裏会

□邪心が来たりて笛を吹く
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『異変…これが、そうだというの…』


ポツリと呟かれた時音の声に、良守の顔が厳しさを増した。

『何が見えた、時音…』

『良守、やっぱりこれは…あんたの領域だ。』

くるりと振り返った時音は、少し辛そうに瞳を揺らし、良守に歩み寄ってその大きな身体に寄りかかった。

『私はここまで…ここで、良守の無事を祈り、守っている。』

この先に立ち入ることはできない。
ここは既に邪な力に支配され尽くしている。
足を一歩踏み出しただけでも、強引な比売神の力で止められるのだ。

『………相変わらず…過保護なんだから…』

『ふふ。良いじゃん、おかげで俺は、安心して敵地に向かえるんだから。』

『もう…こういう時だけ結託するんだから。』

だからせめて、良守の為にこの身に宿った加護の力を注ぎ込もうと、時音は少し背伸びをして良守の顔に近づいていった。
柔らかく触れ合った彼の唇は、もうすっかり冷えてしまっていた。
それでも時音の唇に反応して、深く繋いで舌を絡ませる。
交わり合う唾液の水音と共に、時音から温かな力が良守の中に注ぎ込まれる。

力の流れが弱まって、そっと唇を離していくが、まだ名残惜しくて何度も互いの唇を啄ばんだ。

『っふ…この巫女のご加護に、見合う仕事をしなきゃな。』

『バカ。そんな事より…無茶して怪我すんじゃないよ?』

『あは。まぁ、努力はするよ。』

約束はできないけど、そんな気持ちがありありと感じられる笑顔に、時音は困ったように笑うしかないのだった。





時音の周りに、強固な結界が幾重にも重なって張られる。
それから背後に立つ式神を振り返り、静かに低い声で命令を下す。

『守れ。一片の邪気も浴びせるな。』

『御意。』

片膝をついて畏る式神を見下ろす良守の瞳は、どこまでも深い、揺るがない漆黒の瞳。
一切の感情を見せないその顔つきは、一体なにを考えているのか時音にさえもう分からない。

踵を返して村に向かう良守の背中を見つめながら、時音は、どうか無事に良守が帰ってきますようにと祈るしかできないのだった。





ーーーーーひんやりした村の空気。

中心部には大きな力を感じる。

良守は迷う事なく、そこを目指して歩いていた。

狭い村なのに誰一人として姿を見る事はなかった。

程なくして、中心部に着いた良守の目の前には、大きな御堂が建立していた。
その前には1人の老人が佇んでいる。
真っ白な長髪に、同じく真っ白な長い髭。
まるでよく見る仙人のような出で立ちだ。

『ほほう。此処に来たということは、貴様、術者か…何者だ?』

嗄れた低い声は、普通の人間とは違う、大きな力を有していることが分かるものだった。
良守は片膝をついて頭を下げる。
ここでは自分は完全に部外者だ。
あの拒絶の術を破ってここに来たのだから、敵と判断されてもおかしくない。
とりあえずは、羽鳥の居場所が分かるまででも、従順な姿勢で居なければならないだろう。

『は、突然の来訪の無礼、申し訳ありません。私は結界師に御座います。』

『ほう。結界師…その装束は、墨村の者か。』

『はい。流石は老師様ですね、私共の事を御存知だとは…』

『うむ。確かに、その力…ここからでも感じるぞ。貴様が墨村の、若き後継者なのだな。』

『如何にも。此の程、裏会からの依頼により、ある人を探しにこの地を訪れました。』

瞬間、キラリと老師の瞳に妖しい光が走ったのを、良守は見逃さなかった。
裏会の名前を出せば、ここに誰を探しに来たのかは瞭然だろう。
押し黙った老師の目は、良守を見定めるように鋭い視線を送っている。
良守も静かに目を伏せて、次の言葉が出るのを待っていた。

『………良かろう、入りなされ。』

『老師様…宜しいのですか?』

ギギイ…と御堂の扉が重苦しい音を立てて開かれる。
表情の分からない老師は、静かに良守に背を向けて先に御堂に入っていった。

途端に緊迫した空気が途切れ、良守は大きく息を吐いた。

『はぁ…なんとか、穏便に入る事は出来るようだな…』

やれやれと立ち上がって、その暗い御堂に入ると、闇の中に老師が立ってこちらを見ていた。
良守が足を進めると老師はまた背中を向けて歩き出す。
黙ってついて来いということだろう。
きっと今、話しかけても何も答えないだろう。
良守は小さく溜息をついて、黙ってついて歩き出した。

ここはもう敵の術中、闇の領域の中にある。

時音の加護がなければ、きっと簡単に呑み込まれてしまうだろう。
それ程にこの闇は濃く、深い。

覚えのあるこの闇の中は、かつては呑み込まれ、安寧の時間を与えてくれる魅力的な居場所だった。

時音の居ない絶望から、情け無くも耐え切れずに逃げて、こっちにおいでと優しく誘うこの闇に抱かれて、確かに安堵した。
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