざ目の当たりにすると少しばかり寂しい気持ちになる。

彼が少し家を空けると仕事に出ていってから三日経っている。


────何で連絡を寄越さない。

何処か冷静な部分が、馬鹿かと嘲笑っている。
簡単な事だ。
理由は様々あれども、似たような職種の自分もこんな事によくなる。

しかし、考えるだけ野暮というやつだが何故か考えずにはいられなかった。

お陰で苛々しっぱなしだ。

自分にも、奴にも。


「期待せずに、か。」

丁度一ヶ月と一日前、あれほど自身に言い聞かせたのに、何処かで期待している。

彼なら何かしでかしてくれるんじゃないか、と。
ぽーんと忘れて、逆も然りだが。


「……気持ち悪っ。」

自身の思考の余りの女々しさに、何とも言えない疲れが身体に纏わりついた。
頭が鉛の様に重い。
序でに顔は顰めっ面だ。

───何だってんだ、ホワイトデーの一つや二つくらいで。

ずるずる引き摺られている様な動作で、リビングの電気のスイッチを入れる。

もとより猫背気味だが、更に丸く曲がっている。
我ながらだらしないと思いつつ、だらだらと上着と荷物を床に放り投げて、ふと時計を見る。
時間は七時前だった。

「飯、作るか……いやでも……」

面倒臭いし、軽く寝るか────またも言い聞かせている事に呆れて、ソファに寝転がった。







「ただいまぁ、デイヴちゃん?」

捨て置けない台詞を紡ぐ声が、明るい玄関から部屋にかけて響いた。
声の主は軍服のままで帰宅して、疑問沢山と言いたげな顔をしたネイキッドだ。

────何でこんなに声が響くんだ?


疑問の理由はそれだ。
何時も通りリビングに入って行き、荷物を置く。
そして一通り見渡してみる。

「……?」

確かに部屋は明るい、のに人が居ない。

キッチンの方を確認しても、普段ならお帰りくらいは言ってくれる彼の姿はおろか、声さえ聞こえない。

(風呂……な訳無い、音がしないし)

「……弱ったなぁ。」

呟いて、持ったままの荷物に視線を移す。

如何にも考えてますという仕草をしながらリビングに戻って、俯いていた視線を、ふと上げる。

すると、ソファーの肘掛けに見慣れた足が乗っかっていた。

───あれ?

仕事の疲れと気配が殆ど無かった事で、気付かなかった。
その前に、目視に頼っても気付けないくらい疲れが溜まっているのに苦笑いを浮かべる。

「……ソリッド?」

歳かなと考えながらそろりと背凭れから覗き込めば、丁度寝返りをうっているソリッドが、気持ち良さそうに眠っていた。


────寝てたのか……良かった。

前にまわってしゃがみこむ。
自分にそっくりな様で違う、鋭い目をした男の顔からは想像がつかない、幼い寝顔があった。

手を伸ばして頭を撫でれば、柔らかいブルネットの髪が指を擽る。

「ん……ぅ」

目が覚めるかなと思ったが、まったくその気配がない。
それどころか、安心しきった表情でされるがままになっている。

「起こすの、可哀想だな……」

仕方無いか……────


手元に置いてあるブランケットを手に取る。

何時もなら此処でネイキッドが転た寝をする。

たまに裸一貫で寝ている時もあり、見兼ねたソリッドの提案でそれをソファーの近くに置くようになった。

広がる暖かそうな布地に、逆に人に掛ける側になるとはと思いながら、彼に掛けてやる。

────……さて。


荷物の中から、手の平程の箱を一つ取り出す。

テーブルの上に置いて、近くに雑多に放ってあったメモ用紙に、事情説明の言葉ともう一つを添えて、ペンを置いた。


隣を見れば、未だすやすやと眠る息子の姿。


「じゃあな、デイヴィッド。」

妙に可愛いところがまだ抜けない。
幾つになっても自分の子供だと改めて感じながら、最後に頬にキスをして家を後にした。









「……お、やじ?」

名前を呼ばれた気がして、意識が夢から現実に転じる。

うすらぼんやりした視界をそのままに身を起こせば、体から暖かい何かがずり落ちた。

「ブランケット?」

───俺、確か使ってなかったよな?


だったら何で、思い至るのはたった一人だけだ。

「……帰ってるのか?」


伸びた前髪を掻き上げながら、目線を彼方此方に這わせる。
問い掛けた声はただ静かな室内に響いて消えた。


溜め息を吐いて視線を移せば、机の上に綺麗に飾られた箱と、置き手紙らしき物。

先ずは手紙に手を伸ばして、文を追う。

如何にもネイキッドらしい事が書いてある。

(馬鹿だろう、あいつ)

自業自得というのもあるが、呆れと同情で怒るに怒れない。

しかしその文面の最後に大きめに書かれていた言葉に、目を丸くした。


あいつ、覚えてたのか────

驚いた……という事もあるが、別の気持ちの方が強い。

『機嫌取りの為じゃないから……遅れたけど、忘れてた訳じゃないぞ?』


こう言うのも何だが、彼ら二人には酷く不釣り合いに思える、その綺麗な箱。

照れ臭く感じつつ、結ばれていたリボンを外して蓋を開ければ、シルバー製のドッグタグ。


「……有り難く受け取っとくさ。」


優しい銀色に光るそれを手に、苦笑いにも似た表情を浮かべる。

しかしその表情の裏で、安堵と嬉しさが満ちていたのは言うまでもない。




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