Novel
□ちょっとした駆け引き。
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昼下がりの陽光が少しばかり眩しく感じるが、それが何となく暖かいと思える今日この頃。
「おい……」
「ん?」
端正な顔を何とも不思議そうな色に染めた男と、何とも言えない神妙な面持ちの男の声が、それなりに広い事務室に響く。
「何をしている?」
「抱きついてるんだが。」
回された腕に力を込められて、想像に難くない奇妙な光景に頭が痛くなりそうだ。
「仕事はどうした。」
内心はげんなり、といったところだ。
しかし悟られないよう、机をペン先で鳴らして不機嫌そうな態度を取り繕う。
何の特徴も無い壁を睨み付けられるというおまけ付きで。
牽制というやつだ。
しかし結果は解っている。
「……知らん……寒いからしない。」
「ジャック……」
暫くして、漸く口を開いた彼からの答え。
予想通りのそれに、一気に顔面に張り付けた表情が崩れた気がした。
実戦部隊を率いており、且つ現役だから書類の仕事は幾らか在る筈で──何より、彼はその主力で主導者だ──逆に言えば無い筈が無い。
しかも今日は少しばかり忙しいのだ。
今頃、溜まりに溜まった書類を捌かせる為に彼を躍起になって探しているだろう。
が、厄介な事に彼は隠れんぼが得意なのだ。
ここに居る誰よりも。
恐らくここに来るまで誰にも見つかっていない。
必死になって探している部下達は、かなり疲弊するだろう。
私も半分は片付いたが、彼から回ってくる書類だってあるだろう。
正直早く終わらせたい私としては、彼を机に張り付ける為の協力をしてやりたい。
「確かに今日は冷える。」
「だろう。」
「だが室内だ、そこまで酷くない。」
「……俺は寒いんだが。」
「暖房器具くらいは手配してやる、だから仕事に戻れ。」
「……」
だから、という事もある。
それとなく不満の意を含めて諭してみたが、最終的に無視された。
頭を抱えたくなる。
私をもってしても、こいつは手に負えないかもしれないと、何処かで彼を探しているだろう部下を思った。
最早、言えるのは謝罪くらいだ。
そして思い起こす。
昨日、彼がこのような我が儘を言う原因を作ったかどうかを。
しかし思い至らない。
寧ろ何か悪いことをしたかといえば、全くしていない。
機嫌を損ねる様な事も、変わった事をした覚えもない。
……普段からそんな面倒な事はしないが。
皮肉を言うのも、ナニをするのもお互い同意の上だ。
兎に角、未だに椅子の背凭れがギシリと嫌な音を発てていること、背中に掛かる妙な重さ、肩に掛かる圧迫感は、この状況では些か戴けない。
「常に真面目に職務に勤めろ、とは言わない……お前の性分は知っているからな。」
「そりゃどうも。」
それでも諦めがつかなくて、出来るだけ優しく諭してみた。
が、そんなもの何処吹く風とばかりに返された。
呆れが溜め息になる前に、苛立ちが顔を覗かせ始める。
とは言え、まだ呆れや脱力感が勝っている。
「どう致しまして……だがな、人の邪魔はするなと教えた筈だが?」
「抱きついてるだけだ……静かにしてるから、邪魔はしてない。」
お前は幾つなんだ。
子供の我儘かと、耳を疑う応えが背後から聞こえてきた。
「確かに邪魔をしているつもりは無いだろうな、お前は。」
「ああ、無いな。」
まったく実に素直な返事だ。
顔は見えないが。
即答で返ってくる肯定の声は、何処までも真っ直ぐで凛としている。
待っていたと言わんばかりに溜め息が吐かれた。
状況が違い、今がオフであったり休憩中だったのなら、私もこの状態を甘んじて受け入れていただろう……そして素直に喜んでいただろうに。
溜め息も吐かずに。
しかし今は違う。
執務中で、尚且つ周りの愚痴と彼の後始末と肩凝りに悩まされそうな状態だ。
「……私はこの状態に少し苛々するんだが?」
「……だろうな。」
解っているじゃないか。
「だったら離してくれ。」
「断る。」
「ジャック!」
とうとう批判の声をあげる結果になった。
だが、腕の力は緩まることを知らない。
「お前は子供か!」
「悪かったな、子供で。」
そもそも少佐よりは年下だ──間違ってはいないが──聞いて一気に力が抜けた気がして、反抗期かと力なく呟いた。
すると律儀に、何時でも素直な訳じゃないんでな、と耳許で低い声が囁く。
漸く視線を向けてやれば、にやりと悪戯小僧のように笑んだ彼が見えた。
怒るに怒れなくなった。
彼がこんな顔を見せるのは、大概何か企んでいる時だ。
そしてこんな顔を見ると憎めもしないし、妙に色気があるから駄目だ。
まぁ何を企んでいるかは様々で、当てようとしても大体外れるが。
「……誘っているのか?」
適当な事を、吐き出す息と共に紡ぐ。
「そう捉えてくれても構わない。」
するとどうだ。
ニヒル笑みを浮かべて、以外な答えが返ってきた。
……これは使える。
頭に浮かんだ作戦に、上手く行くだろうと確信が持てた。
腕を掴んで、此方に引き寄せる。
突然の事に驚いたのか、小さく唸ったのが見えて。
隙を見せた。
好機だ。
そのまま唇を奪ってやった。
すると予想は的中して、彼は直ぐに気付いて貪る様に舌を絡めてくる。
と、其処で離れた。
「!っ、ふ」
「さて……お預けということにしておこうか、ジャック?」
彼の唇を、指で軽く拭ってやる。
「は、ちょっ」
呆然とした顔に何とも愉快な気持ちになるが、まあ仕方がないと言えば仕方がない。
事実間抜けだ。
「仕事が終われば存分に、という事だ。」
これは取引だよ、ジャック?
覗き込んでやれば、蒼い目が動揺したのが解った。
今度は私が笑う番だ。
end.