夢が集いし魔法の夜


章― part2
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 確かにとても寝苦しい夜ではあっただろう。


 前日に続き一日中降っていた霧雨は、今や豪雨となってしたたかに窓に打ち付けていた。

 降雨の量と数が増え、風が吹き荒れれば尚のこと騒音が耳障りとなる。

 加えて、このところ気温は上がり始め、蒸し暑いことこの上ない。


 中々寝付けなく腹が立ったものの、一度ぐっすり眠ってしまえばこちらのものだ。

 少女はいつしか目蓋を重く閉ざし、意識は夢の中にあった。


 年頃の少女にしてはやけにぬいぐるみの多い部屋で、ベッドの周囲にも所狭しと人形が並べられている。

 可愛らしい物が小さい頃から好きな少女は、未だにぬいぐるみ等の収集を止められないのだ。

 だが、周囲から見ればまあまあ許容できる趣味なのかもしれない。


 特に好きな物は、母親が誕生日にプレゼントしてくれたぬいぐるみであろう。

 イヌだかネコだか、クマなのかは歪(いびつ)で定かではないが小さかった少女はとても嬉しかった。

 今でもベッドの枕元に飾られ、毎日を一緒にしている。




 ――そのぬいぐるみはたった今、少女自身の腕で弾き飛ばされた。




 ボトリと床に転がるぬいぐるみを余所に、ベッドの上で少女は大きく呻いた。

 掛けられた蒲団をジタバタと足で蹴り、体を喚いたように右往左往に転がす。

 悩ましげに頭を掻きむしるその顔には、尋常じゃないほどの汗水が噴き出していた。

 途切れ途切れの息継ぎ、しかし激しく上下する胸。


 衣服や髪がグシャグシャになろうと、少女は気にもしなかった。

 気にする余裕などなかった。


 頭を押さえ、口腔から掠れた叫びを上げる。

 その硬く閉じられた目蓋の端から、汗に混じり涙の雫が零れ落ちた。




 狂乱しているようだ。

 しかし悲痛にも見える。




 まるで。

 ――悪夢から覚めたくても覚めれないでいるような。




 しゃっくりを上げて泣く子供のような声を出す少女だが、苦しみは晴れない。


 そして、“誰もがそれに気づくことはない”。




 ――――ねーむれ。ねーむれ。ねーむれ。

 ――――良い子よ、ねーむれ。



 そんな女性の歌声を思わせる“何か”が、この部屋中に満ちていた。

 静かで、柔らかで、澄んでいて、どこか物憂げな美しい“子守唄”が波のように反響していた。


 だがそれは、厳密には“歌”ではないのだ。

 寧ろ、――――“呪い”といった方が正しい。




 「いやいや、すみませんねえ。何せ、儀式の過程なものでして。

 しかし、なるほど。それがあなたの悪夢なのですね」




 異様な空気が重圧を持つ中、“彼”は軽快な笑い声を上げた。

 まともに声も出せずに苦しみ呻く少女の傍らで、込み上げる笑いを堪えるように“彼”は額を押さえる。


 ぜぇぜぇと息を儚く洩らす少女に、ゲラゲラと体をくねらせて歓喜する“彼”。


 いつしか、少女の姿は弱々しく、花が萎れるように落ち着きを取り戻していく。

 否、――平常を通り越してその表情は病的なまでに蒼白に染まっていいった。


 そして少女は、“永い眠りに着く”。


 道化を彷彿させる仮面の奥で“彼”は、溢れ出る快感に舌なめずりをした。

 ――ごちそうさま。


 心とは、魂とは、精神とは、――“悪夢”とは、歯で噛み砕いて咀嚼するのは“通ではない”。

 それは若く、生き生きとしているほど弾力を持ち、その感情が強いほど味気をもたらしていると思われる。


 口の中で舌を使って転がし弾力を楽しみ、飴のように味が溶けだしたところで一気に呑み込んだ。

 ゴクリと音を立て、喉を伝い、腹へと落ちていく。


 何と、甘いことか。




 「ああっ、何という甘み! まるで極上のクリームのようで綿飴のように溶けていくッ! ああっ、とろけるーんッ!!

 あなたの悪夢、随分と甘いのですねえ……」




 両手を大きく高く広げて天井を仰ぐ。

 今にも大声で叫びたい。旨い。


 一体少女はどのように生き、どんな思いを抱き、どんな気分で悪夢に呑まれていたのだろうか。

 どうすればこんな味を出す魂を“育てられるのか”。


 そんな気持ちを“いつも通り”に、“一瞬でも”抱きながら“彼”は一筋の煙となって去っていく。

 そもそも“彼”は、如何にして窓も扉も閉ざされた部屋に立ち入ったのか。

 だが“彼”は確かにこの部屋にいて、確かに部屋から消え去ったのだ。


 後に残ったのは、意識のない――夢から覚めることのない少女だけだった。






 そして今日もまた、一人犠牲となる。


 だがその真実は、誰の口からも語られることはない。

 言うなれば噂となって、談話のネタとして取り上げられるだけ。




 ――――それが園咲市都市伝説、《コモリウタ》。




 暗雲が立ち込める鬱蒼とした闇夜に、地面を打ち付ける雨。

 その中でも、やはり少女が目を覚ますことはなかった。


 
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