裏会
□邪心が来たりて笛を吹く
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ようやく闇の奥に潜んでいた扉の前で、老師は足を止めた。
『さあ、探し人はこの中に…じゃが、心して相見まわれよ。』
軋んだ音と共に開かれる扉、その奥の様子はやはり闇に塗れてここからは見ることができない。
『若き術者よ、真に向き合わねば貴様…また、呑み込まれるぞ。』
“また”ーーーその言葉に良守は知らずヒクッと頬が引きつった。
この老師は知っているのだ。
自分の中に、未だに蔓延る深い闇の存在を。
何も言えずに頷くしかできない良守に、ようやく老師は小さく笑いを漏らしたのだった。
真っ暗だと思ったその中は、目が慣れたのかぼんやりと光がどこからか差し込んでいるように見えた。
床張りのそこの、中央に座す人影。
『羽鳥…さん…?』
いつもの動きやすく着崩した着物姿ではない。
艶やかに大ぶりの花が描かれた袿を身に纏って、まるで人形のようにジッと座っている。
もともと、感情が表に出るところをあまり見たことがなかったが、それも比ではないくらいで、見ようによっては息をしているのかも分からない。
『羽鳥さん、何をしているんです?
兄…正守が、心配していますよ。』
正守の名前で反応したのか、羽鳥がピクリと肩を動かす。
ようやく目の前に立ち尽くす良守に気付いたかのように瞳に光が戻り、それが驚愕したように大きく見開かれた。
『いけない…良守くん、ここに居ては…帰りなさいっ、早くっ!』
後半に向けて声を大きく、最後は吐き出すように叫ぶ羽鳥は、その途端、胸を押さえて苦しそうに暴れ出す。
『羽鳥さんっ!なんでっ、何があったんだっ!』
ふらふらと立ち上がって、それでも苦しそうに足を引きずる羽鳥は、良守の方へ歩を進めようとするが、すぐに舞うように倒れていく。
慌てて抱き止め、ゆっくりと床に下ろしてやると、激しく息を吐きながらも震える手で良守の肩を押した。
『も、もう…戻れない、あの人の所には…私の…大切な…』
『帰りましょう、俺が…貴女をここから連れ出してあげるから…』
ふるふると激しく首を振り、また良守の肩を押す。
そしてとうとう、ふうっと頭を振って意識を失くして床に沈んでいった。
『なんで…ンの野郎…なんて事…しやがる…っ!』
そっと羽鳥を抱き上げ、強く抱き締める。
グッタリと四肢をだらけさせた羽鳥は、意識を深く落としてしまっている。
『くっ…そ…兄貴になんて言やぁいいんだよ…』
言い様のない怒りが身の内から噴き上げる。
羽鳥が暴れたあの瞬間、良守には分かってしまった。
羽鳥の瞳の奥に宿る、穢れた邪神の禍々しい光。
良守を巻き込みたくないと、強く願って肩を押しやる羽鳥本来の意思を、その邪神の闇が呑み込んだからあんなに苦しげに暴れたのだ。
『神器…ウソだろ、なんで…羽鳥さんが…』
神器とは名の通り、神の器。
本来は時音の様な強大な力を持つ巫女でなければ、その身に神を宿す事は出来ないはず。
いや、出来たとしても、ただの人間では神力は収まり切れずに身体もろとも破裂してしまうだろう。
羽鳥は妖混じりだとはいえ、ベースはただの人間だ。
妖の能力は持っているが、それだけだ。
神器になれるような器ではない。
『ああ、無理矢理…詰め込んだのか…』
少し身を離すと、首元に掛けられた呪具の輪が僅かな音を立てた。
はみ出た神力を呪具が補って収めているのだろう。
怒りが、苛立ちと悔しさを伴って大きくなる。
未だ嘗てないほどの力が、身の内から一気に噴き出して真界に変わる。
ドォンッと大きな音を立てて、御堂諸共、闇の淀みを消し去っていった。
『何処に行く、若き結界師よ…』
背後に立つ先程の老師の声が、良守の耳に入る。
クッと口角を上げた良守は、羽鳥を抱き締めたまま真界の力をさらに強めた。
『悪いが…これは貰っていく。
この村は…もう終わりだ…』
大切な兄が、最も大切にしているこの人を、この村の人間に穢されたその怒り。
この事実が良守の地雷を踏みつけにしたのだ。
『世の中にはなぁ…絶対、やっちゃあならねえ事があんだよ…なぁ、お前ら…この人を穢したその罪、今すぐその身をもって償え…』
怒りが声を震わせる。
無想の力とはまた違う、良守の本来持っている大きな力が真界の空間をより強固に変化させていく。
『ああ、そうだな…誰かが手を下さないとな…そんな事、出来ないよな…』
呑み込まれる。
自我が怒りに。
救えなかった苛立ちに。
おかしくなる。
肩が震えて、狂ったように笑いながら。
やがて笑い声が収まった頃、良守の力が頂点に至った。
『だったらっ!代わりに俺が償わせてやらぁーーーーっ!!!!』
大きな地響きが樹海の森まで大きく揺らぎ、一斉に無数の鳥たちが羽ばたいていった。