Novel
□無償の愛。
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「暗闇が怖かった。」
低い声が、音の無い室内に響く。
話し掛けているような、しかし独り言と勘違いするようなその口調に、落ちかけていた意識が現実に戻った。
時間は深夜。外は既に人の気配さえない、そんな時間。
どうしたんだろう?
ピロートークと言うには情事から少し時間が経っていたし、何時もの彼ならすぐに寝てしまうのに。
閉じようとする瞼を押し留めて隣を見れば───目が悪いから明瞭には見えないけれど───碧い目が、僕の顔を見つめているのが何となくわかる。
デジタルに頼りっぱなしの僕のシックス・センスはあてにならない。そもそも僕にシックス・センスがあるのかどうか。
けど、何か言いたいんだろうなと思った。
「それは何時の話?」
彼に問い掛ける声が掠れて、夜の空気にも充分に響かなかった。
けれど、耳の良い彼には届いたみたいだ。
「お前と会う前まで。」
僕とは対照的なしっかりした声が、それでも落ち着きを持って響く。
雰囲気からして、話が続きそうだ。
普段殆ど喋りたがらないのに、こういう時の彼は珍しく喋るし話したがる。
「何で怖かったの?」
「誰かに殺されるんじゃないか、と思ってな。」
小さく笑ったような気配がしたけれど、意味を含んでいるのか、または含んでいないのかまでは解らない。
ただ、冗談を含んだ真面目な話だろう事は悟れる。
気怠さの残る体を動かせば、ぎしりとベッドが鳴く。
正直その音は不快だけど、改めて彼に向き直る為に体勢を変えた。
「誰か、って?」
「誰かだ。」
その誰かが判らないんだけど。
相変わらず焦点は曖昧だけど、暗さに馴れた目で彼の顔を黙って見つめると、
「見ず知らずの誰かだ。」
悟ったのか、意味を告げてくれた。
「……そっか。」
理由なんて知れている。
戦場だ。
彼がこう思っていた理由なんて、一にも二にも戦場しかない。
「そういう怖い物があるのが意外だよ。」
「始めは自分でも分からなかった……ただ、追い詰められて気付いた。」
───幾ら俺の五感が鋭くても、追い詰められたら気配も糞も感じなくなる。
そんな中で生きていたら、何時の間にか暗闇が怖くなった。
呆れたような、諦めたような……でも妙な明るさを伴ったその声は、迷わずに嘲笑と感じ取れた。
「皮肉な話だよね、大概は夜に潜入するのに。」
「確かに……潜入任務の際は暗闇の方が頼りになるのにな。」
でも不思議なことに、笑い混じりに喋り続ける彼からは呆れや嘲笑を感じられても、妙にポジティブに聞こえる。
何処か他人の物語を話しているみたいなのは──でもまぁ、君は真顔で受けもしないジョークを言うけれど──思い過ごしでないのならば、過去の話だからだろうか。
「けど昔だって、サポートしてくれる人は居たでしょ?」
例えば、大佐とか。
「ああ、だが駄目だった。」
「何故?」
「裏切られたから……違うか……逃げていたんだ、そういう誰かを信じる事から。」
信じたところで、どうせ失う。
独りが楽だった。
「……君は優しいから、気を使いすぎる。僕は居なくなったりしないよ。」
「そうとも限らない。」
一言一言に籠もる意味を理解出来ない程、僕は鈍感じゃないつもりだよ。
でも、流石は皮肉屋。
僕に確信の言葉を言わせようとする。賭け引きだ。
「舐めてもらっちゃ困るよ、絶対君の傍を離れない。」
「……だったら、ずっと着いてきてくれ。」
「了解。」
君から返ってくる答えを割り出せている故の答え。
「ねぇ……今でも、暗闇は怖いかい?」
「いや、別に。」
しっかりと温もりを伝えてくるその体が、心の内側まで伝えてくれる君が、僕の隣に。
「ん、良かった。」
「……そうか。」
ありのままの君であれることに。
何より君から、遠回しではあるけど"信頼している"って言葉を聞けるのは、嬉しいことだ。
でも。
「……たまには素直に愛してるって言ってくれよ、デイヴ?」
「っ、馬鹿野郎。」
軽く小突いてそっぽを向いた君。
図星を突かれた際の、明らかな照れ隠しに、自然と笑みを浮かべたのは言うまでもない。
「愛してるよ、デイヴ。」
だから、こちらは本心を惜しげもなく言う。
そしたら君は言うんだ。
渋々と、だけど確実に本心で。
「ハル……俺だって……お前が大切だ。」
愛してる。
尻すぼみになっていく声で、最後にぽつりと呟かれた言葉。
これを聞けるのは僕だけの特権だと思ったら、心が安らいでいった。
end.