裏会

□邪心が来たりて笛を吹く
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『ああ…すっかり春ねぇ…。』


かわいい小鳥のさえずりが、墨村家の庭に響く。
広い敷地のこの庭には、大きな木が多く植わっているから、ここを根城にしている鳥も多いだろう。
柔らかな陽の光が、暖かい空気とともに時音を包む。
新緑の淡い緑の草木の色も、あちこちで咲く野花の鮮やかさも、時音に力を与えてくれているような気がする。



今日も変わらず、時音は庭で洗濯物を干している。
道場からは、轟音と爆音が地ひびきと共に聞こえて来るし、時折、怒鳴り声なんかが聞こえて来るのも、もう毎日の事だから慣れきってしまった。

『今日もまた、1日が始まったわねぇ。』

良守と結婚してから、早くも一年が過ぎようとしている。
ちょっとそこまで付き合ってと、強引に国外に連れ去られたからもうそんなに経つのだ。

『時音ちゃん、そろそろ朝ごはん、お膳に並べていこうか。』

『あ、はい。お義父さん。』

勝手口からひょこっと顔を出した義父に、にっこりと笑顔で返した時音は、手早く残りの洗濯物を干し終えてから、台所に入っていった。

もうすっかり主婦業も板につき出して、1人で出来ることも増えてきた。
この家には家族も多いが主婦が3人もいるので、日替わりで家事を分担している。
今日の食事は義父が作っている。
母は掃除をしているので、時音が料理をお膳に運ぶのだ。

『じゃ、お願いね。』

『はい。お義父さん。』

『ああ…やっぱり娘っていいなぁ〜。』

男ばかりの家庭を支えてきた義父は、ようやく娘ができたと、こうして何度でも感動して口元を緩める。
もうこれも、すっかり書き慣れた言葉だ。

『私だって、お義父さんって呼べる人が居るのが嬉しいですよ。』

実の父は、時音が幼い頃に他界した。
雪村家は女ばかりの家庭だったから、時音にしてもこの環境は楽しいと思うのだ。

朝食の準備を整えたところで、タイミングよく、ぞろぞろと道場から祖父母と良守が居間に入ってきた。

『お疲れ様、良守。』

『あーマジ疲れた…眠い…』

初めの頃は、修行の後は道場でしばらく動かずに唸っていた良守だが、やはり日々の修行の成果がこうして現れているらしい。
ドスッとお膳の前に座り込み、温かい湯呑みに手を伸ばして寛いでいる。

食事は家族全員でとろうと祖父母が言い出してからずっと、こうしてみんなで集まるのだ。

これは、後継者修行を始めて1ヶ月足らずで壊れ掛けた良守のおかげでもあったりするのだが。

あれから、本人も周りもそれぞれに自覚して、みんなで支え合ってきたから、前みたいに良守が壊れることも無くなっていった。

今朝も楽しくみんなで食事をして、平和な1日を過ごしていく。

時音はそんな光景を眺めながら、今日も幸せそうな笑顔を浮かべるのだった。





ーーーーーそれはお昼を少し、過ぎた頃だった。


墨村家の玄関に、正守が相変わらず呑気に笑いながら立っていた。

『兄貴、お帰り。』

『ただいま、良守。会いたかったよ〜。』

出迎えた良守を、ダラシなく脂下がった顔で思い切り抱き締めて頬ずりする。

『はぁ…良守、やっぱりお前じゃないと癒されない。』

『くっ、くるし…おま、ンなこと羽鳥さんが聞いたら、また怒られるぞ。』

ピタリと正守の動きが止まる。
おや、と良守の目が丸くなった。
兄の大切な人が羽鳥だという事は、けっこう始めの頃から知っていた。
この大きな兄を完全に尻に敷くほど、怖くて強い、しっかりした彼女だったから良守も安心していたのだが。

『………なんか、あったの?』

『まぁ…』

なんだか言葉を濁すようなその言いように、良守の眉が怪訝に寄る。

『まさか…別れた、とか?』

大きな溜息をついた正守が、ジッと良守を見つめたあと、ふるふると首を振ってまた良守を抱き締める。
なんだかよく分からないが、何かがあった事は間違いないんだろう。
とりあえずここではなんだからと、兄の手を引いて居間に向かう。
そこに居た祖父母の前に座り、畏まって挨拶をしていたら、ちょうど熱いお茶を盆に乗せて修二が和やかにやってきた。

『さぁさ、疲れただろ。また相変わらず青白い顔をして…正守、ちゃんとご飯食べてるの?お昼は?』

『いや、まだ…ここに来たら何かあるかと。』

『ああ、良かった。もう時音ちゃんが作り始めてるからね。』

ちょっと待ってて、と慌ただしく台所に向かう修二の背中を眺めて、正守はここに来て初めてホッとした様な息を吐いた。
それを見つめていた祖父母と良守は、3人で顔を見合わせて首を傾げた。
視線だけで、祖父母からお前が事情を聞け、と指され、良守はウンザリしたような顔で、この珍妙な兄を見つめるのだった。
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